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天に咲く島  作者: 林 ちい
約束のはじまり、の日。
2/7

後編

「チャキアもべチテちゃんみたいに、赤ちゃんが欲しいなぁ~!」


 黒と見紛うほど濃く深い、大きな緑の瞳が私を見上げた。

 不必要なまでにそれは輝く。

 希望に満ちた、未来をとらえて。

 きらきらと。


「……チャキアは子供が欲しいのか?」


 まぶしくて、私は眼をそらした。


「うん」


 まったく、何を言い出だすかと思えば。

 子供が子供を欲しがるなど……。


「赤ちゃんって、ぽにゃーとしてふにーっとして甘いにおいがして、可愛いんだもん」


 ああ、なるほど。

 人形感覚か。

 やはりまだまだ子供だな。


「チャキアには、まだ無理だ」


 赤ん坊は玩具じゃない。


「どうして?」

「……それは……」

 

 以前の私なら言ったであろう言葉を、飲み込んだ。

 同世代が母になる社会に生きてきたこの少女に、‘お前自身が子供だから‘とここで言うのは酷な事だと思うからだ。

 酷な事だと……少女の心は柔らかで傷つきやすいと、私は知った。


「……あの娘は嫁いだ。だから子供ができたんだ、結婚していないチャキアには子供は出来ない。理解したか?」


 誰もが思いつくであろう、なんのひねりもない無難な答えを口にした。

 これでこの話題は終わりにしたかった。


「え? べチテのお姉さんは、お嫁さんになる前に赤ちゃんがお腹にいたよ!?」


 な。

 なんだとーっ!?


「前になんでっておじいちゃんにきいたら、そのうちリューリックが教えてくれるって……きくの忘れてた! ねぇ、なんで?」


 邪気の無い笑みを浮かべて言うチャキアの姿に、私の脳内は混乱した。


「リューリック、なんで?」

「なんでって……」


 祭司。

 貴様、この私にチャキアの性教育を丸投げする気だったのか!?


「なんで?」


 チャキア、すまん。

 少々考える時間をくれ。


「そ…それは、だな」 


 がんばれ、私!

 間違っても異母弟に言ったような直接過ぎ、露骨な返答をするんじゃない。


「……それはっ」


 あんな事を無知で無垢なこのチャキアに言ったら……。

 私は性犯罪者の仲間入りを(気持ち的に)してしまう気がするっ! 


「け、結婚していなくても子供ができることがある! それは結婚したから子供ができるんじゃなくて……例えて言うと……例え……例え?」


 あれだ!

 あれだな、定番の。

 りんごの実だ!

 子供に説明するのに適している!

 が。

 ここにはりんごの木が無い。

 こういうデリケートな質問には、身近にあるもので例えるべきだろう。

 よし、へちまにしよう!

 へちまは村でも栽培しているので、チャキアはへちまを知っている。


「チャキア。へちまには雄花と雌花があるのを知っているか? へちまのように人げ……うわっ!?」


 チャキアの頬が、ぷくっと膨れた。


「へちま~っ!?」


 不満丸出しの声をあげながら両手で私を突き飛ばし、押し倒した。

 その予想外の行動に、大問題を考え中だった私はチャキアの力でなんなく砂に背をつけ預けることになった。

 そんな私の腹にまたがり、小さな拳が私の胸を連打した。


「違う、チャキアはへちまじゃないっ! べチテちゃんがリューリックにお願いすればいいって、教えてくれたんだから! お願い、リューリック! チャキアも赤ちゃんが欲しい!!」

「チャ……チャキアッ!? 何言ってっ」


 勘違いするな、私!

 子供のたわごとだ。

 深い意味など無い。

 私と結婚したいと言ったわけでも、私の子を望んだわけでもない。


「チャキアも、赤ちゃんが欲しい」


 胸を叩いていた手が私の顔へと伸び、頬にそえられた。


「リューリック。チャキアだってみんなみたいに赤ちゃんが欲しい、お嫁さんにもなりたい……」


 見下ろす濃緑の瞳が私を捕らえ。

 降り注ぐ濃緑の髪が私を縛る。


「チャキ……ア」


 無知とは恐ろしいな。

 この体勢で、それを言うとは。


「わ、私は……」


 承諾してしまいそうだ。

 このまま、ここで……。


 駄目だ。


「どけ」

「リューリック」


 絶対に駄目だ。

 女として扱ったら、女として見ては駄目だ。


「……だからお前は猿なんだ。私の国では淑女レディーはこんなまねはしない」


 チャキアはまだ、身体も心も幼い。


「重い、降りろ」


 私はチャキアの腰を掴み、砂の上に座らせた。

 見た目以上に、細い腰。

 力を加えたら、折れそうだ。 

 

「また、お猿って言ったぁ~……うう、ごめんなさい。顔、怖くなってるよ? 怒らないで、リューリック」

「怒ってない」


 これは怒ってるんじゃなく、困った顔だ!


「だって。べチテちゃんも、カクエちゃんも、もうお嫁さんになって赤ちゃんもいて……チャキアだけお嫁さんになれなくて、赤ちゃんもいないんだよ!?」


 さっき、なにか言われたのか。


「チャキアが皆と違う(・・)からなの!?」


 まずい。

 これはまずい。


「チャキアが特別(・・)だからなのっ!?」


 泣くぞ、これは。


「特別じゃなくたっていいのに……チャキアだって……チャキアだってみんなみたいに、お嫁になりたいのに。みんなみたいに赤ちゃんを産んで、お母さんになりた……いよぉっ……」


 あぁ、泣いてしまった。

 私は砂の上に座ったまま身をかがめ、チャキアの顔を下から覗き込んだ。

 

「……チャキア」


 涙。

 濃緑の大きな瞳から、嵐のように溢れ出す。

 私の頬や目元を落ちてくる。

 チャキアの涙はあたたかで重たく……痛かった。


 泣くなとは、言えなかった。

 私には、言えなかった。


「べ……べチテちゃんが言ったの。チャキアは特別(・・)だから、みんなと違うから赤ちゃんができなくてもいいんじゃないって、お母さんにならなくたっていいんだって……」


 なるほど、あの娘は。

 子をうらやむチャキアの言葉をきき。

 チャキアは私とすでに関係を持っているのに子が出来ないのだと勘違いして、慰めようとしたのか。

 私がチャキアと共に生活してるのは周知のことだし、チャキアが自分から風呂も寝るのも一緒だと皆に言っているからな……そう思われてもしょうがない。

 男除けになるから、放っておいたんだが。

 

「そうだ。チャキアは村の娘達とは違う」


 チャキアは12で大人になったが、司祭は嫁に出さなかった。

 司祭は外の島の人間で、婚姻に関しては村の考えとは違った。


「私の‘特別‘だ」


 司祭はチャキアは未成年(こども)だと言った。

 子を孕める身体になろうとも、13歳のチャキアは未成年(こども)なのでどんなに請われても嫁がせないと言い切った。

 次々死ぬから、次々に産ませる。

 それが当然であり必要なことである島民には、それを言える者はいないだろう。

 祭司の言葉は、この島の文化が【外】とは異なったものであると言外に告げていた。

 この天領(ティン)と呼ばれる島が、特殊な場所であることを……。


「リューリックの特別?」

「そうだ」

 

 まあ、それだけでなく。

 あれは、私へ釘を刺したのだろう。

 心配は無用だ、祭司。


「特別、だ」

「チャキアがリュ-リックの特別って、どういう意味?」


 愛しいから。

 

「チャキアは私にとって特別だ。だから、そんなに嫁にいきたいなら私がもらってやっても良い」

「え?」

「かなりの‘特別‘だぞ? 私が今までそんなことを言った女はいない」


 私は待てる。


「どうだ? チャキア、私と結婚するか?」


 チャキアは動きを止め、大きな瞳で食い入るように私の顔を凝視した。


「……リューリックが? チャキアをお嫁さんにしてくれるの?」


 らしくない小さな声が。

 不安げなそれが。

 私の想いを強くする。


「ああ。チャキア、お前を私の妻にした……してやってもいい」


 したいという言葉を飲み込んだ。

 それに気づかぬチャキアを可愛いと思ってしまったことは、秘密だ。


「妻……奥さんってこと!? それって、お嫁さんでしょ!? うん、したいです! リューリックのお嫁さんになりたい!!」


 チャキアは勢いよく立ち上がり、その勢いのまま前へと腰をおった。

 そして深々と一礼し、言った。


「チャキアをリューリックのお嫁さんにしてください!」

「……」


 いや、別に。

 頭下げさせようとかそんなつもりは全くなかったんだが。

 なんだか罪悪感すら感じるぞ。


「よし。そこまで言うなら嫁にしてやる」

「やったぁ!」


 私も立った。

 そして腕を組み、仁王立ちして答えた。

 

「ただし、16になったらだ」


 こういう場面で心のままに、素直に振舞えない自分の性格が恨めしい。

 優しく抱きしめ、甘い言葉をかけてやる…その程度のことが出来ないとは。


「え? すぐにしてくれるんじゃないの!? チャキアがれでぃーじゃないから? お猿みたいだから!?」


 お猿……なんだ、猿っ子で淑女じゃない自覚が多少はあるんだな。

 なら直せ。


「私の国では男も女も、16にならないと結婚できないんだ」


 書類上は、な。


「リューリックの国……」


 今の私には、婚約指輪を送ることは出来ないから。


「だが、約束する。私はチャキアを妻にする」


 想いの証を。

 君に捧げる。


「だから、こうして‘約束‘をするんだ」


 身をかがめ、触れた。

 手も握らず、抱き締めることもせずに。


「リューリッ……んっ?」


 君に、誓いの接吻を。


「お口とお口……これ、なに?」

「<約束>だ」


 何も持ってない私だから。

 私を、君に差し出すしかない。


 今の私にあるのは。

 この呪われた身体と、君を想う心だけ。


「やくそく……約束」

 

 チャキア。

 あの冷たい地下牢で凍えて砕けてしまった私の心を、君はその手で拾い集めて温めてくれた。


「リューリックのお口、ふにょふにょんであったかいんだね」


 抱きしめたいという思いを抑え、隠すために腕組をしたまま3歩下がった。

 少々不自然な動きになったかもしれないが、自分の唇に指先でそっと触れて不思議そうな顔をしているチャキアには気にならないようだった。

 

「ふ……ふにょふにょん? 変な感想だな、褒められてるんだかよくわからん」


 この島に来て、良かった。

 この島に来れて、良かった。


 君に出会えて良かったと、心の底から思っている。


「あのね、チャキアはリューリックが大好きなの! リューリックのお嫁さんになれるなんて、とってもうれしい!!」


 君が、大人になって。

 恋を知る時を。


「すてきなれでぃーになる! はやく16になりたい! お嫁さんになったら、すぐ赤ちゃんができるかな?」


 君が私に。

 恋してくれる日を、君のそばで待っているから。


「大丈夫だ、結婚したらチャキアにも子供が出来る」

「ほんと? チャキアもお母さんになれる!?」


 今のチャキアには、まだ子供は早い。

 私には身体を女にすることは出来ても、心まで女にすることは出来ない。

  

「ああ。チャキアの望むだけ何人でも子供を作ろう」


 チャキアが自分で成長するしかない。

 16と言ったのは、目安だ。


「子供……作る?」

「ああ、そうだ。私とチャキアの子供を……家族を作ろう」


 今のチャキアにとって。

 私は保護者であって、男じゃない……そんな気がするんだ。


 一つ屋根の下で暮らすのはよしとして。

 添い寝だけでなく、風呂に共に入ることをねだられる日々……。

 私は絶対に男扱いされてない。

 少々哀しい事実というか、なんとも情けなくなってしまうな。


「リューリックとチャキア? あれ? じゃぁ、へちまは?」


 あ。

 へちま。


「い、いや。そのっ。へちまは例えであって……」


 しまった。

 私の馬鹿。

 へちまはどうした、へちまは!


「たとえ? よくわかんない。へちまのお話はもういいいや……もこもこの赤ちゃん、楽しみだなぁ~♪」

「は? も……こ?」


 もこ?

 もこもこ!?


「つるつるの赤ちゃんじゃなくて、白くてふわふわでしましまの赤ちゃん!」


 次はふわふわなのかっ!?


「お、おい。ちょっと待て!」

 

 白い毛って……それ、絶対人類じゃないだろう!?


「チャキアの赤ちゃん、夢に出てきたんだ~。とっ~ても可愛いんだよ!?」


 夢? 

 チャキア。

 お前、まさか先読みの能力もっ!?


「お……おい、チャキア! まさか私の子はっ……」

「あの子達に会いたかったの! だからどうしても赤ちゃん欲しかったの!」 


 あの子達って……それ、複数形じゃないか!


「もこもこふわふわ~、肉球ぷにぷにぃ~、長~い尾っぽ♪ よぉ~し、チャキアはたっくさん産むぞ~!」


 に 、肉球……尾っ!? 


「チャキア。どう考えても人間じゃないぞ、変だろうそれじゃっ……」

「チャキアのお母さんももこもこだもん! だから変じゃないよ。それに島に来た時はリューリックだって、もこもこしましまだったし」


 私がここに来た時(・・・・・・)は。

 この姿ではなかった。

 地下牢に繋がれた時の私は……。


「チャ……キア。私……は」

「もこもこでもつるつるでも、チャキアはリューリックが大好き!」


 獣でも。

 人でも。


「チャキ…うわっ!? こここらっ、チャキア! いきなりくっつくんじゃないと、いつも言っているだろうがっ!」


 私の胴を抱く細い腕。

 私を見上げる瞳には、迷いが無い。


「大好き!」


 私が獣となったとしても。

 君は。

 君だけは、きっと私の傍にいてくれるのだろう。


「大好き、リューリック!!」


 繰り返されるその言葉に、心の中で私は答える。 

 今はまだ、言えないけれど。

 その時がきたら、言わせて欲しい。


 ---私も、好きだ。


「ほら、帰るぞ。手を出せ、つなっじゃなくてだな、引いていってやる」


 ---私はチャキアを愛している。


「うん! ありがとう。リューリックと手を繋ぐのって、チャキア好きなんだ~」

「そうか。もっと私に感謝するがいい、猿っ子。今夜は背だけでなく、私の髪を洗わせてやろう」

「わぁ~い! 大好き、リューリック!!」


 口にしなくても。

 繋いだ手から、この想いが君には届いているのかもしれない。


「ただし、洗髪中に私の前に回るなよ!」

「はいはい、はあ~い!」


 君が私に恋をしてくれたら。

 私は君にこの想いを伝えよう。


 だが、これはずっと秘密だな。


「はい、は1回にしろ猿っ子」

「うう~っ。は~いっ」


 私がお猿のチャキアも、けっこう……かなり好きだということは秘密だな。

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