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第46話 数字

 王太子レオンハルト・アルヴェインは、ゆっくりと立ち上がった。


 大広間の視線が、一斉に彼へ集まる。


 貴族も、教会も、軍も、民衆代表も。


 そして――アリシアも。


 彼は、手元の資料を開いた。


「再編開始から六か月」


 声は、静かだ。


「税収安定率、前年度比二割改善」

「物流遅延件数、三割減少」

「地方治安指標、明確に上昇」


 ざわめき。


 数字は、冷たい。


 だが、揺るがない。


「失業者数は一時的に増加した」


 あえて触れる。


「だが現在は再雇用率が六割を超えている」


 資料を閉じる。


「これは、王家の決断だ」


 空気が、凍る。


 アルベルトの視線が鋭くなる。


「ヴァレンシュタイン公爵令嬢は設計を担った」


 逃げない。


「だが、実行を認可したのは王家だ」


 責任を、引き取る。


 ざわめきが広がる。


 教会代表が口を開く。


「殿下、それはすなわち」


「責任は、王家が負う」


 はっきりと言う。


「再編は、契約のもとで行われた」


 視線がアリシアへ向かう。


「契約を結んだ以上、

 王家はそれを守る」


 沈黙。


 王家が、公の場で明言した。


 アルベルトが、ゆっくりと立つ。


「殿下は、すべてを正当とお考えか」


「すべてではない」


 即答。


「痛みはあった」


 その言葉に、空気が動く。


「だが、痛みを避けた結果が崩壊だった」


 視線を、議場全体へ向ける。


「我々は、選んだ」


 その一言は、重い。


 アリシアが言い続けてきた言葉。


「王家は、再編を支持する」


 正式な宣言。


 ざわめきが、波のように広がる。


 民衆代表が、低く問う。


「では、もし失敗した場合は」


 レオンハルトは、迷わなかった。


「王太子として、責任を負う」


 息を呑む音。


 それは政治家としての賭けだ。


 王位継承に影響する可能性もある。


 アルベルトの指が、わずかに震える。


 想定外だった。


 ヴァレンシュタインを孤立させるはずだった。


 だが今。


 王家が盾になった。


 アリシアは、静かに目を伏せる。


 表情は変わらない。


 だがその指先が、わずかに強く握られた。


 教会代表が、最後の問いを投げる。


「殿下。

 神意については、どうお考えか」


 静寂。


 レオンハルトは、一瞬だけ空を見上げた。


「神意は、人を見捨てない」


 ゆっくりと言う。


「だからこそ、我々も見捨てない」


 理と信仰を、ぶつけない。


 包む。


 大司祭イグナスは、静かに目を閉じた。


 これ以上の攻撃は、信仰を政治に落とす。


 得策ではない。


 議長が、閉会を告げようとする。


「――最後に」


 レオンハルトが、それを止めた。


 問われてもいない言葉だった。


「この広間で、私は一度、この人を裁いた」


 大広間が、凍る。


 誰もが知っている。

 だが、誰も口にしなかったことだ。


「罪状を読み上げたのは、私だ。証拠を確かめなかったのも、私だ」


 アルベルトが、息を呑む。

 それは、政敵に渡す刃になりかねない言葉だった。


「あの裁きは、誤っていた」


 王太子が、公の場で、自らの判断を誤りと言った。


「今日、同じ場所で、同じ人を前にしている。――今度は、誤らない」


 それだけを言い、彼は席に着いた。


 アリシアは、動かなかった。


 壇の下で、握った指先が白くなっていることを除けば。


 議長が、静かに宣言する。


「本日の公開審問を、終了する」


 終わった。


 断罪は、起きなかった。


 だが。


 完全な勝利でもない。


 議場を出る者たちの顔は、様々だ。


 納得。

 不満。

 迷い。


 夜。


 王宮の廊下で、レオンハルトが立ち止まる。


「……最後のは、余計だったか」


 アリシアは、横に並ぶ。


「政治としては」


 それだけ。


「では、何としてなら」


 彼女は、すぐには答えなかった。


 廊下の窓に、王都の灯りが映っている。

 断罪の夜と、同じ灯りだ。


「……後悔は、政治じゃない」


 以前と同じ言葉。


「でも」


 以前と、同じではなかった。


「今日のは、政治の場で言ったから、政治になったわ」


 レオンハルトは、彼女を見た。


「受け取った、ということか」


「そうは言っていない」


 アリシアは、先に歩き出す。


「……忘れない、とは言っておく」


 レオンハルトは、その背中に向かって、小さく笑った。


 昔なら、拗ねた。

 断罪の前なら、聞き流した。


 今は、それで十分だった。


 王都の空は、静かだった。


 公開審問は終わった。


 再断罪は、成立しなかった。


 だが反動は、消えていない。


 数字は、守った。


 だが感情は、まだ揺れている。


 悪役令嬢は、立ち続ける。


 王太子もまた。


 ただ、その夜。

 彼女が執務室に戻ってから、最初の書類を開くまでに、

 いつもより長い時間がかかった。

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