提案
誰なのか、そんなことよりも今自分がいる場所のほうが気になる。
柔らかい乳白色の壁は大きく緩やかなカーブを描いて湾曲し、それが各方面頭を合わせるようにしてこの空間はできている。所々に浮かぶ球体が微かな光をともす。比較的明るい空間にもかかわらずその光は強い存在感がある。病院とかよりも潔癖で静謐な雰囲気が漂っている。
「ここはどこなんだよ」
ぼくの問いかけに彼女は目を丸くして驚く。動揺が動きに見て取れる。怖いなんて感情は浮かばないがなんだか不安になる。
「背、高くなったね」
それがどうしたのだろう。そんなことよりも今はここがどこなのか。それを知ることのほうが先決だ。なるべく相手に不快感を与えないようにへりくだった言い方を模索するが、どうにも苛立ちから角が立つ。
「おい、聞こえないのか」
ここでやっと、彼女はぼくの声を聴いてくれた。
「ごめんごめん。ここは夢の中。君の脳内キャンパス」
夢の中。だからか、さっきから声が出るのは。特に疑うこともなく飲み込むことができるのは、ここにいる自分があまりにも自然体だからだ。通常なら誰だかわからない人を前にしてこれほど強気に出られない。視線にとらえることすらできないだろう。しかしここが夢の中であればそういった関係値や脈絡を無視して行動ができているのも納得がいく。なんてすぐに納得出来るこれ自体がおかしいのだが、堂々巡りの思考になるので考えるのをやめる。
夢なら覚めてそれで終わり。
「まあそんな気を張らずに。ゆっくりお茶でもしようよ。湯のみなんてないけど」
彼女はサキと名乗った。彼女はそれ以外の身の上の話を口にすることはせず、たわいもない話をぼくに振るばかりであった。
「ねえ学校楽しんでるの」
会ってそうそう、このような話をするものなんだろうか。人とのコミュニケーションには段階があるはずなのに彼女はそのすべてをすっ飛ばしているようであった。そういった夢特有の突拍子もない世界がなんだか心地よくもあった。夢の世界の会話にすら感動を覚えるなんてどうかしている。
「楽しいよ」
「そっかー。いいな、うらやましいな」
「それでお前は誰なんだ」
「夢の中で出会う人なんてうすうす感づいているんじゃないの」
「申し訳ないことに全く思い浮かばない。友達を思い出すということはぼくにとってあまりにも縁遠いことだったから」
「なら慣れることね。それができるまでの楽しみということで」
夢の中で続きを示唆されたとしても困る。夢での出来事なんて一期一会といっても差し支えない。ぼくはそれでもどこかまた会えるのだと納得できた。だから口惜しい気持ちを抱きながらも分かったとそれ以上の追及をやめることにした。
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あれから数週間、ぼくは毎日あの場所へたどり着く。何もない無機質な空間は慣れてくればなんとも思わなくなった。目が覚める。いつも通りぼくは夢の中にいる。目が覚めるというのは適切な表現ではないかもしれないがそう言う他ない。
「おー、また来てくれたか」
背後からいつものごとく明るい声がした。
「仕方ないだろ寝たら来るんだ、どうしようもない」
振り向き軽く眉を顰める。サキは白いシャツのワンピースに身を包み、右手には体ほどのサイズの大筆を持っていた。
「なら寝なかったらいいのに」
「今後はなるべく努力してみるよ」
その言葉に彼女は相好を崩す。
未だにここの存在はよく分かっていない。
夢の中とは言うものの、まるで一つの物語のように毎夜続きが紡がれる。これまでのサキとの会話で知りえたことは彼女の名前と、ここが単なる夢の中ではないこと。
サキについてはさっぱりなことばかりだ。現実の世界において彼女のような人物に合った記憶は無い。人の夢にいつも勝手に現れ、理由を聞こうにも答えてくれない。素性については訳の分からない言い訳を連ねるばかりだ。
サキは裸足で弾むように歩きだした。
「本題に入ろうか。今日はとってもいい話を持ってきたんだ。」
世の中において、いい話の大半はろくでもない話であることぐらい十数年生きていたら容易に分かる。まさか夢の中でさえそんな危険性があるとは思わなかった。
しかし、次の言葉でぼくの考えは大きく揺らぐこととなった。
「君の憧れた少女を、現実のものにしてあげる」
妙に仰々しく話す声が鼓膜に響き渡った。その反響がやむ頃にやっと言葉の意味が分かった。頭の中にいくつもの疑問が浮かぶ。どうしてサキはそのことを知っているのか。彼女は存在していたのか。心拍が早くなるのが手に取るように分かった。驚きを悟られないように落ち着いた風を装う。
「どうしてそのことについて知っている。それに、現実にするってどういうことだ」
「おお、想像以上にいい食いつきっぷりだね」
こちらの虚勢などあざ笑うかのように口角をつり上げる。
こっちにきて、そういってサキはぼくの手を引いていく。
壁の前まで来ると、おもむろに筆を振り始めた。そして、その動きに反応するかのように壁に波紋が広がり、何かが浮かび上がってきた。霞がかったそれらは徐々に姿を現し始めた。
ぼくは息をのんだ。そこには確かにぼくの見たものが映し出されていた。
「これは今日の君の記憶。大体十一時ぐらいかな」
既視感とはまた違った感覚、追体験と言うべきだろうか。今日ぼくが見ていたものがそのまま投影されている。
「夢っていうのは記憶を基に作られるの。記憶を紡ぎ、生ける人間の特権、それが夢。そして、私はこんな感じで記憶に触れることができるの。新しいほど明確で古いほどぼやけて見える。でもね、例外もあって大切な思い出とかは劣化しないで綺麗なまま残るの」
口を開けたまま辺りを見回す。信じられないの一言だけが浮かび上がる。
「そのなかでも一際綺麗なものがあったから覗かせてもらったの。そしたらなんと同じ子との思い出ばかり。だから知ってるの」
からかうように笑う。
「安心して、いつも覗いてるわけじゃないから。今日はちょっと魔が差したの」
そんなサキ相手に、感情を取り繕うのを忘れてぼくは質問を繰り返す。
「と言うことは、やっぱり彼女は存在していたの」
「それは保証できない。私が言えるのはその思い出があることだけ。イマジナリーフレンドと遊んだ記憶だって思い出として保管されるというのなら、このことだけで判断するのは尚早だと思う。いたのか、いなかったのか、そのことは今は重要じゃない」
なにか隠し事をしている風に話すサキに少し不信感を覚えてしまう。こちらが口を開く前に矢継ぎ早に進める。
「私にだって分からない部分はあるのよ。それに君の記憶しか私には情報を得る術がない。だから、もし彼女が存在していた場合は、いなくなった理由を君自身が見つけないといけないの。でも、それは後のお話」
そのことは理解できる。ぼくは何か粗を探すように彼女の話の内容を繰り返し考える。そして、なおさらこのおかしな話に疑問が浮かぶ。
サキが一体どこから来ているのかは分からないが、こんな変なことが普通の人間にできるわけがない。
「まあ、細かいことはまた明日話すよ。突然こんな話されても理解できないよね」
ぼくの態度が気に食わなかったのか、はたまた今のままでは理解されないと悟ったのか、またねと顔を向けぬまま左手を高々と振り上げて去って行く。
正直何一つ信じる気になれなかった。自分から話を振ったくせに詳細については曖昧なことばかり言う。そんなサキの態度に自分の大切な記憶をからかっているのかと腹が立つ。
「存在したのか、知っているんじゃないか」
サキの背中に言葉をぶつける。サキの足が止まる。挙がった左手は芯が抜かれたようにだらりと落ちる。振り返った瞳には夜が広がったかのように澄んだ色をしていた。
「さあね」
初めて聞いた静かな声だった。




