春の新生活祭り
VIPのろだが使えないからここにうpるお
一応、統一お題大会に出すつもりだったものです。
とても古いマンションだった。いつからあるものなのか、と私は大家に尋ねてみたが「それが私も知らないんです」と申し訳なさそうに答えるだけであった。
蔦の絡まったレンガ造りのアパートで、マンションとは名ばかりの安いだけが取り柄みたいなボロ屋だが、一つだけ好きになれそうなのが、あの扉だ。
金属特有の輝きを放つその扉は頑強でありながら華美。見たこともない装飾が施されてあり、古風なアパートにもピッタリと合っているような、だがよく見るとまったくの不釣合であるような感覚を覚えるなんとも不思議な存在といえた。
それはまるで、寡黙に、ただひたすらに主人の帰りを待つ健気な使用人のような優しい雰囲気と、今にでもすぐに、どこか異世界へ私たちを連れ去らってしまい二度と戻ることは叶わないと思わせるような不気味さを内に秘めていた。つまり、私はひと目惚れをしてしまったわけだ。それも物言わぬ安アパートの入口の扉に。
「気に入った。なんとも気の利いた玄関ではないか」
「それでは」
「ああ、ここに住むことに決めたよ」
二つ返事で即決すると、大家が壁を指さした。
「実はこの扉、オートロックなのです。数字を打ち込まないと開かないのですよ」
私はふうん、と小さく呟いた。確かに扉のすぐ横にいくつかのボタンが見える。これはつまり、入口は数字で管理するので鍵は不要というわけだ。
「して、番号はなんだ」
大家はニヤリと笑うと、こう答えた。
「お好きにどうぞ、ただひとつ条件がありまして、その数字は誰にも知られてはいけません……」
やけに大げさな大家だな、とその時は思うだけであった。セキュリティのことや情報の扱い方など今どき子供でも理解している、と。
「ハジメテノ、オ客様デスネ。番号ヲ登録シマスノデ、オ好キナ番号ヲドーゾ」
オートロックの機械が喋り出す。私は気にせず番号を登録した。
「ピンポーン。サワダ・シュンスケ様デスネ、オ帰リナサイマセ」
扉は勢い良く開き、冷たい風が俺を出迎えた。私はそのまま屋敷に足を踏み入れようとしたが、大家がそれを慌てて止めた。
「いけません。実は、前の住人の荷物がそのままでして」
「それは困ったな」
少し考えるフリをした。しかし本当のところは、自分の物もそれを買うための金も無いので答えは決まっていたのであるが。
「まぁ構わないよ。家具を買う手間が省けるというものだ」
「そういうことでしたら、何の問題もありません。今日から入って頂いて結構です」
部屋の鍵を受け取った。屋敷内には個別の部屋があり、そこでは鍵が必要なのだ。
そうでないと、お隣さんが我が家に入って来てしまう。そんな状態では趣味の読書に専念することもできない。
ついに私はマイルームの鍵を開ける。前の住人は事務所にでも使っていたのだろうか、空の本棚と事務机が一つあるだけであった。
しばらくは新聞にでもくるまって寝るとしよう。何も問題などありはしない。
かくして私はこのマンションの住人になった。
「あっ、サワダさん。おはようございます!」
朝、大学に向かう私をふわふわボイスが包み込む。私は特に動じることもなく軽い返事をした。
「オッ、オハヨウゴザイマシュ……」
「あはっ、入口のロック君のマネですね! 似てます!」
自分ではおどけてみた訳では無いのに、彼女にはとても愉快なことだったみたいだ。モテる男は気づかぬうちに女を虜にする。
彼女の名はハセガワユミ。私の部屋の隣に住んでいる。仕事は特にしておらず、高等遊民のようなものだと言った。
「オ出カケデスネ。番号ヲドーゾ」
この機械は外出する時も番号を確認する。少し面倒だが仕方あるまい。
「サワダ様デゴザイマシタカ、ドーゾ行ッテラッシャイマセ」
「キミはロック君と言うのだな」
「行ってくるよ、ロック君。これからもよろしく頼む」
ロック君――オートロックは静かに佇むだけであった。
繰り返す怠惰な日々の中で私はある発見をした。というのもほんの些細な、消しゴムを探していて事務机の引き出しを開けた、というだけなのだが。
「これは……前の住人の番号じゃないか?」
忘れっぽいタチだったのだろうか、小さなメモに丁寧な文字で書いてあった。これは誰にも知られてはいけないと大家の爺が念を押していた番号であるが、とりあえず私はそのメモの番号を暗記した後に丸めて捨てた。いない人間とはいえ、心無い人に大事な番号が知られてはいけないと思ったのだろう。この部屋の主である私が知っててもなんの問題があるだろうか。
それよりも今起きている問題は消しゴムを買うために一度外へ出なくてはいけないということだ。
私は欠伸を噛み殺しポリポリと頭を掻きながら、あの不思議な扉の前に立った。
「オ出カケデスネ。番号ヲドーゾ」
時間過ぎちゃったし飽きちゃったので終わり