10.りょうりのはなしではありません
濃い目のソースと、途中に現れる紅ショウガが食べる手を休めさせない。
美味しいです、購買の焼きそばパン。今度自分でも買おう。
「俺の焼きそばパン……。」
右手には、俺にパンを奪われて落ち込んでいる正悟先輩。どうやら先程は購買帰りだったようで、ちゃっかり持っていたビニール袋の中には、惣菜パンが三個も入っていた。ので、一個失敬したわけである。
「一個くらい良いじゃないか。お前、早弁してただろ?」
自分の弁当を、品良く、しかし凄いスピードで胃に納めているのは左手に座っている兄ちゃん。そうだそうだ、もう弁当食ったなら良いじゃないか。俺はまだ食べてないんだぞ。
「俺は大食いなんですー。弁当ひとつじゃ全然足りないんですー! って樹! クリームパンまで食うな!」
「食後の甘いものは格別ですね。」
「あああ、俺のクリームパン……! 樹、お前俺に怨みでもあんのか?」
「え? 勿論ありますが、何か?」
「いえ、ごめんなさい。」
あまり強くない俺のメンタルが、正悟先輩から食物を奪って復讐せよと言ってくる。
まあ、半ばヤケ食いなんですけどね!
「うう……。」
嘆きながらコロッケパンを食べる正悟先輩。満腹になったことによって、俺の羞恥心も大分落ち着き、ちょっと許しても良いかなと思う。大体、自分が招いたことだったし。
「兄ちゃん、後で私のお弁当正悟先輩にあげてよ。」
「わかった。」
「えっ、マジ!?」
俺達の会話を聞いていた正悟先輩が復活した。
「だって、私もう食べられないし。五時間目の後にでも食べて下さい。」
全部残して帰ったら、作ってくれた母さんにも悪いし。
「わーい、やったー! おばさんの料理美味しいから好き! ついでにパンより米が好き!」
しょんぼりから一転、溌剌とした笑顔に戻った正悟先輩に苦笑してしまう。
お弁当を食べられると分かった正悟先輩が、快くお茶も譲ってくれたので、それを飲むと一息ついた。やっと落ちついた気分である。
「はぁ、これからどうなるのかな……。」
思い浮かぶのは、先程驚愕の目で見ていた名も知らぬ三年女子の方々。あと、弁当持って行った時の怖い人。ついでに中学時代の思い出。兄ちゃん絡みで良い思い出は多々あれど、それを凌駕するくらい、嫌な思い出もあるのだ。ちょっとこれから先の高校生活が不安で仕方が無い。
「そうだよ。健、お前どうするんだ? 絶対他の奴ら、樹のことお前の彼女だと思ってるぞ?」
「甘い。それが狙いだ。」
箸を持ちながらキメ顔しても、しまらないぞ、兄よ。
「高校生活二年間の、あのプレゼント攻撃から漸く逃げられるチャンスだぞ? それを逃がす俺じゃ無い。」
「あー……、お前、絶対差し入れとか受け取らないもんな。」
「なのに、持ってくるのは後を絶たないだろ? だが、彼女がいると思われればそれも無くなるに違いない。」
そんなことのために、俺は生贄にされたと言うのだろうか。
「ふざけんな! 俺の生活が危険になるだろー! 俺、兄弟だってみんなに言いふらすからな!」
「樹樹、地が出てる。」
「今はそんなこと良いんだよ!」
俺の平和な高校生活の危機なんだ!
「まあ、勿論俺も、早々に樹が彼女ではなく妹だと皆に知れるとは思ってる。」
「ふーん。それだとお前、シスコンの痛い奴って認識されると思うよ、俺。」
「更に甘いぞ、正悟。それも狙いだ!」
「な、なんだってー。で? つまりどういうこと?」
棒読みで正悟先輩が驚き、続きを促す。
「シスコンの痛い奴と思われれば、俺の株も駄々下がり。よって、日夜背後に警戒しなくても良くなる!」
「すっごい捨て身の戦法ですね。」
結局出てきたのは、なんとも浅はかな考えだった。自分を貶めてまですることか?
俺と正悟先輩は顔を見合わせ、首を横に振った。
「あ、お前ら! 馬鹿にしてるだろ!?」
「うん、ごめん。馬鹿にしてる。」
「大体さー、お前も俺みたいに適度に皆と遊んでれば、変質者染みたファンが付くことも無いのに。」
「へ、変質者!?」
正悟先輩の言葉に吃驚した。何それ初耳である。
「あれ、樹知らなかったの? 何度拒否してもアドレスを変えて執拗にメールを送って来る謎のAさんとか、下駄箱に下着をプレゼントしていった謎のBさんとか。」
「えー、知らない! 何それ気持ち悪ッ!」
「だろー? 最近は事情を察してくれたクラスの子たちが、分かる範囲でプレゼント渡さないように言ってくれてるんだけど、なかなかねー。」
なるほど、あのお弁当持って行った時に追い返されたのは、自衛だったんだ。
怖いとか思ってごめんなさい。確かに俺もそんな被害え受けている人がクラスにいたら、警戒するよ。
「一緒に居て疲れる人種に、折角の休みまで潰されたくない。」
ぶすっと言う兄ちゃん。確かに、数少ない休日は家に居ることが多い。
どうやら兄ちゃんは、非常に精神的苦痛の多い生活を送っていたらしい。
「ごめん、兄ちゃん。私、よく知りもしないで喚いて……。」
「いや、話さなかったのは俺だし。気にすんな。迷惑かけてる自覚はあるしな。」
兄ちゃんは箸を置いて、微笑みながら俺の頭を撫でてくれた。
「お前は俺の妹だってこと言いふらしてくれれば良い。あとは俺がいかに妹を愛しているか周りに言えば良い事だから。」
「うん……。いや、やっぱりそれはどうかと思うよ?」
あまりにも酷い最終兵器だと思うのだが。
「そうか? あー、お前の髪、サラサラだなあ。ずっと撫でてたい。」
「えっ!?」
「……樹、諦めろ。こいつは軽度ブラコンが悪化して重度シスコンになったらしい。」
「えええ!?」
ちょっと、そこの正悟先輩。遠い目をしていないで詳しい説明プリーズギブミー!!
■ ■ ■
そんなこんなで教室に戻った俺は、授業開始ギリギリまで帰って来ない俺を心配していた琴美にひたすら謝り、五時間目の数学でうたた寝し、六時間目の音楽を楽しんで、さっさと部活へと向かったのだった。
教室に残るのは駄目だと、俺の中の危険信号がぴかぴか点滅しているので。
「小国先輩、明日誰かに何か聞かれたら、しっかりあれは健の妹だと言って下さいね!」
「おう!」
手を合わせてお願いしたら、小国先輩ったら力強く肯いてくれました。
良い先輩で良かったよ……。