3.ふりふりれーすはしゅみじゃないです
鏡を見る。
俺がいる。
髪が肩にかかるくらいになって、身長が少し低くなって、喉仏がなくて胸が出た俺が。
「戻って無い…。」
はあ、と溜息を吐く。信じたくは無いけれど、これは現実のようだ。
昨日はトイレも我慢して、必要最小限しか行かなかった。
それでもあるべき筈のものが無く、いつもと違うことが非常に恥ずかしかった。
だから一日位と、入浴も避けた。
全身を見たら、立ち直れなさそうな気がしたから。
でも、まだ女の子のまま。
これは覚悟を決めなければならないようだ。
「…よしっ」
スウェットの裾に手をかけると、インナーと共に脱ぎ去る。下も同様に、一気に脱いだ。
閉じていた目を、恐る恐る開いていく。
「…うそ。」
そこには、やっぱりというかなんというか、胸が膨らんでいた。
胸筋とは違う、グラビアで見る様な女の子の胸がある。
違うのは水着を付けずに裸なだけ。
触ってみると柔らかい感触が手にあり、触られている感触が胸にある。本物だ…。
ちょっと蒼褪めながら、とにかくシャワーを浴びる事にした。
熱めのお湯を頭から浴び、人心地付く。
ちょっと気恥ずかしくなりながらも体を洗い終え、そう言えば女の子の体を見ているのに、あの男だった時の興奮は起きないな、と冷静に考える。これが自分の体だからなのか、やっぱり女の子になったからなのか。あとでグラビアを見ながらでも考えよう。
風呂から上がって、着替える。
なんだか、トランクスは…心もとない。
急いでジャージを着て居間に入った。
居間にいたのは母さんだけ。俺が遅く起きたので、父さんは会社に、兄ちゃんは学校に既に行っていた。
「やっぱり女の子のままなのね~。」
「うん、そうみたい…。」
「樹、混乱してると思うけど、よく聞いてね。」
「うん。」
「お母さんは昨日も言ったけど、とりあえず女の子として生活していくしかないと思うの。いつ男の子に戻れるかもわからないし、そもそも原因もわからないから。」
「うん…。」
「戸惑いが大きくて外に出られないなら、家に居ても良いと思うわ。何も学校に通わなくても、高校や大学の資格は取れるのだし。でも、せっかく高校に受かったから、学校に行きたいでしょう? 樹がしたい方を選べば良いわ。どうする?」
母さんが提示してくれた、俺のこれからの道標。
確かに、引きこもって通信教育と大検という手もあるだろう。だけど、心の中で大きく陣取っているのは、西高に合格した喜びだった。
「俺は…、高校に行きたい。あれだけ頑張って西高に受かったし。母さんの言うとおり、男に戻れるかすらも分からないから、できるだけ早く順応するしかないんだと俺も思う。まだ分からないことだらけだけど、うじうじして何もしないよりしっかり生活していた方が、男に戻った時に胸を張れるだろうし。」
戸惑いは大きくても、女として行動することは決して恥じることじゃない。男だろうが女だろうが、一生懸命頑張る人は格好良い。そう思う。
そこまで言うと、母さんはにっこり笑って肯いてくれた。
「よしよし。それじゃあ、これからお母さんが女の子のことを教えてあげるわね。ついてらっしゃい!」
「はい!」
そんなやりとりをして、二人で笑った。
うん。俺は頑張れる。
■ ■ ■
「兄ちゃん、おかえり。」
「た、だいま…。」
玄関に立つ俺に、兄ちゃんはぼけ、と返事を返した。
さっき帰って来た父さんと、同じ反応だ。
俺の格好は、全て女物になっていた。とは言ってもパンツスタイルだ。ブルーのストライプのシャツに、白いVネックのセーター。それにスキニーデニム。昨日まで男だった身にも抵抗感の少ない服を、母さんは選んで買ってきてくれた。でも、鏡を見て思う。どこからどう見ても女だ。太股ムチムチしてる…。
一番恥ずかしかったのは、やっぱり下着。
ブラジャーもショーツも、母さんが採寸して買ってきてくれた。
ショーツはトランクスより密着するからか、安心感がある。ただレースひらひら。
ブラジャーは後ろでホックを止めるのが難しいし、今までない締めつけ感に肩がこる。そしてレースひらひら。レースの無いのが良い、と言ったら、大概はこういうのかもっと派手、と言われて黙るしかなかった。それにレース無かったら地味じゃない、と言われたのは聞かなかったことにする。
胸元を見て思う。これがCカップか…。
髪型は、とりあえずこのままにすることにした。前髪も少し伸びたので、それだけは横に流す。
「本当に女の子だなあ。でも違和感無いな~。」
ははは、と夕食の席で笑う父さん。それに笑うべきなのか泣くべきなのか、よくわからない。
「樹は前から可愛かったけど、女の子になると一段と可愛いな。高校で変な虫付かなきゃいいけど。」
「それは心配だ。健、目を光らせておけよ。」
「兄ちゃんも父さんも、何言ってるの。平凡なお…わたしに、誰も見向きもしないよ。ねえ、母さん。」
「えー、樹は可愛いと思うわよ?」
同意を求めた母さんも、ほんわかと笑ってそんなことを言う。駄目だ。うちの親は親馬鹿だったらしい。そんで兄ちゃんは兄馬鹿。ここまで身内の欲目があろうとは。
「女の子がいるって、良いわね~。男だらけだったときよりずっと良いわ~。」
そう言う母さんはとても嬉しそうだ。う~ん、この状況を受け入れてもらってる分には良いのか、な?
■ ■ ■
喜成からメールがきた。
『事前説明会に、樹さえ良ければ皆で行かないか。うちで車出すから。無理はしなくて良いぞ。』
事前説明会とは、三日後に迫った高校の説明会だ。先輩である兄ちゃんの話によれば、そこで学校の説明を軽く受けたり、ジャージや運動靴の採寸、教科書の購入があるらしい。
皆で、というのは、俺と喜成と琴美、そしてそれぞれの親ということだろう。
親達は俺が琴美に告白したことを知らない、と思う。だからいつもの調子で喜成のとこのおばさんが一緒に行けば良いとでも言ったのだろう。
しかし困った。琴美と会うのが気まずい以上に、俺の現状を伝えなければならないのだ。
でもいつまでも隠し通せるものではない。
俺は覚悟を決めると、二人に明日うちに来てほしい旨をメールした。
■ ■ ■
「おじゃま、しま、す…。」
「え、えへへ、いらっしゃーい…。」
玄関の前で茫然としている二人を、引きつった笑顔で出迎えた。
すっごい緊張する!
「で、どうやったら元に戻れるかもわからない、と。」
「うん、そうなんだ。」
一通り話したところで、琴美がお茶を飲んでふう、と一息ついた。俺もお茶を啜る。ちら、と喜成の方を見ると、喜成は俺を見たままさっきから何も喋っていない。目が合っているのも気付いていないようだ。
「喜成? どうしたの? …やっぱり気味悪いかな。」
「うえっ!? いや、そんなことない…。びっくりして。」
よくわからない現状に拒絶されたかと思ったけど、どうやらそんなことはないようだ。一安心。
「本当びっくりだよね。わたしも信じられなくて、初日は気を失ったもん。」
「えー、大丈夫だったの? そういえば、『わたし』って言うことにしたんだ。」
「気を失ったのは大丈夫…。一人称はまだ慣れてないし恥ずかしいんだけど、やっぱりこの格好で俺って言うのもおかしいし…。変じゃない?」
「全然! いっちゃん可愛い!」
にこにこと返す琴美に、ほっとした。恋愛感情がなくなったからだろうか、今までと同じように話せている自分がいる。
「ね! よしくんもそう思うでしょ?」
「あ、ああ。すっごく可愛い。」
「いや、二人ともそこまでお世辞言わなくても…。」
「お世辞じゃないよ~」
「えー? でも、ありがとう、いつもどおりに接してくれて。」
二人を見て、姿勢を正す。
「自分でも信じられない出来ごとだから、二人に拒絶されるかもしれないって思ったんだ。それが怖くて、今日までずっと言えなくて…。でも、二人とも受け入れてくれて、嬉しい。ありがと。」
「いっちゃん…。」
「樹…。」
えへへ、と笑ったら、二人に頭をわしゃわしゃと撫でられた。
二人は俺が落ち込むと、いつもこれをしてくれる。
嬉しくて、ちょっと涙が出た。