夏の訪れ
もうすぐゴールデンウィークが始まるからだろうか、教室は高揚感で満ちていた。春も去ってじわりじわりと暑さが強くなっている気がする。その変化に適応できていないせいか、頭がぼんやりとしている。
高校生活が始まって一ヶ月しか経っていないにもかかわらず、クラスのなかには中学校の時と似たような雰囲気が蔓延し始めている。女子たちはそれを感じてか、授業が終われば友だちと顔をつきあわせて、あくせくと予定を作っている。予定帳の空白に怯えるかのようにペンを走らせ、その度に満足げな顔をする。
ぼくにとってはまだ一ヶ月だが彼女たちにとってもう一ヶ月、そろそろ力関係とかが決まってくるのだろう。高校生は大変だ。自分の席で本を読む時間などないのかもしれないが、ぼくには関係のないことだ。
「みなさん頑張っていますな」
そう呑気にいいながら達観するかのように立花走は振り返る。
「進学校といっても生き方が下手くそだ」
ニヤッと笑う。この仕草を一ヶ月見てきたが、不思議と嫌な気にはならない。そして、彼はそんな年寄りの独り言みたいな言葉をはけるほど大人ではない。
「俺はあいつらとは違って外堀を埋めながら着実に計画を遂行している。ので焦る必要もなし。現実的で計画的で理想的」
誇らしげに語っているが何のことだかさっぱりだ。
五月の朗らかな陽が机に転がっている。そのなかに読みかけの文庫本を開けたまま伏せる。
県内ではそれなりに進学校で知られていて人気もそこそこある。そしてそこそこな生徒が集まる。だからだろうか、生徒の大半は勉強に部活、交友関係の三つどれもを完璧にしようとしている。
まだ一ヶ月しか経っていないのに息が上がっているような子がすでにいる。立花の言う下手な生き方がそれを示すのなら少なからず理解できる。中途半端な自分への慢性的な不信感、それを紛らわすために分散させる。一つがうまくいかなくても、もう二つのことを理由に自分を安心させる。かくいう自分も人のことを言えない。
「実もここで過ごして何か感じないか、なんか駆け引きっていうか不信感ってやつかな。校舎全体にあふれている負の感情を」
こんな調子で訳の分からないことばかり話しているから彼には人が寄りつかない。見た目が好青年が故に、大雑把な口調が悪目立ちしている。そして何より彼は会話ではなく一方的に話すだけである。だからぼくとしてはとてもありがたい。
ぼくは彼を隠れ蓑にし、平凡な高校生活を得ようとしている。
理由は簡単なことだ。ぼくは幼い頃から口がきけない。
こう言えば聴覚の病気か、はたまた声帯に異常があるのかと思われがちであるがそうではない。学校や図書館などの特定の場所、特定の人物と会話ができないのだ。病院も行ったりしたのだろうが治っていないことから半分諦めている。場面緘黙症。それが一番近い状態というべきだろうか、本で読んだ事例より大分マシではある。不便に変わりはないが。
これのせいで幼少期はろくなものじゃなかった。
特に小学生の頃は声が出せないやつは格好の獲物であった。教室の隅で本を読めば囲まれて悪態をつかれ、突っ伏しているといたずらを仕掛けられる。
共通の差別意識は団結力を高める。だから、ろくでなしの教師はそれを黙認した。子どものこういった行動は対象がコロコロ変わる。あれをいじめだと声高らかに宣言できるか、と言われれば、ぼくは口をつぐんでしまうだろう。
思い返せば、ため息が出る。
ぼくが思考している間も立花は話し続けていた。目線はこちらに向いているが意識はほとんどあさっての方向へ向かっているのだろう。
先ほどの集団から黄色い声が上がる。大して思ってもいない言葉を口にするのに違和感しかない。自分の言葉に重みも責任も持たずただただ軽い言葉を吐く。でも日常で役に立つのはきっと中身のない言葉なのだろう。少なくとも彼女たちはぼくよりも詳しいはずだ。
「そう言えば、お前の隣の椿ちゃん、クラスの男子による人気ランキング四位だってさ」
パッと意識がこちらに向いた。何かを期待するような目をしていたが、ぼくの知ったことではない。四位が上なのか下なのかも分からない。
第一、ぼくはそのランキングに参加していない。




