第26話 条件
その男は、身なりが整っていなかった。
貴族のような華美な服装でもなく、
商人のような実用一点張りでもない。
――地方の役人。
それが、第一印象だった。
「……突然の訪問をお許しください」
男は、深く頭を下げた。
名を、ラウル・ヴェストという。
南部地方の議会で、書記官を務めていた男だ。
アリシア・フォン・ヴァレンシュタインは、宿の応接室でその男を迎えていた。
無言で、向かいの椅子を示す。
ラウルは、慎重に腰を下ろした。
「王都からではありません」
彼は、最初にそう告げた。
「……分かっています」
アリシアは、即座に答える。
王都が正式に動くなら、
こんな男を一人で寄こすはずがない。
「私は……南部の町を代表して来ました」
ラウルの声は、震えていない。
だが、硬い。
「支援を、お願いしたい」
言葉は簡潔だった。
懇願でも、命令でもない。
ただ、事実を述べるような口調。
アリシアは、表情を変えない。
「条件は?」
その一言で、
空気が変わった。
ラウルは、わずかに息を詰める。
「……条件、ですか」
「ええ」
アリシアは、淡々と続ける。
「あなた方が差し出せるものを、教えてください」
沈黙。
ラウルは、一度だけ視線を伏せ、それから口を開いた。
「命です」
即答だった。
「町の人間全員が、必死です。
働きます。耐えます。従います」
アリシアは、首を横に振った。
「それは、差し出すものじゃない」
声に、感情はない。
「命は、最初から賭け金に含まれている」
ラウルは、言葉を失った。
「私が欲しいのは――」
アリシアは、机に指先を置く。
「責任です」
ラウルは、顔を上げた。
「責任……?」
「ええ」
彼女は、ゆっくりと条件を口にする。
「南部地方の自治権を、全面的に放棄すること」
「徴税権、徴兵権、司法判断を、私の管理下に置くこと」
「失敗した場合、その責任を王都ではなく、
あなた方自身が引き受けること」
一つ一つが、
重く、冷たい。
ラウルの指が、膝の上で強く握られる。
「それは……」
「政治です」
アリシアは、即答した。
「慈善ではない」
ラウルは、唇を噛んだ。
「それでは……私たちは、
ただの支配対象ではありませんか」
アリシアは、少しだけ首を傾ける。
「今と、何が違うの」
その問いは、残酷だった。
ラウルは、答えられない。
王都に切られ、
支援もなく、
選択肢もない。
すでに、支配対象だ。
「……すぐに、返事はできません」
ラウルは、そう告げた。
「町に持ち帰り、話し合います」
「ええ」
アリシアは、立ち上がる。
「それでいいわ」
そして、最後に付け加える。
「ただし」
ラウルは、息を呑む。
「返事が遅れれば、
条件は、さらに厳しくなる」
それは、脅しではない。
事実だ。
ラウルは、深く頭を下げ、部屋を後にした。
扉が閉まった後、
マティアスが、低い声で言った。
「……冷酷ですね」
アリシアは、窓の外を見つめたまま答える。
「ええ」
否定しない。
「でも、これができないなら、
王都と同じよ」
選べない。
責任を取れない。
「救われる資格は、
“可哀想”で決まらない」
それが、彼女の政治だった。
南部の男は、
条件を抱えたまま帰っていく。
その条件は、
命よりも重い。
――責任という名の、代価を。




