第7話 腕の中で
桐生蒼真が自身に指定された個室の前に立つと、
廊下の照明がわずかに明るくなった。
扉の横には小さな電子パネルがあり、
そこに**「ROOM 07」**と表示されている。
ゆっくりとノブに手をかける。
ギィ……
重たい音を立てて扉が開いた。
中は、思った以上に狭かった。
六畳あるかないかほどの四角い部屋。
壁はコンクリートむき出しで、
灰色のざらついた表面がむき出しになっている。
塗装もされておらず、
所々にひびや汚れが見えた。
天井には一本だけの蛍光灯。
白く冷たい光が、
部屋全体を無機質に照らしている。
わずかにチカチカと瞬くその光が、
落ち着かない空気を作っていた。
右側の壁には――
簡易ベッドが置かれている。
金属パイプで組まれた安っぽいフレーム。
その上に薄いマットレスが一枚敷かれているだけだった。
表面の布地はくすんだ灰色で、
長く使われているのか小さな毛玉が目立つ。
ベッドの横には、小さな机があった。
金属脚に合板の板を乗せただけの粗末な作り。
引き出しを開けると、
ファーストエイドキットが入っていた。
消毒液に包帯――
少々の怪我なら対応出来そうだ。
(殺される可能性が高いこの状況じゃ、
ただの気休めだな……)
机の上には――
プラスチック製のコップや、
水の入ったペットボトル。
ビニール袋に入った簡単な非常食。
それだけだった。
壁際にはもう一つ、ロッカーのような細い収納棚が立っている。
扉はなく、中の棚板がそのまま見えていた。
そこには、折り畳まれた薄い毛布、タオルが数枚置かれている。
まるで避難所の備品のような簡素さだ。
蒼真は部屋の奥まで歩く。
ガラス扉で仕切られたユニットバスが見えた。
床はコンクリートのままで、冷たい感触が靴底越しに伝わってくる。
そして――
ベッドから正面の壁。
そこに取り付けられていたものを見て、蒼真は足を止めた。
黒い球体の監視カメラ。
天井の角に設置され、レンズがこちらをじっと見下ろしている。
赤い小さなランプが点滅していた。
つまり――
ここでも見られている。
「はぁ……これじゃ囚人だな」
蒼真はゆっくりと落胆の息を吐いた。
おぞましいゲームの会場となっている廃墟の夜は、
驚くほど静かだった。
監視カメラ付きとはいえ、
一人きりの空間を手に入れたからだろう。
蒼真は、部屋の扉をそっと開けて廊下に出た。
白い蛍光灯だけが天井に並び、
無機質な光が長い通路を淡く照らしていた。
目がさえて、眠れなかった。
ベッドに横になっても、頭の中には昼間のゲームの光景が繰り返し浮かぶ。
悲鳴。
血。
もう動かない身体。
そして――
神崎の冷たい目。
掴まれた腕。
蒼真は廊下の壁にもたれ、静かに息を吐いた。
「……」
こんな場所で、眠れる方がおかしい。
その時だった。
足音が聞こえる。
規則正しい、迷いのない歩き方。
蒼真は顔を上げる。
そして、すぐに分かった。
「……神崎」
暗い廊下の向こうから現れた男は、
やはり神崎蓮だった。
光沢のある黒いシャツの袖を軽くまくり、
相変わらず無表情のままこちらへ歩いてくる。
コートは部屋に置いてきたようだ。
神崎は蒼真の前で足を止めた。
「何してる」
低い声。
「……眠れなくて」
蒼真は苦笑した。
神崎はしばらく蒼真を見ていたが、
特に驚いた様子もない。
まるで、こうなることが分かっていたかのようだった。
「……お前、寝ないと死ぬぞ」
「いや、さすがに寝ないくらいで死なないだろ」
「ここでは、弱った奴から死ぬ」
淡々とした言い方だった。
蒼真は少しだけ肩をすくめた。
「神崎ってさ」
「なんだ」
「なんでそんな冷静なの?」
神崎の視線がわずかに動いた。
「普通さ……」
蒼真は廊下の床を見ながら言った。
「もっと、怖くなるだろ。
いきなりこんな、ひとが死ぬ……メチャクチャな状況…………」
沈黙。
静かな空気が二人の間に流れる。
遠くで機械の低い音が響いていた。
神崎はゆっくりと壁にもたれた。
蒼真のすぐ隣。
距離は、腕一本分もない。
蒼真は少しだけ驚いた。
神崎は普段、
必要以上に近づかない男だったからだ。
「……怖いと思ったら死ぬ」
神崎が言った。
「え?」
「このバカげたゲームは、迷ったら終わりだ」
その声は、妙に実感がこもっていた。
何度も見てきたような。
蒼真は横目で神崎を見た。
整った横顔。
長いまつげ。
そして、どこか疲れているような目。
この男は、いつも周囲を警戒している。
ほんの少しの音でも反応する。
他人の動きもすぐに読む。
まるで――
幾年も戦場で戦っている人間みたいに。
(もう、この状況に適応してる……ってのか。
それとも、やっぱり黒幕――)
「神崎」
「……」
「さっきさ」
蒼真は言葉を探した。
「助けてくれたよな」
神崎は答えない。
蒼真は少しだけ笑った。
「ありがとう。
……ってまだ、言ってなかったよな」
その瞬間だった。
神崎の視線が、蒼真に向いた。
灼けるような眼で、ほんの一瞬だけ。
そして、すぐに逸らされた。
「……勘違いするな」
「え?」
「お前が死ぬと他の奴と組まされる。
まだ御しやすそうなお前の方がマシってだけだ」
冷たい言い方だった。
でも。
蒼真はなぜか、嫌な気はしなかった。
「そっか」
「……」
「でもさ」
蒼真は小さく笑う。
「それでも助かった」
その時だった。
突然、強い力で腕を引かれた。
「——っ!?」
視界がぐるりと回る。
次の瞬間、蒼真の背中は壁に押しつけられていた。
そして。
目の前には——神崎の顔。
「声を出すな」
低い声だった。
神崎の手が蒼真の口を覆う。
「んぅっ」
大きな手が、殆ど目まで塞いでくる。
蒼真の心臓が跳ね上がる。
距離が、近すぎる。
神崎の体が蒼真に覆いかぶさるように迫っていた。
片腕が蒼真の肩を抱き込むように、
壁へ押さえつけている。
(いきなり何だよ!?ってか近い近い近い!)
青ざめつつ蒼真は息を止めた。
神崎の体温が、服越しに伝わってくる。
温かい。
そして、細身なのに思ったよりずっと力が強い。
押さえつけられた蒼真は少しも動けなかった。
完全に、神崎の腕の中に閉じ込められている。
数秒後。
廊下の奥から、複数の足音が聞こえてきた。
ざっ、ざっ、ざっ——
蒼真の体が強張る。
他の参加者だ。
こんな時間に、複数で動いている。
ここはかろうじて彼らからは死角になってはいるが——、
神崎は蒼真の頭を自分の胸へ押しつけた。
「動くな」
蒼真の視界は、神崎の黒いシャツで塞がれた。
顔が胸に押しつぶされる形になる。
鼓動が聞こえた。
ドクン。
ドクン。
それが誰の心臓なのか、蒼真には分からなかった。
自分なのか。
神崎なのか。
足音は、すぐ近くを通り過ぎた。
「…でさ、…」
「……あいつらまだ……るのか」
「次のゲームの情報……らしい」
「マジかよ」
「そんで……」
きれぎれに、低い会話が聞こえる。
蒼真の体は神崎に抱き込まれたままだった。
逃げ場がない。
腕は背中に回され、完全に囲われている。
神崎の顎が、蒼真の頭の上に触れていた。
髪に、わずかに息がかかる。
蒼真は思った。
近い。
近すぎる。
神崎の匂いがする。
少しだけ甘い血みたいな、鉄のような匂い。
胸の奥が、妙に落ち着かない。
足音が遠ざかっていく。
しばらくして、廊下は再び静かになった。
神崎の腕がゆっくり緩む。
蒼真は顔を上げた。
すぐ目の前に神崎がいる。
呼吸が触れそうな距離。
蒼真の喉が鳴る。
「……」
神崎はしばらく蒼真を見ていた。
その目は、いつもの冷たいものとは少し違っていた。
何かを確認するみたいに、静かだった。
「……大丈夫か」
蒼真は頷く。
でも、心臓はまだ速かった。
神崎の腕はまだ蒼真の背中にあった。
完全には離れていない。
蒼真は気づいてしまった。
この腕の中は。
意外と……安心する。
(いやいやしっかりしろ俺!
単なる吊り橋効果だ。
こいつは黒幕かもしれない。
しかも、滅多にいない美形だとしても男同士だ!
これは恐怖のあまりの動悸だ)
「……今の人たち」
内心の葛藤に必要以上に疲弊した顔つきの蒼真がごく小さく言う。
「なんで隠れなきゃいけないんだ。危なかったの?」
「……ああ」
神崎は短く答えた。
「お前が見つかったら面倒だった。
目をつけられてる。潰すなら、弱い奴からだろ」
蒼真は苦笑する。
「俺そんな弱そう?」
「弱いだろ」
即答だった。
蒼真は少し笑う。
でも、次の言葉は出なかった。
神崎の手が、まだ背中に触れている。
その体温が、妙に意識される。
蒼真は視線を逸らした。
なぜか落ち着かない。
神崎はそんな蒼真を見て、わずかに眉を寄せた。
「……どうした」
「いや」
蒼真は言葉を探す。
「……近いなって」
「…………」
神崎はゆっくり腕を離した。
でも。
その手は一瞬だけ、蒼真の肩を軽く掴んだ。
まるで存在を確認するように。
「……部屋に戻れ」
蒼真は頷く。
でも歩き出す前に言った。
「神崎」
「……」
蒼真は少し笑う。
「今のも。……助けてくれたんだよ、な?」
神崎の表情は変わらない。
「違う。合理的な判断だ」
蒼真はくすっと笑った。
「はいはい」
蒼真は歩き出す。
でも数歩進んで、ふと振り返った。
神崎はまだそこに立っていた。
蒼真を見ている。
その視線は、どこか強かった。
まるでもう二度と失いたくないものを見るように。
蒼真は胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
どうしてかはまだよく分からない。
でも。
神崎の腕の中にいたとき、
ほんの少しだけ安心したのは。
——この男のそばなら、生き残れる気がする。
蒼真はもう少しだけこの男を信じたいと思った。
まあやっとこの「デレまも」(下書き用テキストファイル名)も
ちょっとはBのLっぽいシーン入れられたかなーって思ってます。
こっからもうちょっとBL色が満艦飾すぎて恥ずかしい、
そんな展開を目指しますw




