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日常

 その夜、ぼくはサキに頭を下げた。


「前に言ってた話、今からでも遅くないか」


 今日感じたどうしようもない気持ちと決別するためにはきっかけが必要だ。この衝動を忘れぬうちにぼくはケリをつけることにした。


 今までの自分を捨てることにした。


 指の隙間から、覗いては隠すように見ていたきっかけ、今からでも遅くはないはずだ。

 彼女は丸い双眸をもっと見開き、そして微笑んだ。


「もちろん、私も楽しみにしてたんだから。準備も整ってるよ」


 サキの手がぼくの頭に触れた。優しく置かれたその手は冷たかった。そのぬくもりが、なんだか嬉しくて、自然と笑みがこぼれた。



 いつものようにこぼれ落ちる朝日の眩しさで目が覚めた。カーテンを開け、そのついでに窓も開けてみる。


 昨日交わした約束が果たされているのか、すぐにでも知りたかった。山々の間から吹く風を孕んだカーテンが襲いかかるように顔に張り付いてくる。鬱陶しくまとわりついてくるそれを払いのけると、顔を出したのはいつもと変わらぬ田園風景であった。


 というよりも、あれはすべて夢の中での話で全てがぼくのでっち上げと考える方が普通だろう。


「ばかばかしいや」

期待している自分に言い聞かせるように、自嘲の笑みも一緒に出てきた。詐欺に引っかかる人の気持ちが少しは分かった。朝っぱらから高揚した気持ちは眠気を忘れさせた。ちょっとした恥ずかしさは枕をたたきつけて忘れることにした。

 ふと見上げた壁の時計は、ちょうど六時を指す。いつもより早く起きている。それほどぼくは期待していたのだろう。下の方からは母さんが調理する音が聞こえた。もう一度寝るには時間が足りないが、なるべく母さんといる時間は減らしたかった。

 やることなくベッドに横になり、天井を見上げる。電灯からたれる紐が揺れる。人生における好機もこんな感じで案外振り回されているのかもしれない。


 突然バンッと扉が開く。

「おはよう」


 よく見る顔がそこにはあった。いつも通りの朝。いや、違う。

「なに、お化けでも見るみたいに。どちらかと言えば変なのはそっちでしょ、なに枕を殴ってんのよ」

そんなことより、なぜ


「どうして、サキがここにいるんだよ」


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