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天に咲く島  作者: 林 ちい
約束のはじまり、の日。
1/7

前編

 海に陽が溶けてゆく。

 エメラルドグリーンの海が、徐々に南国の果実の色に変わる。

 それは熟れた実の赤さと、酸味の少ない芳醇な果肉の甘さを連想させた。

 ……美味いが種が多いのが難点なあの果実は、チャキアの好物だ。


 砂浜に腰を下ろして海を眺める私の隣には、黒と見紛うような濃緑の瞳と髪を持つ少女がいた。

 長方形の布を腰に巻き、帯をしめた緋色の衣装の裾から伸びたほっそりとした足は裸足だった。

 私も同様に、裸足だ。

 日中は太陽で熱せられている砂も、この時間になると素足にほどよい温度に変わる。

 それに靴やサンダルでの砂浜歩行は、私はあまり……砂の侵入が……あの独特のざわざわ感が嫌だ。

 

 ふと、隣に座る少女の足先を飾る爪に目がいった。

 少々伸びている。


 ーーー今夜、整えてやるか。


 そう思う自分に、心の中で苦笑する。

 この私が、他者に奉仕するなど。

 私はこの少女の望むままに毎晩髪を洗い、毎朝梳かす。

 爪が伸びれば切ってやり、やすりをかけて整えてやる。


 ーーーこんな私の姿を見たら貴女は……母上はなんと仰いますか?


 ひさしぶりに母の顔を脳裏に浮かべてみた。

 その顔にはなぜか口が無かった。


「……」

 

 私がここへ来て、4ヶ月経っていた。

 この4ヶ月で、言葉がかなり上達した。

 時間はたっぷりあったし、祭司という老人は教師として優秀だった。

 まあ、祭司以上に私が優秀であるからとも言える。

 自惚れでは無く、事実だ。

 兄上のお側に置いていただくには、優秀でなければならなかったのだから。

 

 天領(ティン)と呼ばれるこの島が、世界のどこに位置する場所なのか。

 島にはそういったことに関する書物も地図も無いようで、私には全く解らない。

 ……異世界と言われても、驚かないな。

 異世界。

 それでも、いい。

 帰れなくてもいいんだ。

 あそこにはもう、私の居場所は無いのだから。


 絶えず聞こえる穏やかな波の音に、幼い時の記憶がよみがえる。



 アニウエ コレヲ ボクニ?

 ミミニ アテテゴラン。ウミ ノ ウタガ キコエル ゾ!



 兄のためならば。

 兄の望みなら。

 なんだって出来ると考えていた私は。

 なんと愚かな子供だったのだろう。

 

 結果、どうなった?

 私は兄の役に立つどころか、疎まれ憎まれ。

 地下牢に繋がれ、飲まず食わずでもなかなか死ぬこともなく。

 それがさらに兄上を苛立たせた。

 兄上が手に入れたかった『強い命』……。

 そんな身体、私が望んでなったわけじゃない。

 心臓を喰らった兄ではなく、獣王を殺した私が呪われた。

 私は呪いだと解釈しているが、兄上はそうはとらなかった。


 兄上。

 私という存在は、あなたにとってなんだったのでしょうか?


「…………っ」


 答えが得られぬと分かっているからこそ、何度でも問いかけられる。

 もう、二度と会えぬ貴方に。

 聞けなかった問いを。

 この、胸の中で……。





 


「さて、今夜は祭司が腕をふるってくれると言っていたが……出来れば蛙と昆虫は勘弁して欲しいものだな」


 時間帯によっては岩のりや打ち上げられた海草を拾う子供達でにぎわうここも、今は私とチャキアだけしかいない。

 皆、夕餉の仕度を手伝うために家に帰ったのだろう。

 私も3食きちんと食べている。

 それでも以前より、少し痩せた気がする。

 当たり前か。

 この島での食生活のせいだろう。

 柔らかな小麦のパンどころか酸味のきいたライ麦のパンもここには存在せず、主食は米や芋。

 それにあわせる副菜もいたってシンプルなものばかり……。

 なにより菓子が無い。

 気に入りのサモアールを使い、揺らぐように香る紅茶を楽しみながらのティータイム。

 3食の他に、日に3回のティータイム。

 好きな菓子を好きなだけ食らっていた。

 一度にあれだけの量……兄によくからかわれたほどの菓子を食べていた私が、菓子のない食生活。

 あの生活を続けていたら、30前には叔父上のような身体になっていたのかもしれないな。

 元の生活に未練は無いが……菓子は惜しかった。

 あぁ、焦がしバターの香りが懐かしい。


 ここの菓子は揚げ菓子が主で、しかもココナッツ味が多い。

 初めて口にした時は独特の風味に感動すら覚えた。

 が、正直もう飽きた。

 ん?

 ここにはショコラの木は無いのだろうか?

 今度、探しに……ああ、熱い地方の植物だとは知っているがどんな見た目かは知らない。

 こんなことになるのなら、ショコラの原料・加工方法の書物も目を通しておけば良かった。

 さまざまな形や味が楽しめるショコラは、特に女性に人気がある菓子だ。

 チャキアにも食わせてやりたかった……。

 でが、あんなに好きだったホットショコラはこの地では飲みたいとは思わないな。

 山盛りのソルべのほうがいい。

 この高温多湿の島では、ホットショコラはある種の拷問に近い。


「チャキア、祭司は食材について何か言ってたか?」


 私は指を詰襟に差込み、少しだけ開けた。

 島の人間は男も女も、チャキアの身に付けているものと同じような物を着ている。

 だが、私は祭司と同じ詰襟を持つ長袖の衣類にズボンといういでたちだ。

 全身を覆おう刺青のような消えぬ刻印を隠すために長袖……というより、強い日差しになれぬ肌を持つためのものだった。

 私の身体は、隠す必要があまり無かった。 

 この島では刺青など珍しいものではなかったのだ。

 男達は呪術的な意味合いもこめ、成人するとさまざまな刺青をほどこす者が多数いるようだった。

 実際、私とよく似た獣を模した刺青を好む者も多いのだと祭司が言っていた。

 そうだとしても。

 自ら衆目に晒す気にはなれなかった。

  

「……おい、チャキア」


 自分から私をこの浜辺へと誘ったくせに、チャキアは何もしゃべらない。

 夕陽を見ようと言ってたくせに、膝を抱えたチャキアの視線は砂をいじる自分の手に向けられていた。

 変だ。

 大人し過ぎる。


「んー……なぁに、リューリック」

 

 いつもならうきゃうきゃと……かしましく、小猿のような娘なのに。

 変だ。


「腹が空いたのか?」

「え、あ……ううん」


 チャキアは私の目や髪の色を綺麗だと言うが。

 私にとってはチャキアの濃緑のそれこそが、この世のものとは思えぬ程に美しい……。

 それを本人に言ったことなどないし、言わない。

 ……言えないが正しい。


 高価で貴重なものほど、美しいモノだと考えていた自分はとっくに消えた。

 隣に座る少女は私の中にあったくだらない価値観を、見事に消し去ってしまった。

 金銭には換えられぬ、目に見えぬ豊かさがあるのだと私は知った。

 砂浜に並んですわり、2人で夕陽を眺める。

 好きな女と、穏やかな時間を過ごす。 

 それがこんなにも心安らぐものだとは、知らなかった。

 女……?

 『女』とは言うべきではないのかもしれない。

 女じゃない……まだまだ女なんて言えない。

 私の隣で膝を抱えて座るチャキアは、13歳の少女だ。

 13のわりに子供っぽく、時には猿のようなこの少女を私は好きになった。

 好きになってしまった。

 夕陽を見に行こうと私に差し出された左手を、少女の望み通りに握り返してやる余裕もなく凝視してしまうほど。

 この少女が。

 チャキアが、好きだ。

 13歳の少女を。

 私は好きになってしまった。

 今までの恋は、恋ではなかったと。

 この小さな少女が私に教えてくれた。


「あのね」

「なんだ?」


 今はまだ、想いを口にする気は無い。

 言ってしまったら。

 私は……。


「さっきね、べチテちゃんに会ったの。赤ちゃんが生まれたの……【祝福】してって言われて、してきた」 


 祝福、か。

 ここの住民はチャキアに対して信仰にも似た思いを抱いている。

 無理もない。

 大型の猛獣である虎を母と呼び、鳥と話し、気象をあてる……チャキアは普通の娘とは違うのだから。


「そうか、あの娘は無事に出産できたのか。それは良かったな」


 べチテはチャキアと仲の良い娘で、確か……15歳だ。

 私が初めて会ったときは、すでに腹が膨らんでいた。

 14で村長の息子の後妻になったのだと言っていた。

 嬉しそうに腹をさする顔は無邪気で、とても幼かった。 

 14歳で30過ぎの男に嫁ぎ、15で出産か。

 この島では16になると子供の1人や2人いても珍しくはない。


「うん。赤ちゃん、女の子だったんだよ!」

 

 女児か。

 村の女は、平均寿命が短い。

 初潮を迎えたら大人とされ、12やそこらで嫁に出される娘も多いらしい。

 そして妊娠・出産を繰り返す。

 低年齢での出産は母体にも辛く、難産が多い。

 死に至ることも多いのだと司祭が言っていた。


「ねぇねぇ、リューリック」


 砂をいじっていたはずのチャキアの左手が、いつの間にか私の袖を掴んでいた。


「チャキアもべチテちゃんみたいに、赤ちゃんが欲しいなぁ~!」


 その言葉に。


「…………なっ」


 しばし脳が停止したような錯覚に、私は陥った。

 これが俗に言う‘頭真っ白‘というものだろうか?

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