2.かがみにうつるのはげんじつでした
どういうことだろう、と鏡を見つめ続けること5分。やっぱり自分の顔だ。
でもちょっと変わってる気がする。顔が小さくなって、目が大きく感じるのかな。
というか身長縮んじゃった。もっと伸ばしたいのに。
なんで髪が伸びたんだろう。身長の代わり?
そしてこの胸の柔らかいのはなんだろう。
止まっていた思考が動き出すが、一向に纏まらない。そして鏡から目が離せない。否、自分の体を直接確認することを拒んでいる。
「樹、終わったんだったら早く出…」
「…兄ちゃん。」
洗面所のドアが開いたので見ると、そこには目を見開いた兄がいた。
「俺、どうしちゃったんだろう…?」
…そこで視界が黒くなった。
■ ■ ■
気付くと、俺を覗き込むように父母兄がいた。
「うわっ」
「おー、起きた。」
「えっ、何!? …!?」
声が違って、喉を押さえる。喉仏が無い。
…そうだ。朝起きたらなんか変わってて、それで―――
「俺、どうしたんだっけ…」
「意識失ったから、取り敢えず俺が運んだ。まだ十分も経ってないけど。」
そう言ったのは、兄だった。見れば俺はソファの上で、居間に運ばれたらしかった。
「ごめん、ありがとう…。ところでさ…、俺、どうなってる?」
父母と兄は困惑したような顔をして同時に口を開いた。
「女の子になってる。」
と。
「嘘だろ~~~!」
体育座りをして頭を抱え込む。声はやっぱり高く、いつもより太股が太くなっていて、手を入れた髪の毛は長くなっている。
「なんで!? なんでこんなことになってるの!?」
「さあ…」
そうだよね…。こんなありえないこと、誰にもわかるはず無い…。
「気持ち悪かったりはしない?」
「大丈夫…。」
心配げな母さんに首を振る。現実を受け入れられないけど、別に具合は悪くない。
「樹、男に戻るかな…。それともこのまま…?」
「わからんなあ。もしかしたら明日起きたら男に戻ってるかもしれんし、そうじゃないかもしれん。」
父さんと兄ちゃんの会話を聞きながら、是非とも男に戻りたいと思う。
「私はどっちでも良いわ。樹が元気でいてくれればそれで。」
「母さん…。」
なんだか優しさに泣けてきた。昨日から泣いてばかりだな、俺。
ん…? 昨日…?
「あっ!」
「なんだ! どうかしたか!?」
「う、ううん、なんでも…、あっ、今日の結果発表どうしようと思って…。喜成と見に行く約束してるから…。」
「ああ、それなら俺が行ってくる。喜成に行けなくなったってメールでもしておけ。」
「う、うん、ありがとう兄ちゃん。」
良かった、誤魔化せた。
そうだよ…。昨日寝る前、俺なんて思った…?
『女だったら』
もしかしたら、あれのせい…?
嘘だろおおおおおっ
■ ■ ■
喜成にメールで『風邪を引いて今日行けない。代わりに兄ちゃんが行ってくれることになった。』と送ると、心配する旨の返信が届いた。うう、本当は風邪じゃないんだ…。でも人前には出られないんだ…。
「さて、これからどうしようか。」
朝食を食べ終えた俺たち一家は、そのまま食卓で家族会議に入った。
「とりあえず明日まで様子を見て、女の子のままだったらお洋服とか日用品とか、必要なものを買いに行きましょう。」
「母さん、前向きだね…。」
「だって、原因がわからなかったら対策も取れないじゃない? 今できることをしないと。」
「そうだな。戸籍謄本はまだそのままで良いだろ。名前も女で通用するし、もし男に戻った時に面倒だし。」
ただ面倒なだけではないでしょうか、父さん。
「ちょうど高校生に切り替わるし、西高ならちょっと遠いから、知ってる人も少ないでしょ? 丁度よかったわよ。」
「受かってればね…。」
あ、なんだか心臓痛くなってきた。
「樹なら大丈夫だよ。10時から発表だったよな? 俺、そろそろ行ってくるわ。」
「あ、うん。兄ちゃんよろしくね。」
「おう。番号見つけたら電話するわ。」
そう言ってコートを羽織って兄ちゃんは出て行った。あー、緊張する!
…それよりも、この体の方が一大事なんだけれども。
「とりあえず着るものも無いし、今日は寝てた方が良いわ。まだ混乱してるでしょう?」
母さんに言われて、大人しく部屋に戻る。
俺、どうしちゃったんだろう。これからどうすればいいんだろう。女の子として生きて行くのかな…。
なんだかそれも良いような気がしてきた。
別に、将来男社会で生きて行きたいと思ったこともないし、第一、女の子だったら琴美とも今までのように接していけると思う。喜成だって、別に俺が女になったからって遠ざけたりはしない…と思いたい。
そこまで考えて気付いた。
そういえば、昨日までの、あの琴美を好きだという感情が穏やかなものになっている。
女の子になったことで、感情も変化したのだろうか。確かに、女の子の恋愛対象は普通男だから、当たり前のことと言える。
切ないな…。あんなに好きだったのに。
琴美を想い浮かべて感じるのは、どう考えても、親愛の情だった。
■ ■ ■
携帯電話の着信音で目が覚めた。どうやら寝てしまっていたらしい。
慌てて通話ボタンを押すと、兄ちゃんの興奮した声が聞こえてきた。
『あったよ、樹の番号!』
アッタヨ、イツキノバンゴウ
脳内で、その言葉が処理されるまで数秒かかった。
「…本当!? よ、良かったぁ。」
『良かったな。今から帰るから、父さんたちに報告しとけ。』
「うん、わかった! 気を付けて帰って来てね!」
通話を終えて、ベッドから跳ね起きる。
受かった!
皆で頑張って勉強して、その成果が実ったのだ。体の変化の戸惑いは大きかったが、喜びが勝った。
慌てて階段を駆け降りる。
「うわ…」
胸が、揺れる…。
やっぱり戸惑いの方が大きいかも…。
残りの階段はゆっくり下りて、居間にいた父母に結果を報告する。
「受かったよ!」
「電話きたの!? おめでとう!!」
「良かったなあ。」
「うん!」
「今日は御馳走にしましょうね。」
「やったぁ!」
二人ともニコニコしていて、喜んでくれているのがわかって本当に嬉しい。
その時、メールを着信して携帯電話が震えた。
届いたメールは二通。
喜成と琴美からだ。
『受かったぞ』
『受かったよ!』
同着なのは、二人で示し合わせて一緒に送ったからだろう。二人は俺の受験番号も知っているから、俺も受かった事は分かっているはずだ。その場に一緒にいない俺と喜びを分かち合おうとしてくれているのがわかって、胸が暖かくなった。
『俺も受かったよ! これからもよろしく!』
二人に返信をした俺は、安心感に満足したのだったが。
「あ…、二人になんて説明しよう。」
とりあえず、明日起きたら男に戻っていることを願う他ないのだった。