第5話 罠
「……終わりだな」
神崎が静かに言った。
その声だけが、やけに落ち着いている。
周りの参加者たちは、まだ動けずにいたが、
やがて張りつめきっていた緊張が緩み────、
よろけて椅子やテーブルにぶつかるにぶい音や
数人が小さく吐き気をこらえるような声を立てた。
『第二ゲーム――疑心会議終了』
機械の声が、無機質に響く。
『生存者 16名』
数字だけが、画面に冷たく表示された。
その瞬間、部屋の壁の一部が音を立ててスライドした。
ギィィ……と、重い金属音。
暗い通路が現れる。
蛍光灯が点いているが、ところどころチカチカと明滅していた。
『お疲れ様でした。本日のゲームは全て終了となります。
皆様には個室をご用意させていただきましたので、
只今よりそちらでお休みください』
「やっと……休めるのか」
「……」
(個室……か。
極限状態で何人もの死を見て、なんとか生き残った。
皆、疲れ切ってるけど……、
こんな所に閉じ込められてるんだ。
とても普通に休む気にはなれないだろうな……)
参加者たちはゆっくり立ち上がった。
足取りは重い。
まるで全員、処刑台に向かうみたいだった。
蒼真も他のものに倣って、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
全身が、わずかに震えているのが分かる。
自分が震えているなどという自覚は無かったが、体は正直だった。
処刑が終わったばかりの部屋には、
まだ焦げた金属ような匂いと、
言いようのない重苦しい沈黙が残っている。
誰もが生き残ったことを喜ぶ余裕などなかった。
ただ、自分がまだ死んでいないという事実を、
どこか信じられずにいるような顔ばかりだった。
その中で。
神崎だけが、何事もなかったかのように静かに佇んでいた。
蒼真はその横顔を見る。
相変わらず感情の読み取れない表情。
白い肌に落ちる蛍光灯の光が、
どこか人間味を薄くしていた。
(こいつ……ほんとに人間?
機械でできたアンドロイドだって言われた方が納得できる……)
「行くぞ」
神崎が短く言った。
声は落ち着いている。
「……ああ」
蒼真は小さく頷いた。
二人は部屋を出て、通路へと向かう。
扉が閉まると同時に、
焦げ臭い空気が背後に切り離された。
そこから先は、広く長いコンクリートの廊下だった。
壁も、床も、天井も。
すべてが無機質な灰色で統一されている。
頭上には等間隔に並ぶ蛍光灯。
その光が冷たく床を照らしていた。
靴音だけが、やけに大きく響く。
コツ。
コツ。
コツ。
蒼真は歩きながら、
肌にまとわりつくようないやな空気を感じていた。
おまけに、寒い。
まるで地下倉庫のような温度だった。
それに加えて、鼻につく匂いがある。
消毒液の匂いだ。
病院のような、人工的な清潔さの匂い。
廃墟にしか見えないこの施設は、清潔な印象とは程遠い。
その違和感が、かえってこの場所の不気味さを強めていた。
その時だった。
突然、
神崎の手が、蒼真の腕を掴んだ。
「止まれ」
低い声だった。
蒼真は足を止める。
「えっ?」
次の瞬間。
────ガシャン!!
激しい金属音が、廊下に響き渡った。
目の前のコンクリート床が、突然崩れ落ちる。
蒼真の視界がぐらりと揺れる。
そこには────、
くらい、穴。
ぽっかりと大きく口を開けた、
真っ暗な穴が広がっていた。
底は見えない。
光すら届いていないのか、
ただ黒い闇だけが口を開けている。
蒼真は反射的に後ずさった。
背中に冷たい汗が流れる。
「な、なんだこれ……」
声が掠れる。
心臓が激しく脈打っていた。
さっきまで、自分はこの場所に足を踏み出そうとしていた。
あと一歩。
たった一歩、前に出ていたら。
間違いなく落ちていた。
蒼真はゆっくりと神崎を見た。
「なんで……」
言葉が続かない。
神崎は穴を見下ろしていた。
その表情には、驚きも焦りもない。
まるで、予定通りの出来事でも見ているかのようだった。
「言っただろ」
神崎が淡々と言う。
「……え?」
「俺を信じろ」
それだけ言うと、神崎は歩き出した。
罠の縁を避けるように、自然な足取りで。
迷いがない。
本当に、そこに罠があると最初から分かっていたかのようだった。
────背後から、複数の足音が近づいてくる。
コンクリートの通路に、
慌ただしい靴音が反響していた。
振り向くと、会議室から出てきた他の参加者たちだった。
十数人の男たちが、
固まってこちらへ歩いてくる。
まだ処刑の衝撃が残っているのか、
誰もが落ち着かない顔をしていた。
「おい、先行ってんじゃねえよ。
今のデケー音、なんだよ!」
金髪の男が苛立った声で言う。
その瞬間。
神崎が小さく舌打ちした。
「……遅い」
蒼真が振り返る。
「え?」
神崎は何も言わない。
ただ、視線を前方────さっき崩れた床へ向けた。
蒼真の胸に、嫌な予感が走る。
だが、その時にはもう遅かった。
「ちょっと待て、そこ――」
蒼真が叫びかけた。
しかし。
先頭を歩いていた男が、普通に一歩踏み出す。
────ガシャン!!
再び、凄まじい金属音が廊下に響いた。
床が崩れる。
男の足元が、一瞬で消えた。
「え?」
間の抜けた声。
次の瞬間。
男の体が、そのまま真下へ落ちていった。
「うわあああああ!!」
絶叫が闇に飲み込まれる。
続けて。
後ろを歩いていた2人の男も、避けきれなかった。
「なっ――」
「待て!!」
足場が連鎖的に崩れる。
床が落ちる。
3人の体が、もつれ合うようにしてくらい穴へ吸い込まれた。
怒号をあげながら落下していく音。
────しばらくして、
────ドン……。
遠く、鈍い衝撃音が聞こえた。
蒼真の喉が凍りつく。
真っ暗な、ふかい底。
とてつもなく深い場所で、
何かがぶつかった音だった。
通路にいた男たちが一斉に後退する。
「う、うわああ!」
「なんだこれ!?」
「床が落ちるぞ!」
パニックになった声が飛び交う。
「何が起きたんだ!?」
蒼真は答えられなかった。
ただ穴を見つめる。
闇の奥から、もう声は聞こえない。
さっきまで生きていた3人が。
たった今。
存在ごと消えた。
(……また死んだ)
その現実が、ゆっくりと脳に染み込む。
蒼真の胃がぎゅっと縮んだ。
さっき自分も。
ほんの一歩前に出ていれば。
同じ場所に落ちていた。
蒼真の視線が、ゆっくり神崎へ向く。
神崎は穴を見下ろしていた。
表情は全く変わらない。
つまらない見世物でも見せられたかのように。
蒼真の背中に、別の意味の寒気が走る。
神崎は静かに言った。
「残り13人」
その声は、あまりにも淡々としていた。
「……え?」
蒼真が聞き返す。
神崎は振り向く。
「覚えとけ」
「この場所では」
少し間を置く。
「油断した奴から死ぬ」
通路の蛍光灯が、また一瞬だけチカッと瞬いた。
蒼真は穴をもう一度見た。
底の見えない闇。
そこにはもう、何も見えない。
だが。
さっき聞こえた鈍い音だけが、頭の奥で何度も反響していた。
(ここは……)
蒼真の喉が、ひどく乾く。
(本当に……地獄だ)
その地獄の中を。
神崎は何度も訪れた、慣れた道かのように歩いていく。
蒼真は、震える足でその背中を追った。




