番外・その時の彼ら8
遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
本年も『とらいあんぐる おあ へきさごん』をよろしくお願いいたします。
では、体育祭琴美視点です。
「笹木」
「はぁい、ここに」
いつもの事ながら、笹木先輩はどこに控えているんだろう。健先輩が呼んだら必ず現れる彼女は、非常に不思議な存在だ。昨日まではいっちゃんを困らせた人だったから嫌いだったけど、今日いっちゃんの許しを得ていたから、味方認定する。
「二十分前に、樹が誰かに怪我を負わされた。犯人を捕まえてくれ」
「あいあいさー! 報復は私がしちゃって良いの? それとも健くんがする?」
「もちろん、俺がする」
「ちょっと待ってください!」
「どしたー、琴美ー?」
笹木先輩の手にかかれば、きっと犯人なんかすぐに見つかるだろう。そうしたら健先輩は試合を放り出して、天誅を下しに行くに違いない。大体、先輩が潰す前に、私もお返ししたい。
「健先輩と正悟先輩は、まず体育祭に専念してください」
「はあ?! 樹が怪我させられて、そんなの構ってられないだろう!」
珍しく感情が昂っている健先輩に、本人以外が目を見開く。
健先輩が本気で怒ってる。自分に対することは憂鬱で収まってたのに。憂鬱ってのはつまり、どこか諦感して自分の内に溜め込んでいるってことだと私は思う。ってことは、健先輩はいっちゃんのことは諦められないのだ。それは私も一緒。私たちの逆鱗は、いっちゃんなのだ。
「健先輩、落ち着いて思い出してください。いっちゃんがなんでよしくんに連れてってもらったか。先輩たちはまだ試合があるからですよ? 自分のためにそれを疎かにしたと知ったら、いっちゃんは後々まで後悔するに決まっています。だって、先輩方には最後の体育祭なんですから」
いっちゃんは、行事等の思い出に残るものを大切にする子だ。人間という生き物は、自分にとって大切なものは他人にとっても大切である、と考える傾向がある。もしいっちゃんのために先輩が思い出を作る機会を逃したら、誰より後悔するのはいっちゃんだ。自分が怪我をしたせいでと、自責の念に駆られるだろう。
「いっちゃんにそんな思いをさせない為にも、二人はきっちり勝敗を付けてきてください」
「わかった……」
不承不承ながら頷いた先輩を見て、これなら大丈夫だろうと思う。
「その間、僭越ながら私が犯人に仕返しの前菜を食べさせておきますね」
今の私はとても悪い顔で笑っているだろう。先輩方はそんな私をぽかんと見て---笑った。
「はっはっは、琴美はさすが俺らの妹分だなあ! よし、メインディッシュとデザートは任せておけ! 腹一杯でも無理矢理食わせるから、存分にやってこい!」
「了解です」
そうして私は正悟先輩に激励を受けて、笹木先輩と共に犯人を探しに出たのだった。
「夏川ちゃん、今皆に連絡したから、すぐ犯人見付かるからね~」
そう言って笹木先輩が見ているのは、手の中のスマホである。因みに逆の手にはPHSも握られている。
皆というのが誰かは知らないが、恐らくいるであろう彼女のたくさんの仲間によって、その情報網は保たれているのだろう。
「おっ、ヒットー! …ああ、こいつ」
端末の画面を見ていた笹木先輩の顔が、ほの暗く歪んだ。
「犯人見付かったんですか?」
「うん。こっちも大分迷惑被ったヤツなんだよね~。じゃ、行こうか」
笹木先輩の後ろを付いて行って辿り着いたのは、体育館とは真逆に位置する北棟の一室。ペンキが剥げ、明らかにがたついた扉を先輩が勢いよく開けた。そこにはどこか暗い印象を与える女子生徒が、一人いた。
「こんにちは、吉澤さん」
「笹木さん……。呼び出したのはあなただったの」
「私が呼び出したってことは、どういうことだか、わかってるでしょ?」
「私が健くんに害をなしたとでも言いたいの? 言い掛かりよ」
「何もしてないなんてしらばっくれさせないよ?」
「私はプレゼントを贈っただけよ?」
「プレゼント? あれが?」
はっ、と鼻で笑った笹木先輩を見て、今朝健先輩の下駄箱にとんでもない物を入れたのが彼女だとわかった。
「ピンクのパッケージに赤いリボン。あなたでしょ?」
「そうよ。だって健くんが私に欲しいって言ったから、ちょっと恥ずかしかったけど入れたの」
「は?」
何を言っているかわからなかったのは、私だけでは無かったらしい。笹木先輩が怪訝な顔をした。
「あなたと健くんには接点なんて無いのに、何を馬鹿なこと言ってるの?」
「他人のアンタには、わからないでしょうね」
吉澤は、うっとりした表情で話し始めた。
「私と健くんはね、愛しあってるの。でも健くんと付き合っているのが露見すると、私が虐められちゃうでしょ? だから健くんが、外では素っ気ない態度を取っているの」
この人は何を言っているのだろう。健先輩に女の影なんて無いし、彼女が遠峰家に出入りするのを見た事もない。第一、恋人からのプレゼントにあんなに精神的ダメージを受ける訳がない。
「なんだかおめでたい頭をお持ちのようだけど、なら、健くんの妹ちゃんに怪我をさせたのはどういう了見?」
その質問が、私にとって一番重要なものだった。吉澤を睨み付けると、彼女は今までのうっとりした表情から一転、憎いものを見る目でこちらを見た。
「あれは健くんをたぶらかす害虫よ。私は害虫駆除をしただけだわ」
いっちゃんが害虫? あんな可愛い子を捕まえて、よりによって害虫?
殴りたいのを我慢して、私は口を開いた。
「それでは、あなたが転ばせたと、認めるのですね」
吉澤は私の問いに対し、ニヤリと笑っただけだった。しかし、それで充分だった。
「大好きな人の家族にそんな態度は無いんじゃない?」
「家族? アンタだって知ってるでしょう? 健くんには妹なんていない。弟しかいないわ!」
叫ぶように発されたその言葉に、はっと息を飲む。そのことを、この学校で知っている人はいないと思っていた。けれど健先輩は人気が高いし、しかも彼女が変質的な執着を見せているのならば、健先輩に関するあらゆる情報を得ている可能性はある。誰も知らないと思って、大した対策を取っていなかった。そこで笹木先輩の存在を思い出して、慌てて先輩の顔を仰ぎ見る。先輩はそれを聞いてどう思うだろう。彼女の言い分を聞いて、怪訝に思うんじゃないだろうか。そしていっちゃんを問い詰めるんじゃないだろうか。
しかしそれは杞憂に終わった。
「何を言ってるのかなあ? 健くんには妹しかいないし、第一健くんが妹と言ったらあの子が妹だよ。何より、あの子の方があなたより健くんに無害だわ」
最後の言葉が、吉澤の怒りを買ったようだった。
「私より、なんですって? あなたたちがなんと言おうと、健くんの隣に相応しいのは」「あなたじゃないわ」
言葉を遮ると、キッと睨まれた。
「よく言ったわ、夏川ちゃん。そう、健くんは彼女がいないし、あなたが贈った汚らわしい物は、去年も今年も私が捨てた。健くんはそんな物お望みじゃないし、大切な妹を傷付けられて怒り心頭中。体育祭が終われば、あなたのだーい好きな健くんから軽蔑しきった視線と侮蔑の言葉をもらえるよ。良かったね」
「嘘よそんなの! 健くんと私は付き合ってるの! そうよ…これからも邪魔者を消していけば、学校でだって一緒にいられる…健くんは私を愛してるんだから…」
焦点の合わない瞳で、彼女がぼそぼそ喋る。その姿に気味の悪いものを感じた。
「哀れな人。いつまで妄想の世界に引きこもっているつもりなんです?」
「妄想なんかじゃない!」
「いいえ、妄想です。全てがあなたの都合の良いように書き換えられている。そこには健先輩の意思は存在していない」
「違う…違う……」
「妄想するなとは言わない。でも現実に押し付けるな。今度いっちゃんを傷付けたら、生きていることを後悔させてやる」
「やーん、夏川ちゃんこわーい」
笹木先輩の声で、はっと我に返った。気付かないうちに吉澤の胸ぐらを掴んでいた。吉澤の顔が青くなっている。息を吐いて、吉澤から手を離す。最後にこれだけは言っておきたい。
「こそこそ悪巧みなんて、卑怯者のする事です。女なら、正々堂々と戦ったらどうですか。健先輩にしても、何にしても」
怯えたのか、震える吉澤を残して、私は教室を出た。怒りはまだ治まらない。しかし、後は先輩方が叩きのめしてくれるだろう。そう思って深呼吸をした。煮え立った頭が、少し冷えた。
「夏川ちゃんって、結構怖いんだねー」
「笹木先輩……」
後ろを振り向くと、笹木先輩がにこにこ笑っていた。何が面白いのかわからない。
「彼女、置いてきて良かったんですか?」
「名前わかってるから」
答えになっていないような答えだったが、それだけで笹木先輩は地の果てまで追えるに違いない。
「そんなにあの妹ちゃんのことが大事なんだ?」
その含むような言葉に、警戒して視線が鋭くなる。
「そんな警戒しなくて良いよー? 妹だろうが弟だろうが、健くんが大切にするなら私たちもそれに倣うだけのこと」
その言葉に、またドキリとする。笹木先輩はいっちゃんがかつて男だったことを知っているに違いない。しかし、ここでそれを口に出すのは薮蛇のような気がして、私は口を閉ざしたままにした。
「健くんの邪魔にならない限り、私はあの子に手出ししないから」
「そうですか」
そう、どこまで行っても、この人は健先輩の下僕なのだ。今回は健先輩が怒ったから、頼んだから手助けしてくれただけ。今後、私たちの敵にならないとも限らない。いっちゃんは私が守る。
「ふふ、夏川ちゃんってやっぱり良いね。うちらの仲間に入らない?」
「お断りします。笹木先輩が健先輩のために動くように、私はいっちゃんのために動きますから」
「だよねー。うん、言ってみただけ」
そう言う笹木先輩は、とてもにこやかだった。




