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変化

 あれから二ヶ月。あっという間に時間は過ぎていった。春の面影が消え、梅雨がやってきた。そしてその長雨も足早に通過してしまい、夏の匂いが周りを取り囲むようになっていた。サキはあれから急かしたりすることもなく平生を装っていた。


 空を見上げれば、紛うことなき快晴が広がっていて、こんなのを見てしまったら学校に行くのが馬鹿らしく思えてくる。最寄り駅まで自転車を走らせる。首筋に流れる汗が風になぞられるように背中に押しやられる。春先に感じていた風が頬を撫でる感覚が恋しい。


 電車の中でいつものように夢を見る。


 終点につき雑踏に殴り起こされる。


 学校に着く。


 学校は変化を簡単に受け入れる。


 ロッカーの中に教科書を置いていくやつが増えたこと。


 扇風機が稼働し始めたこと。


 女子は大きなグループから小集団に分かれたこと。


 ゴールデンウィーク前にはしゃいでいた女子がひとりぼっちでいること。


 一人学校をやめたこと。


 ぼくが無下に暮らしている間にも環境は移り変わっていった。男子は女子の人気ランク表を月ごとに作成していたのがバレてしまい、女子に先生にとこっぴどく叱られた。しかし、なりを潜めているこの時もきっと将来の火種を育んでいるのだろう。


 時間にひき殺されぬよう食らいつく日々を、彼ら彼女らは青春の一言で昇華させてしまうのだろうか。

ぼくの悩みもそんな風に簡単に解決できればいいのに。


 欠伸を一つこぼして窓の外を眺める。校庭のトラックをかたどった白線は所々ちぎれてしまい、片づけられなかったサッカーボールはさまよっている。


 あの日から人の嫌な部分が目につくようになっていった。自分に対してはもちろん、人の行動にもいらだちを覚えてしまう。自分の苦悩とクラスのヒエラルキー、この二つが大人たちの言う若さ故の悩みと一括りにされてしまうと勝手に考えては舌打ちをする。自分は他人とは違うとは思わない。でも、明らかに同質のものではない。


 結局ぼくがこの二ヶ月間苦悩したことで得たものは、自分のことは自分でどうにかすると言う至極当たり前の自省だった。


 始業のチャイムが鳴った。全員が静かに席に着く。担任がホームルームをする間、誰一人として話をするものはいなかった。一限目、二限目と時間は過ぎていき午前中の授業は気がつけば終わっていた。弁当にありついている間も立花は絶えず話しかけてきた。椿がいないと彼は彼女の話ばかりをする。自分の感情をありったけの言葉で表現する様は子どものようでもあった。

 また、面白いことに彼は椿がいないときは「椿ちゃん」、彼女がいるときには「木梨さん」と呼ぶ。初なやつだ。


 ぼくはこれと似たような話を珠月から聞いたことがある。


 あれは小学校六年生の時だ。同級生のなかでは中学生に憧れてオシャレや恋愛をするのがステータスとなっていた。ぼくは、そんなこととは無縁だったためその手の情報は珠月が教えてくれた。以外にも彼女は多くの恋愛事情に精通していた。珠月は悩んでいたり泣いていたりすると放っておけない性分故に、いつも誰かの相談を受けていた(それを横流しにしていたことには目をつむるとする)。そこから得た情報とパターンから彼女は付き合っている人たちの見分け方を教えてくれた。


 付き合っている子はお互いを苗字で呼び合う。それが彼女の見つけた法則。

 大きな学校ではどうだか知らないが、ぼくたちのいた学校は一クラスしかないほどの規模で、下の名前で呼ぶことに抵抗など感じることはなかった。だからぼくも珠月と呼んでいた。中学生になれば、他校の子も一緒になるため名字で呼ぶようになることはあった。


 名前で呼ぶことが普通な環境のなか、あえて苗字で呼び合うのは周りの子たちに自慢したいから。そして中学生の真似がしたいから。それが珠月の考察だった。


 これの的中率はとても高かった。そのことで二人盛り上がっていた。


「おお、今日も仲がいいねお二人さん」


 汗をハンカチで拭いながら、椿はいつもの笑顔をこちらに向ける。手にはいつものカルピスサイダー。


「いつも通り実は不機嫌だけどな」


 立花は、椿とは正反対の気持ち悪い笑みをいたずらに作って見せた。人の苦労も知らないくせにとは思ったが、そこに腹を立てていてはもう末期だ。気を取り直して弁当に手をつける。最後に残った卵焼き。口の中に放り込んだ途端、広がる甘味に虚を突かれた。お茶だと飲んだものが水だったりしたみたいに想像とは異なることがあると必要以上に拒絶感を覚える。いつもは薄く塩味がするだけなのに。慌てて水筒の水で流し込む様をこれまた愉快そうに立花は笑っていた。


 恐らく砂糖と塩を間違えたのだろう。こんな些細なことからも母さんの気苦労が感じられてしまうのがなんだか遣る瀬ない。母さんとの間にある大きな空白、日に日に肥大化するそれをどうしてしまえばいいのだろう。


 「実君、(さくら)先生が呼んでたよ、多分コンクールのことについてじゃないかな」


 嬉々として話す椿のテンションに気圧されながら何のことかを思い返す。桜先生は美術部の顧問だ。この学校は変に文武両道を掲げているせいで部活への加入が強制されている。元より絵を描くのは得意だったし、桜先生も物わかりのいい人で提出期限さえ守れば基本自由参加が許されている。入るならここしかないと半ば妥協的に決めてしまったが、今のところ後悔はない。

 立花からは椿と同じ部活なことをいつも羨ましがられるが、当の彼は軟式テニス部で文化部とはかけ離れた存在である。


 ゴチャつく頭の中で確かにそれらしきことがあったなと思い出す。県が主催する小さなコンクールに出展するための公募者を決める課題が出された。多分それのことだろう。


「すごいよ、一年生で選ばれるなんて。前見て思ったけど、なんて言うかすごい丁寧で堅実な作品だった。自分のと見比べるとあまりの差になんだか愕然としちゃったな」


 嫌みのない自虐を挟める椿は大人に見えた。


 丁寧で堅実、椿の評価は正しい。実際、人に見せるものだからとかなりの時間をかけて書き上げたものだった。でも本当はこういう真面目なものは自分の好みではなかった。何か茫漠とした後悔を残しながら提出してしまった。

 それこそ、椿が描く絵はぼくの求めているそれであった。でも何がどうしてそう思うのかは判然としない。彼女自身は下手だと言っていたが、朧気な輪郭に淡い色彩が特徴的ないい作品だった。ぼくの絵なんかよりもっと想像の余地がある。そして、それを実際に描き上げてしまう技術と自信には尊敬する。美の定義なんて人それぞれだ。だからぼくは自分の描きたい絵を人に見せることができない。


 何とも言えない感情が、表情に出ていないか心配になった。二人に悟られないようにと足早に教室を後にした。

 


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