第40話 神意
日曜の朝。
王都中央大聖堂には、いつもより多くの人が集まっていた。
再編が始まってから、教会の説教は穏やかだった。
政治には触れず、慈愛と忍耐を説く。
だが今日、空気はどこか張りつめている。
大司祭イグナスは、静かに壇上へ立った。
白い法衣が、光を受ける。
「愛しき子らよ」
低く、よく通る声。
「秩序とは何か」
誰も答えない。
「秩序とは、神が与えし流れ」
穏やかな語り口。
「人は、その流れを整えることはできる。
だが、書き換えることはできぬ」
ざわり、と空気が揺れる。
政治の名は出ない。
だが、聞く者は理解する。
「急ぎすぎた整えは、
やがて歪みを生む」
その言葉は、理屈ではない。
感情に訴える。
「神の秩序は、
痛みを含んでいる」
その一節に、何人かが頷いた。
再編は、痛みを減らした。
だが同時に、
誰かの役割を奪った。
「人の理が、神の理を超えたとき――
それは傲慢となる」
傲慢。
その言葉が、重く落ちる。
説教は、穏やかに終わった。
名指しはない。
非難もない。
だが、その日から、
王都では別の言葉が囁かれ始めた。
「再編は、神意に反するのではないか」
「人の計算で国を動かしていいのか」
一方、王宮。
「……来ました」
マティアスが、教会からの書簡を差し出す。
文面は柔らかい。
“再編の進行に対する倫理的懸念”
正式な抗議ではない。
だが、重い。
レオンハルトは、書簡を閉じる。
「直接批判ではないな」
「ええ」
アリシアは、淡々と答える。
「だから厄介」
正面からの攻撃なら、反論できる。
だがこれは、信仰に触れる。
「どうする」
レオンハルトの問いは、真剣だった。
教会は、民衆の心を握る。
対立すれば、王家の支持が揺らぐ。
「何もしない」
アリシアは、再び同じ答えを出す。
「神意と戦う気はない」
「だが、放置すれば」
「時間が経てば、数字が勝つ」
冷たい言葉だが、計算は正しい。
レオンハルトは、彼女を見つめる。
「信仰は数字で動かない」
「ええ」
アリシアは、静かに頷く。
「だから、私は信仰を否定しない」
彼女は立ち上がる。
「教会の福祉事業に、再編予算を一部割く」
マティアスが、目を見開く。
「……譲歩ですか」
「共存よ」
教会の顔を立てる。
だが、再編は止めない。
数日後。
教会の孤児院に、王宮からの資金が届いた。
名目は“地域福祉強化”。
イグナスは、報告を受け、静かに目を閉じる。
「……理で攻めてくるか」
彼は、薄く笑う。
「否定も、対立もしない」
それは、巧妙だ。
だが同時に、
信仰を政治に組み込む行為でもある。
夜。
王宮の廊下で、レオンハルトが問う。
「本当に、これでいいのか」
「ええ」
アリシアは、迷わない。
「戦えば、神意は“正義”になる」
「では今は」
「まだ、疑問のまま」
疑問は、拡大も縮小もしない。
だが火種は消えていない。
王都の空は、静かに曇っている。
再編は続く。
数字は上向き。
だが今、
戦場は“思想”へと移りつつあった。
悪役令嬢は、沈黙する。
反論せず、否定せず、
ただ、進める。
それが正しいのかどうか――
まだ、誰も断言できなかった。




