第35話 交渉の席
王都へ戻るのは、断罪の日以来だった。
だがアリシア・フォン・ヴァレンシュタインは、何の感慨も見せなかった。
王宮の応接室は、以前と同じ。
重厚な扉、磨かれた床、そして中央の長卓。
違うのは――空席がないこと。
王太子レオンハルト・アルヴェインは、正面に座っていた。
その隣には、国王。
老貴族グスタフ、軍代表、教会代表も揃っている。
誰一人として、視線を逸らさない。
「お越しいただき、感謝します」
レオンハルトが、先に口を開いた。
形式的な挨拶。
だが、その声は以前よりも落ち着いている。
アリシアは、軽く会釈しただけだった。
「条件は、拝見しました」
彼女は、淡々と切り出す。
「再編権限の一部譲渡。
税制と軍需の調整権。
一定期間の財政統制」
王太子は頷く。
「王権の一部を委ねる。
期限付きで」
「期限は?」
「五年」
アリシアは、首を横に振った。
「十年」
ざわめきが起こる。
「長すぎる」
老貴族が反射的に言う。
「五年では、構造は変わらない」
アリシアは、冷静に返す。
「延命なら五年で十分。
再編なら十年必要」
沈黙。
レオンハルトは、目を逸らさない。
「……他に」
「条件は三つ」
アリシアは、指を立てる。
「一つ。
再編中の決定に対し、王宮は公開で反対しない」
空気が張り詰める。
「二つ。
失敗時の責任は、私個人に集中させない」
国王が、わずかに眉を動かす。
「三つ。
再編後、権限は必ず王宮へ返還する」
意外な条件だった。
老貴族が、目を細める。
「……権力を握り続ける気はないと?」
「ありません」
即答だった。
「私は、王になるつもりはない」
その言葉は、嘘ではない。
レオンハルトは、静かに問う。
「なぜだ」
「王は、選び続ける者」
アリシアは、淡々と答える。
「私は、選ばせる側よ」
沈黙。
会議室の空気が、変わる。
以前のような探り合いではない。
対等な交渉。
「十年だ」
レオンハルトが、ゆっくりと告げる。
「条件を受け入れる」
老貴族が息を呑む。
「殿下……」
「責任は、王家が分担する」
その言葉は、宣言だった。
国王が、静かに頷く。
「……承認する」
その瞬間。
断罪の日に壊れたはずの関係が、
初めて“契約”として結び直された。
アリシアは、書類に目を通し、署名した。
ペンの音だけが、室内に響く。
それは、復讐の音ではない。
再編の始まりの音だ。
署名を終えた後、
レオンハルトが静かに言った。
「……あの日の判断を、後悔している」
告白のような言葉。
アリシアは、目を上げる。
「後悔は、政治じゃない」
冷たいが、真実だ。
「今、選んだことを忘れないで」
それだけを告げる。
交渉は、終わった。
だが、戦いはこれからだ。
王都の外では、噂がまた広がる。
「悪役令嬢が、戻ってきた」
「今度は、王宮を握るらしい」
評価は割れる。
だが一つだけ、確かなことがある。
――今度は、彼女は追放されない。
対等な契約者として、
この国の再編に立つ。
空席は、もうない。
責任を取る者が、
席に座ったからだ。




