開戦 (一)
バイトからの帰り道、紺染めの腹巻きに袖なしの上着、脚半、足袋、といった飛脚姿のヤバネ・ジューロは、王立学院正門前の目抜き通りで立て札の前に人だかりが出来ているのをみつけた。立て札になんらかの公示がなされているらしかったが、距離と人垣にはばまれて文面までは確認できない。
仕事かえりでもあり、正直、人混みをかきわけてまで文面を確認するのも面倒にかんじたが、そのまま脇目もふらずに素通りするのには、このヤバネという若者の好奇心はいささか強すぎた。
この公示、不自然な点、不審に思える点が多々あり、おまけに、何やら「いやな予感」もする。
学院正門前、という場所も、奇妙ではあった。
学生向けの公示なら、校内に専用の掲示板がある。それに、競うようにして公示の内容を読んでいる群集の中には、職人風やら商人風やら、明らかに学生ではないものも多い。
これだけの多くの人の興味を引き付ける公示、とはいったいなんであろうか?
疑問に感じたヤバネは、人込みを掻きわけて公示を読んでみることにした。
「……王府の発布、だって?」
真っ先に目立つ印字に気がつき、ヤバネは軽く眉をひそめてひとりごちる。
「旦那、字が読めるんですかい?」
たまたま横にいた職人風の男が、ヤバネに声をかけてきた。王都の民の識字率は、さほど高くはない。立て札の前にあつまったこの群集も、まともに内容を読める者は、四人に一人いればいいほうだろう。
「ああ。
今はバイトの帰りだからこんななりしているけど、おれも一応学生だし。
ようするに学生の呼びだしらしいけど……王府の印があるのが、どーにも解せねーな……。
まあ、いいか。読んでみるぞ」
ヤバネは布告文にざっと目を走らせながら軽く答え、周囲の者にも聞こえやすいよう、若干、声をおおきめにして読み上げていく。
「……ええっと……。
王の名において、以下の学生に魔法学術実験の協力を求めるものである。
基礎物理学部学生 シャルアリアラ・シャルファフィアナ
統治理論学部学生 ズジャルア・ダズルダッター
古典王朝詩学部学生 ヤバネ・ジューロ
経済学部学生 ダウド・ドウナ
宗教史学部学生 ユン・ティ
理論魔法学部学生 リッツ・リロン
以上の学生諸氏は、速やかに学生課事務局に出頭すること」
ひととおり読み上げてから、ヤバネは声を低くしてひとりごちた。
「……文面でいやあ、魔法の実験をするからそれに必要な学生を呼び集めているようなんだが……にしても、なんなんだ、この一貫性のなさは……。
魔法学の実験だってぇのにまるで関係のない学部の学生を無節操によんでるし……学長はともかく、国王庁の印までおしてある大仰さがどうにもげせねえ……」
まず、「学術実験」に「王命」が使用されることが、異例だし異様だ。
「おまけに、シャルアリアラ・シャルファフィアナっていったら旧帝国の忘れ形見だし、ズジャルア・ダズルダッターっていったらダズルダッター王家の三男坊だ。
どちらも、たかだか魔法実験のためにおいそれと呼びつけられるほどの軽輩でもねえ」
この二人は、学院内でも有名人であり、同じ学生であるヤバネも名前くらいはきいたことがある。ヤバネに限らず学院に出入りする者なら誰もがその存在を知っている、セレブなのである。
四十年前に「諸王国連合盟主国国王」と覇権を競い、結果、敗れた「帝国」の忘れ形見や、諸王国の中でも五指に入る権勢を誇るダズルダッター王室の子弟が、下級貴族や平民といっしょくたに「学生」でいられることが、「王立学院」の大きな特色でもあるのだが……。
「……それに、ヤバネ・ジューロってのは、古典王朝詩学を専攻しているんだぜ? まったく、畑違いもいいところだ。
なんだって魔法学の実験に、かび臭い詩の研究をしている文系学生が呼び出されるんだか。
経済学や宗教史学の学生呼んで、いったいなんの魔法実験おっぱじめるってんだか……」
続けてヤバネは、もぞもぞと小声でぼやく。
ダウド・ドウナ、ユン・ティ、リッツ・リロンの三名の名には、聞き覚えがない。
語感からいって、ダウド・ドウナは北方の、ユン・ティは南方の名前に思える。リッツ・リロンにいたっては……流浪の民、フェンリン族の名に思えた。
「……身分も学部も違う学生を集めて、いったいなんの実験をしようってんだか……」
「旦那、詳しいんですね」
先ほど声をかけてきた職人風の男が、再びヤバネに声をかけてきた。
「一応、ここの学生だからな。学内の有名人の名前くらいは知っている。
学部も違うし、直接、面識があるわけでもないんだけどな……」
「……身分以外にも……」
不意に、話しに割り込んで来た者がいた。
体のラインが判然としない、ゆったりとした西方風の民族衣装に身を包み、顔の下半分を覆い隠すフードを纏っているが……声から判断するに、女だ。




