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目的

「では、詳しく話していきます。質問があれば遠慮なく手を上げて。後それなりにややこしい話だし、他言禁止なこともあるからそこは堪忍(かんにん)ね」


 サキはまるで子どもを相手にするかのように説明を開始した。長くなりそうなのでその場に腰を下ろし、見上げるように話を聞くことにする。


「率直に言って、私は試したいことがあるの。昨日話したあなたの記憶を使ってね」


 他人が入ることの許されない領域にずかずかと踏み込まれたような気がして、昨日の惨めな気持ちを思い出す。人の記憶をなんだと思っているんだ。


 「現実への干渉、それが私のしたいこと」

 自信満々の笑みが浮かぶ。これから起こることへの確信満ちた顔。


「君の記憶の中にある彼女に関する情報を使って、今の彼女を想定し作り上げる。でも、タダでとはいかないよ」


 ここからが重要だと言わんばかりにサキの目に力がはいる。


「私はね、君の世界に私の存在を知らしめてやりたいの。有名になりたいとかじゃなくて何か爪痕を残すようなことをね。自己満足の芸術ってやつかな」


「そのために何か協力しないとだめなの」


「そのとおり。でも、君にとってもそれは必要なことだからそこまで気負うことでもないよ」


 考えようにも頭がうまく回らない。きっと詐欺とかもこんな風なのだろう。なんでもない、たいしたことないと言いながら後々に無理難題を押しつける。フット・イン・ザ・ドア。世の中で跋扈している常套手段。    

 淡々と語るにはあまりにもリアリティに欠ける話だ。さきほどのことからも自分が弄ばれているような気がするが、これ以上話の腰を折るわけにもいかない。黙ってサキの瞳を見つめる。


「例の少女からある言葉を引き出すこと。どんな言葉かは言わないけど、それは後々分かってくると思うから」


 思っていたよりも優しいなと思ったが、ある可能性が浮かぶ。


「それって、愛してる、とか、君が好きだ、とかじゃないよな」


 この場合、ぼくにとって抵抗が大きい。ぼくらの関係はそういったものではなかった。ぼくは少なからず彼女に好意を持っていた。しかし、どちらかと言えば彼女がぼくに注いでくれた優しさは無機質で透明なものだった。情愛や恋心から来るものではない、だからこそぼくは疑うこともあきれられて相手にされなくなる恐怖も感じずにいれたのだ。

 名前のない関係。いや、名前を付けられなかった関係。それが世の中にある雑多な関係にカテゴライズされることに耐えられるのかぼくには分からない。割り切ることができるのなら、それはきっと好きに分類されるに違いない。ただぼくがそれを許さないだけで。


「そんなありきたりな言葉で満足する私じゃありません」


 自慢げに胸を張って答える。それならいい。

 それからはお互い考え込むように顔を下に向け、静かな時間が経過した。頭の中はサキに言われたことが反芻されるばかりで心地のいいものではなかった。サキも何か悩んでいるようで、顎先に手を当て、一点を見つめている。


松浦(まつうら) 珠月(みづき)、それが彼女の名前」

 その名前を聞いた瞬間、とりたてて大きな衝撃はなかった。ただ、口の中でその名前を転がすたびに懐かしさを感じた。

 小学校の二階にあった図工室、乾いた塗料とほこりっぽい空気が鼻をつく。思い出が美化されるというのは本当のようだ。絵の具の飛び散った後や割れたパレットが隅に寄せられている様子でさえ劇の小道具かのように意義を見いだされていた。

 珠月はぼくに気を遣って人気のないところで話をよくしてくれた。ぼくはそんな彼女に対して申し訳なさよりも、楽しいという感情の方が先行していた。


 初めて珠月の名前を言葉にできた日、彼女はもう一回と無邪気にはしゃぎたてた。


「実君の言葉には特別な力がある」普通には声の出せないぼくという人間の言葉に価値を見いだした。その言葉がとてもうれしかったことを思い出す。これからぼくの言葉に対する執着が生まれたと言っても過言ではない。


 これほどに大切な思い出をぼくはなぜ忘れていたのだろう。


 なぜだろう


「どう、合っているでしょ」


 サキの声が遠くに聞こえる。


 ここに来て卑怯だ。後出しに彼女の名前を出してくるなんて。さっきまでの疑いの念は簡単に傾いていく。


 本当にサキは嘘をついていないのかもしれない。


 疑う気持ちが揺らいでいく。もしそうならばどれだけいいだろう。だけれど、すべてが嘘であったときに耐えられるほど、ぼくは強くあれない。


「君は憧れの人に会える、私は夢を叶えられる。Win-Winな話だ。まぁ、初めての試みだからイレギュラーなことが起こるだろうけど、それは後々考えていくとして。どう、ここは私のことを信じてみない」


 サキが手をゆっくりと差し伸べる。手を伸ばせば届く位置、目と鼻の先。

 これは確かに夢の中だと、どこか冷めた目で判断しようとする自分がいる。いつもはしないくせに、こんな時に逃げ道を探すように冷静を気取る。我ながらにあきれた。


 見上げればサキは柔らかい笑みを浮かべていた。いつもの愉快で快活な笑みではなく自然な優しさの感じられるものだ。それを見て自分が惨めに思えてきた。きっと、ぼくの臆病はサキに気づかれている。考えることばかり一人前になって、手も足も出すことができないぼくを彼女は同情している。

 心の中で舌を打つ。ぼくはサキから疑えるものを探している。腹の内にある何か重たいものが存在感を増していく。


珠月に会いたい


 しかし、今のぼくが彼女に受け入れられなかったときのことを考えると怖くて仕方なかった。あの思い出たちまでも姿を変えてしまう。思い出は綺麗なままにしておきたい。

 そうこうしているうちにサキはおずおずと手を引っ込めてしまった。下がっていく手をぼくはそれでも掴むことはできなかった。


「…臆病、なんて言わないよ」


 楽しみだー、と無理に明るい声を出しサキはぼくをおいてどこかへ行ってしまった。落とした視線が寄る辺なく揺れる。不自然なほどに手に力が入る。親指の爪が食い込む痛みさえ、今の気持ちを誤魔化すには不十分だった。すべてが好転するような不可抗力か何かを期待するまま終わっていく未来が目に見えている。


 目を閉じる。包み込む暗闇が深くなっていく。


 目を開けると朝が来ていた。親指の爪が赤く染まっている。


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