(3)
「チャキア、今日は星祭りに行くのだろう? 普段は寝てる時間に起きてなくてはならないのだから、少し寝ておけ」
今夜は星祭り。
年に一度、夜空の星へこの島の住民が願いを伝える祭りだ。
「え~、眠くないよぉ」
「寝ろ」
「う~っ。お母さん、時間になったら起こしてね」
横たわった虎を枕にして、チャキアは眼を閉じた。
私も虎の腹に寄りかかり、しばし休むことにした。
「……あのね、リューリック。去年の星祭りの時、チャキアは北煌星にお願いしたの……お願いはもう叶ったから、お祭りではもうお祈りしないの」
星への願いは1人1つだけ。
古くからの決まり事だと、以前祭司が言っていた。
「チャキアのとこに来てくれて、ありがとうリューリック。……おやすみなさい」
眼を瞑ったまま、チャキアは言った。
「おやすみ、チャキア」
星祭りか。
チャキアは星への願いが叶い、私が‘来た‘と思っているようだが……。
夜空の星に願うなど。
私の国では絵本の中での出来事だ。
言い伝えであり、伝説だ。
伝説、か。
私は伝説など信じなかったが、兄は違った。
兄は北方にある小さな村で<獣王>と呼ばれている特殊な虎の存在を知り。
それの心臓を喰らうと<獣王>の力を得られるという、村の言い伝えを信じた。
馬鹿げていると思った。
白い虎は確かに希少だが、稀に見世物小屋にだっているというのに。
生まれつき病弱な性質であった兄は、『獣王の力』という胡散臭い言葉に飛びついた。
鬼気迫るその眼光に、私は何も言えなくなった。
私は兄の望みのまま白い虎を討ち取り、その毛皮と心臓を持ち帰り兄に捧げた。
兄はとても喜んでくれた。
初めて、私を褒めてくれた。
それから一ヵ月後、私の手足に奇妙な痣が浮かびはじめた。
皮膚病かと思ったが、違った。
その痣が肌に浮かんでからは身体能力が異常なまでに向上し、私は戦場で大いに役立った。
兄に命じられるまま、国のために戦った。
『獣王の力』を得たのは伝説を信じ、生のまま獣の心臓を喰らった兄でなく。
伝説など全くの迷信だと考えていた私だった。
戦が終わると。
私が‘力‘を横取りしたのだと、兄は私を罵った。
体中に現れた虎のような模様が、目元にまで及んだその日。
私は『人』ではなくなった。
穢らわしいと、実の母にさえ罵られ。
地下に繋がれた。
放っておけばいつか死に、朽ちるだろうと。
一思いに剣で殺してくれと頼みたくとも、牙を持つ口から出るのは獣の咆哮。
兄は言った。
笑いながら、言った。
――浅ましく卑しいお前になど、天の門は開かれぬ。地獄に堕ちるのだ。
私は多くの人間を殺してきた。
国のために、兄のために。
そして、自分のために。
獣になろうがなるまいが。
天の門は、閉ざされていたのだ。
しだいに重くなる目蓋。
この眼を開けるのが、どうしよもなく怖かった。
想像すら出来ぬ<地獄>など、この眼で見る勇気が無かった。
次に眼を開けた時。
この眼が見たのは、君。
チャキア。
君の、笑顔だった。
ここは、生まれ育った故郷とは全く違った。
永久凍土を持つ故郷とは違う、うだるような熱帯雨林気候。
白銀の大地は、咽ぶような濃い緑と原色に変わり。
柔らかな陽射しは焼け付くような強いものへと変わった。
変わらないものもある。
太陽は一つ。
月も一つ。
そして、天を飾り輝く星は無数。
この島が故郷からどれほど遠く離れた異国の地なのか、想像すら出来ない。
故郷は懐かしいが、恋しいとは思わない。
思えない。
「……」
チャキアに気づかれぬよう、片目を少し開けた。
見えるのは、すっかり見慣れた虎の皮毛と艶やかな濃緑の髪。
穏やかな寝顔は、毎日見ても飽きることはない。
チャキア。
お前を護るためならば。
人の皮を脱ぎ捨て、喜んで獣と成り果てよう。
ここが私の生まれた世界の何処かなのか、それとも全く違う世界なのか。
もう、そんなことはどうでもいいんだ。
蛙を食おうが。
葉の浮かぶ濁った湯に入ろうが。
まあ……昆虫だけは、未だに食えないが。
ここでの生活も。
この世界も。
呪われたこの身を。
その腕で抱きしめてくれる、君の傍なら。
「……悪く、ない」
この世界には、君がいる。