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街路灯、光差す

 気づけば家の門前だった。裏手にあるいつもの場所に自転車を駐める。そのまま裏の勝手口から入ると二人のにこやかな声がした。台所までいき、弁当箱を流しに置く。


「おかえり、実。今日は一輪のお寿司とったからサキと一緒に取りに行ってきて」


 こんななんでもない日にお寿司とは何事だ。それに、一輪は結構前にやめてしまった気もするが。


「もっと喜びなよ、せっかくお姉ちゃんがせがんで頼んでもらったんだから。たまにはパーッとやっちゃいましょう」


 発言がどうもオヤジくさい。そんなサキにあきれたのか母さんはこっちを向かず、背中は何かを雄弁に語っていた。

 どうせ近くの寿司屋なのだから着替える必要もなく、汗ばんだ制服で家を出た。サキはピンク色のTシャツにジーンズの短パンをはいていて、夏を体現していた。

 坂を下り、いつも通る道とは反対の方向に足を進める。一本延びたアスファルトの道から逸れて、舗装されていない田圃道を音を立てて歩く。時々転がっている半端な大きさの石に虚を突かれたような衝撃を食らう。


 盆地であるが故に見えなくなった太陽は黒々とした山の陰を残し、世界を不明瞭にしていった。かろうじて自分の手と足とサキの顔が見えるほどの明るさで、様々な情報がシャットアウトされた。一日中賑やかだった脳内に風が吹いたようだった。


「近道だからってここ通ったけど、思った以上に草が茂ってて歩きづらいし、こんなんなら児童館の前通った方がよかった」


 確かに足首から上にかけて、伸びた雑草たちは縋るように撫でてくる。こっちは制服だから問題ないが、サキは短パンだから所々切っているのかもしれない。


「そんな短いパンツ履くからいけないんだよ。もう夏本番だし蚊も(ぶと)も出てくるから、いつかやられるぞ。もっとも本人は噛まれても気にしなさそうだけど」


「私のどこをどう見たらそんなことを言えちゃうのかしら。繊細で思慮深くって、些細なことにも気が利き、圧倒的美的センスと表現力と求心力を兼ね備えた無敵人間なのに」


 何のことやらさっぱりだ。繊細以外、何の反論にもならない言葉ばかりだ。本人は言葉が返ってこないことを勝ちと捉えたようで、ご満悦に鼻歌なんか歌っている。

 田舎というのは突然、なんでこんな場所にこんな店がといった具合に居酒屋やら焼き肉屋がある。寿司屋の一輪もこれと同じで、雑木林の手前にひっそりと慎ましく建っている。細い田圃道を抜け、いっとき歩くと垂れ下がる赤提灯のほの明かりが浮かび上がってくる。外に顔を向けた室外機はやかましく回転し、店前には乱雑に立てかけられた黒い傘と二、三台の自転車が入り口を塞いでいた。がたついた引き戸を上下に揺すりながら開ける。


「こんばんわー、お寿司もらいに来ました、双海ですー」


 寿司屋といっても半分居酒屋みたいなもので、中では酔っ払いたちが叫んでいる。サキが間延びした声で店主のおじさんを呼ぶ。なんとなく記憶にある一輪は年の割に見た目が若い夫婦二人で切り盛りされている素朴な印象だ。


 出てきたおじさんの顔を見て確証を得る。間違いない。それと同時に奥さんの顔も頭に浮かぶ。記憶のあやふやな部分というのは実際の事物を目の当たりにするとそれに付随する物事さえ思い出させてくれる。閃きにも似た感覚はある種の快感を含んでいる。

 おじさんはぼくとサキにニカッと歯を見せて笑うと、ぼくはたじろぐように表情を探す。そんなぼくを尻目にサキは愛嬌のある笑顔でお久しぶりでーす、と陽気に挨拶する。カウンター席の上に置かれていた包みがそれらしく、おじさんは丁寧に両手で渡してくれた。


「それにしても一段とべっぴんさんになったもんやなー」


「おじさんも、憧れのシュワちゃんに似てきてダンディーになっとるよ」


「ほうか、なら来年の県知事選にでもでようかの」


「いいねー」


 それからお店の中はやんややんやの大騒ぎになった。酒の回ったお客はおじさんに発破をかけ、やれ県知事だの総理大臣だの大統領だのと声を荒げた。サキは酒臭い空気に酔ったみたいに手をたたき、カウンター席で揺れていた。なんだか長引きそうな雰囲気がしてきたのでサキの腕を引っ張り店の前まで連れ出す。

 来たときとは違って空には星が出ていた。山々に切り取られた空には月の光芒が一つ突き刺すように伸びていて、嘘みたいに綺麗だった。夜風に曝されて正気に戻ったのかサキは落ち着いた雰囲気で話しかけてきた。


「家帰ったらお母さんに感謝しないとね。いきなりお寿司だなんていったのにスーパーとかじゃなくてちゃんとしたお店の頼んでくれるなんて」


「なあ、サキ」


 今のうちなら何か聞けるかもしれない。


「お姉ちゃんだってば」


「お前は一体何だ」


「あんたの姉」


「なんかおかしいぞ」


「どちらかと言えば私の方が正常な気はするけどね」


 見えない顔を横目に見ながら、静かな夜道を二人歩いた。夢の中のサキと、今ここにいるサキ、似ているようで何か印象が違う。


 会話が途切れて程なく、前方から小さな光が揺れながら近づいてきているのに気がついた。坂の上から徐々に近づいてくるそれが懐中電灯の明かりであると分かり、サキもまた不自然に揺れるその光に目を細めていた。


「何だろう、あれ」


 坂の中腹にさしかかったあたりで、その主が女性であり、ひどく焦っているのが見て分かった。

「あれ、 ミナミちゃんじゃない」


 サキが指で示し、確認するようにこちらに確認する。もちろんぼくにそんな名前の友だちもいなかった。サキの友だちであったとしてもぼくが知るよしもない。そもそも彼女はいない存在だったのだから、そのサキが知っているというのはなんだか不思議な感覚だ。設定のミスのようにあり得ないことである。


「サキちゃん」


息を吐く音でかき消されてしまうほど彼女は弱々しい声でサキに抱きついた。


「どうしたの、何かあったの」

サキは彼女の手を握り自分の胸元へと大事そうに引き寄せた。ミナミは動揺した気持ちが全身に溢れて、肩を震わし、わななく足は立つのがやっとのようであった。


「実、ちょっとそこの街灯で待ってて」


 サキはそう言って暗闇に続く脇道を二人駆けていった。

 現実に組み込まれたようにサキは生活に溶け込んでいる。辻褄合わせのようにしているのであれば必ずぼろが出るだろうが、今のところ、そんなものは見られない。

 また、さっき現れたミナミという女性もサキのように追加された人物であるならば、夢の中にいたサキは何を考えて足したのだろう。今更サキのやってのけたことを疑うのは無粋であるし、珠月の家の前で感じた高揚を嘘だとも思えない。


 夜光虫がわんわんとたかっている街灯の下でじっと待つ。蛾の羽ばたきに妖艶な美しさを見いだしながら、ちゃんと自分の視覚と意識が繋がっていることを確認する。


 これは現実だ。なら、考えることは自然とサキの目的、になる。

 前提として、夢の中のサキとここにいるサキは別人である。それは話している内容からもわかるが何より雰囲気が違う。飄々としているのはどちらのサキも変わらないが、こっちのほうが底抜けに明るい。夢の中でもわけのわからないことを言ってはいたが、それに拍車が掛ったように感じる。時折見せたしおらしさや突き放すような冷たさも感じられない。

 

 つま先で地面を一定の間隔で蹴る。砂交じりの雑音を何かの足音に見立て、それが一歩一歩進んでいく姿を想像する。一人夜の下、今日思い出した過去の自分がそこにいる。その夕暮れを通過した風の匂いが不意に鼻腔に立ち込める。

 今日は朝から感情が揺らいでいる。田んぼに落とされた月のようにゆらゆらと揺れている。あやふやで、不鮮明な記憶の鱗片は、そうであるからこそ美しく感じられるのかもしれない。ふと、そう思った。完全な姿ではなく、忘れてしまったものをそこに感じるからこそ気持ちは揺さぶられるのだろう。だから今、ぼくは泣いているのだ。ぼくは何かを忘れているのだ。


 サキが戻ってくる頃にぼくの気持ちは幾分かの冷静さを取り戻していたが、これが昼間であったなら、一番見られたくない顔を、一番見せたくない相手に見せるところであった

 戻ってきたサキは何事もなかったかのようにまた帰路を歩き始めた。一緒にいるはずのミナミという女性はどこかいってしまったのか姿を見ることはなかった。


「そういえば、お寿司って何が入ってんだろう。実、あんた見た」


「見てない」


 声が変に震えたように思えたがサキは気に留めることもなく、風呂敷に包まれたお膳の中を覗こうとしている。


「実は下支えて、風呂敷解くから」


言われたとおりに下に手を添え、サキは慣れた手つきで薄い紫色の風呂敷を解いていく。


「何が出るかな、何が出るかなー」


 夏休みによく聞いたお昼の番組のフレーズをまねるかのように、重厚な感じの漆が塗られたお膳の蓋を開ける。 


「…やられたな」


 思わず笑いそうになってしまった。


「なにこれ」

 現実と受け止めきれないようにサキはまじまじと中身を見つめる。そこにあったのは紛いもなく寿司ではあった。母さんは嘘をついてはいなかった。しかし、巻き寿司であるとは想像していなかった。


「そりゃないよ、母さん」


「でも、マグロも入っているし、嘘はついてなかったな。一本取られた」


 外に出る前、こちらを振り向かず、早くいってほしそうにしていたのはそういうことだったのかと納得する。サキは最高裁待ったなし、と今日何度目かわからない意味不明な言葉を挙げながら暗い夜道をかけていった。


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