第25話 悪役令嬢は動かない
王都からの街道は、今日も静かだった。
商隊の数は減り、馬車の速度は遅い。
それでも、完全には止まっていない。
――止まっていないことが、救いであり、呪いだった。
地方都市の宿で、アリシア・フォン・ヴァレンシュタインは、朝の光を浴びながら紅茶を口にしていた。
外は穏やかだ。
鳥の声がして、子どもの笑い声が遠くに聞こえる。
この街には、まだ“日常”が残っている。
扉がノックされる。
「……どうぞ」
入ってきたのは、マティアスだった。
その表情で、彼女は察する。
「王都?」
「はい」
短い返答。
「……正式な要請は、ありません」
その言葉に、アリシアは何の反応も示さなかった。
驚きも、失望もない。
予想通りだからだ。
「切り捨て案は?」
「決裁されませんでした」
「でしょうね」
彼女は、静かにカップを置く。
「選べなかった」
それだけで、十分だった。
マティアスは、躊躇いながら続ける。
「……地方では、支援を求める声が上がっています」
「王都ではなく?」
「はい。
“ヴァレンシュタインに”と」
アリシアは、わずかに視線を上げた。
「条件は?」
「ありません。
皆、ただ……助けを」
その言葉を、彼女は遮らなかった。
だが、答えも返さない。
沈黙が落ちる。
「……返事は、なさらないのですか」
マティアスが問う。
アリシアは、窓の外を見る。
街道の先。
王都へ続く道。
「返事をする必要はないわ」
穏やかな声。
「彼らは、“誰に何を差し出すのか”を考えていない」
マティアスは、唇を噛んだ。
「命がかかっていても?」
「命がかかっている時こそ、
条件は明確にすべきよ」
冷たい言葉。
だが、論理は揺るがない。
「私は、慈善団体じゃない」
アリシアは、淡々と言う。
「政治に戻るなら、
対価が必要」
それは、宣言だった。
王都では、その頃。
会議は、開かれなくなっていた。
決める人間がいない。
決めたい人間もいない。
指示を待つ官僚。
様子を見る商会。
耐えるだけの軍。
国王は、玉座で沈黙を続けている。
王太子は、執務室から出なくなった。
誰もが知っている。
――このままでは、持たない。
だが、それでも、
誰も“お願い”をしない。
一方、地方では。
ある町で、倉庫が正式に閉鎖された。
別の村で、徴税官が姿を消した。
秩序は、命令によってではなく、
**放置によって失われていく**。
宿の部屋で、アリシアは静かに本を閉じた。
「……まだ、足りない」
その一言に、感情はない。
マティアスは、息を呑む。
「ここで動けば、
彼らは“助けてもらえる”と学ぶ」
アリシアは、立ち上がる。
「それは、同じ失敗を繰り返すということよ」
窓の外を見つめ、続ける。
「私は――
この国を救いたいわけじゃない」
マティアスは、言葉を失う。
「“選べる国”にしたいだけ」
それが、彼女の本音だった。
悪役令嬢と呼ばれた女は、
まだ何もしていない。
命令も、交渉も、介入も。
それでも、
王国の運命は、
確実に彼女の沈黙を中心に回っている。
王都が“助けてください”と言える日が来るのか。
それとも、
言えないまま崩れるのか。
その分岐点は、
もうすぐそこまで来ていた。
――そして彼女は、
**まだ、動かない。**




