番外・その時の彼ら1
12話の正悟視点。
風呂上がりに冷蔵庫を開けたら、コーラが無かった。
その時の落ち込みたるや。取り敢えず麦茶で喉を潤したものの、あの炭酸の刺激が恋しい。小腹も空いたし、俺はコンビニに行くことにした。
眩しい店内に入ると、そこには見知った顔があった。
「あれ? 樹じゃん」
「あ、正悟先輩。奇遇ですね」
にこっと笑う顔は、昔のまま。それこそ二歳から変わって無い。
けれどその体は、不思議なことに今は女である。部屋着なのだろうハーフパンツとTシャツが、胸と腰の女らしさをありのままに伝えていた。しかもブラ透けてる。可愛い弟分の変貌に、少し動揺しかけたが、なんとか堪えて会話を続けた。
「急にコーラ飲みたくなってさあ。ついでに夜食も買いに来た」
「先輩の胃袋って、やっぱり宇宙空間に繋がってるんじゃないですか?」
「俺もその線を疑ってる。樹は何買いに来たんだ?」
籠を覗くと、見覚えの無いパッケージが二つ。そこに印字されている文字に、興味を引かれたのは事実だ。
「新発売のアイスですよ。CMで見て、どうしても食べたくなっちゃって」
「トロピカルティ&ミルク味…… 美味いのか?」
「さあ。食べたことないから分かりませんけど、勘は美味いと言っています」
「まじか。俺も買ってみよう。てか、樹、お前一人で来たのか?」
「そうですよ?」
棚の陰に健がいるのかと思っていたが、一向に出てこない。これはもしかしてと思い尋ねると、案の定一人で来たらしい。もう夜の十一時なんだが。
「……俺もすぐ会計済ませるから、一緒に帰ろうぜ」
「はあ、わかりました」
どうして俺が誘ったのか、絶対こいつは分かって無い。
とにかく、何を買うか悩む時間も惜しい。目に付いた商品を取り敢えず籠に入れ、会計を済ませた。
「うしっ、樹、帰るぞー」
「どんだけ買ってるんですか……」
「どうせだから買い置きしておこうと思って。今晩では無くなんねーよ、さすがに」
凄い疑いの眼差しで見られたんだけど、俺、樹にどんなイメージ持たれてるの?
「そういや、健はどうして来てないんだ?」
「兄ちゃんですか? 私が家を出た時は風呂に入っていたので」
「なるほどね~」
それなら、健が付いてこないのも道理だ。こんな時間に、重度のシスコンに変わってしまった健が、樹を一人で送りだすわけが無い。
今度からは一人で行かせないように、健にしっかり言っておこう。男の時分ならなんら問題無いが、今は女の子だ。この住宅街は変質者の出没も最近多発しているし、男よりも女の方が遭遇率が高い。当然の心配だが、樹は今まで男だったから、その辺の認識が甘いのだろう。
「……ああ、もうこんな所ですね」
そう声を掛けられて立ち止まる。俺の家と樹の家との分かれ道だ。
「それじゃ先輩、おやすみなさい」
そう言って、さも当たり前という風に一人で帰ろうとする樹を、慌てて止める。
「おいおい、何言ってんの。家まで送るし」
「へ? えー、そんないいですよ」
「だーめ。女の子が夜道を一人歩きとか、危ないだろ?」
こいつは言わなきゃわからん。そう思って口にするが、やはり心中はまだ男なのだろう、変な顔をされた。
「女の子って、先輩……」
「その通りだろ? 良いから黙って送られなさい」
「……はあい」
ぶすっと拗ねた顔も、昔から変わらない。なんだかおかしくて、昔みたいに頭を撫でた。
「ちょ、先輩!」
「全く。俺が送るって言ったら、女子は喜ぶもんだぜ? 感謝しろよ?」
「はぁ……。イケメンは中身もイケメンなんですね」
「何言ってんだ? そうだ、どうせなら手でも繋ぐか」
「繋ぎませんよ!」
なんだか懐かしくなって、そう提案する。荷物を片手に纏めて空いた方を差し出すが、見事に拒否られた。
「えー、お前『しょうにいちゃんとおててつなぐ!』って、よく健泣かせてたじゃんか~」
「いつの話ですか! それ幼稚園くらいでしょ!?」
「あははは」
よたよた後ろをついてきたのが、懐かしい。
「っと、着いた。久しぶりだな、お前ん家来るの」
「あー、そう言えばそうですね」
最後に来たのはいつだったか。
中学までは、よく遊びに来ていたんだ。
だけどそう、あれは中学三年に上がった時。
中学に上がった樹が、『正悟先輩』って俺を呼んだ。
今までの『正兄ちゃん』からの変化に、その時の俺は耐えられなかった。
一気に樹と距離が離れたような。
健がいつものように『兄ちゃん』と呼ばれているから、余計に辛かった。
…今思えば、俺も駄目っていうか青いっていうか。
「じゃあ、正悟先輩、有難うございました。今度また来て下さいね」
思考に耽っていたところを、樹の言葉で我に帰る。
「おう、そうする。じゃあなー」
「おやすみなさい」
手を振り、踵を返す。
樹も、いつまでもちっちゃい子どもでいるわけじゃない。
女の体になれば、余計にそれを意識せざるを得ない。
それでも、いつまでも変わらない笑顔がやっぱり大切で、守りたいと思う。
……俺も大概シスコンか?
一人苦笑して、振り返る。そこにはまだ、樹がいた。
「あ、そうだ樹ー」
「な、なんですか?」
「ブラ透けてたー。ごちそーさまー」
「!!?」
パンツ見た時も、凄い恥入ってたんだ。こう言えば、もう油断した格好で外には出まい。
「ばかあああ!」
背中に罵声を浴びながら、俺は笑って家に帰った。
アイスは、可も無く不可も無くな味だった。