第28話 再会の違和感
迷宮の通路で、二人はしばらく無言で向かい合っていた。
蒼真は銃を構えたまま、ゆっくり息を吐く。
弱い照明が、神崎の輪郭を暗闇から浮き上がらせていた。
静かな気配の長身、白く端正な顔、黒い髪。
わずかな間にすっかり見慣れた姿に歩み寄る。
「……神崎」
蒼真の声が少しだけ掠れた。
神崎は答えない。
ただゆっくりと近づいてくる。
響く足音が、やけに規則的だった。
蒼真は銃を下ろした。
肩の力が抜ける。
「……なんだよ」
神崎は蒼真の前で止まる。
一歩離れた、距離。
互いの呼吸が届く距離。
蒼真はようやく安心したように大きく息を吸って、吐いた。
「……心配なんかしてなかったからな」
神崎は無言のままだった。
ただ蒼真を見ている。
黒い瞳。
深い、静かな視線。
だが僅かに感じる違和感に、蒼真は眉をひそめた。
「お前────、」
よく見ると、服がやけに綺麗なままだった。
さっきまであの怪物と戦って、ここまで駆けつけたはずなのに。
傷も、ほとんどない。
無言になった蒼真に神崎が手を伸ばした。
顎を掴んでぐい、と顔を上げさせられる。
「……っ」
蒼真の心臓が跳ねる。
神崎の目が、すぐそこにある。
だが。
その瞳を見た瞬間────、蒼真の背筋が凍った。
(……赤い?)
一瞬だけ黒の瞳の奥で、かすかに赤が閃いた気がした。
蒼真は反射的にその手を払う。
ぱんっと叩く音が妙に大きく響いた。
「……触んな」
声が震えている。
(なんだ……?)
胸がざわつく。
目の前にいる男は神崎のはずだ。
顔も、声も。
仕草も全部、同じ。
それなのに。
なぜか、決定的に“違う”。
「……お前」
蒼真は大きく一歩下がった。
「誰だ?」
沈黙。
神崎は、ゆっくり首を傾けた。
骨が鳴る。
ぎり・り……
人間の動きじゃない。
そう悟った瞬間だった。
鼻を刺す匂いが急に意識された。
甘ったるく、腐ったような匂い。
目の前の男の呼気から、発されているにおい。
蒼真の頭がぐらりと揺れる。
視界が一瞬歪んだ。
(……幻、覚?)
神崎の口元が、ゆっくり歪む。
笑った。
だがそれは、神崎の笑い方じゃない。
歯が見えた。
歪みきった、笑みとはいえないモノ。
そして────、瞳が完全に赤く染まった。
「……ァァァ────!」
声が変わる。
掠れた、獣のような声。
蒼真の背筋が一気に冷えた。
反射的に銃を構える。
だがその瞬間、
“神崎”が跳んだ。
蒼真はとっさに左へ転がる。
先ほど床に擦れてできた傷口を再度ぶつけて激痛が突き上げた。
(────ッ……!!)
ドンッ!!
床が砕けた。
さっきまで蒼真が立っていた場所に、拳が突き刺さっている。
「……くそ!」
蒼真はなんとか距離を取る。
呼吸が乱れる。
(アレは、神崎じゃない)
(敵だ)
頭では分かっている。
だが、視界がどうしても神崎の姿を映してしまう。
「……ァアァアアア……」
狂化した男が、ゆっくり立ち上がる。
赤い目。荒い息が白く霞んで消えた。
それでも蒼真の視界には────、神崎の顔が重なって見えていた。
(撃てない……)
銃を握る手が震える。
ただの敵だと分かっている。
だが、どうしても引き金が引けない。
「……くそ……」
蒼真が歯を食いしばる。
男が突進する。
蒼真は後退する。
背中が壁に当たる。
逃げ場がない。
赤い目が近づく。
腕が振り上げられた。
蒼真は反転して通路の角を曲がった。
その瞬間。
ぐらりと、足元が崩れる。
辺りの床が沈んだ。
「────っ!?」
足元がごっそりと抜ける。
暗い縦穴へと、蒼真の体が落ちた。
視界が回る。
数メートル落ちて、背中から床に叩きつけられる。
「ぐ……っ」
息が詰まり、視界が揺れた。
上を見上げる。
穴の縁に、影が立っていた。
まだ神崎に見えるが、絶対に違う存在だ。
ゆっくりと覗き込んでいる。
蒼真の胸が冷たくなる。
男は迷わず穴へ降りてきた。
ドンッ
重い着地音。
蒼真はすぐに立ち上がる。
距離はもう数メートルしかない。
男は首を傾ける。
まるで逃げ場のない獲物を確認するように。
蒼真は一歩下がる。
背中がまた壁に当たった。
上の通路に這い上がる術はない。
完全に追い詰められていた。
蒼真の肩へと、男の手が伸びる。
蒼真は腕を払い、横へ滑り込む。
だが。
次の瞬間、骨が軋むほど負傷した左腕を掴まれた。
痛みに、蒼真は歯を食いしばる。
「っ、離せ……!」
男は答えない。
ゆっくり腕を引き寄せる。
流れる血を暫く凝視していたが、ふいにそこをべろりと舐め上げる。
「!?」
ぞっとした蒼真が激しく腕を振り回して離れようとするが、びくともしない。
そのままもっと血を絞り出す気でもあるかのように男はそこに歯を立てた。
引き寄せられ、蒼真は体ごと抱きすくめられる。
その瞬間頭の奥で、ふと声が響いた。
静かな声。
感情のない響き。
《観測継続。絶望が深い程、生成は近い》
相次ぐ異常事態に蒼真はきつく眉をひそめる。
(一体なんだ。俺の中から────)
だが今はそれについて考える暇はない。
男の腕がさらに締まる。
蒼真の視界が揺れる。
逃れる術が無い。
全身が折れそうだが、何とか空いた右手で噛みつく男の顔を押し返す。
心臓が暴れる。
激痛と疲労で呼吸が荒い。
────まだ、終わっていない。
蒼真の目は、決して諦めていなかった。




