第19話 非公式接触
王宮の奥には、公式の記録に残らない部屋がいくつか存在する。
外交の裏。
貴族同士の腹芸。
そして――失敗を認めたくない時のための場所。
その一室で、王太子レオンハルト・アルヴェインは、一人の男と向かい合っていた。
「……本当に、彼女に?」
問いかける声は、低い。
男は王宮に長く仕える中年の官吏だった。
名は出ない。肩書きも、今日に限っては意味を持たない。
「はい。
あくまで“個人的な伝手”として」
官吏は慎重に言葉を選ぶ。
「正式な要請ではありません。
記録にも残りません」
レオンハルトは、しばらく黙っていた。
ここまで追い詰められていることを、
自分自身が一番よく分かっている。
調整官は辞めた。
代わりはいない。
地方は耐えきれず、王都は決断できない。
それでも――。
「……頼んでいるわけではないな」
自分に言い聞かせるように、彼は言った。
「助言だ。
“もし、意見があるなら”聞くだけだ」
官吏は何も言わなかった。
肯定も否定もせず、ただ一礼する。
その沈黙が、すでに答えだった。
一方、地方都市の宿。
アリシア・フォン・ヴァレンシュタインは、窓際の椅子に腰掛け、書を読んでいた。
内容は歴史書。王国建国期の行政記録。
そこに、控えめなノックが響く。
「……どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは、マティアスだった。
その表情を見た瞬間、彼女は察する。
「来たのね」
「はい」
マティアスは、短く答えた。
「非公式です。
あくまで“意見を聞きたい”という形で」
アリシアは、ページを閉じ、机に置く。
「随分、回り道をしたわね」
その声に、嘲りはない。
「条件は?」
「……ありません」
マティアスがそう告げた瞬間、
アリシアの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「でしょうね」
彼女は、ゆっくりと立ち上がる。
「お願いではない。
責任も負いたくない。
それで“助言”だけ欲しい」
淡々と、正確に言語化する。
「随分、都合がいいわ」
マティアスは、言葉を挟まない。
彼女がどう答えるかを、すでに理解しているからだ。
「返事は?」
アリシアは、窓の外を見る。
地方の街は、今日も静かだ。
王都の混乱など、ここからは見えない。
「しないわ」
即答だった。
「……完全に、ですか」
「ええ」
彼女は振り返り、はっきりと言う。
「助言もしない。
案も出さない。
会う必要すらない」
それは拒絶ではない。
**無関心**だった。
「理由を、聞かれたら?」
マティアスが問う。
アリシアは、少しだけ考え、それから答えた。
「理由は簡単よ」
静かな声。
「助けを求めていないから」
マティアスは、深く息を吐いた。
その返答が、どれほど致命的かを理解している。
「彼らは、まだ“自分たちで何とかできる”と思っている」
アリシアは、淡々と続ける。
「だから、条件も出さないし、責任も引き受けない」
机の上に置かれた歴史書に、指先を置く。
「……歴史はね」
彼女は言う。
「必ず、二度目の機会を与えるわけじゃない」
マティアスは、深く頷いた。
「では……このまま」
「ええ」
アリシアは、再び椅子に腰掛ける。
「王国が“お願い”を覚えるまで」
それが、彼女の答えだった。
数日後。
王宮に戻った官吏は、レオンハルトに報告した。
「……お返事は?」
官吏は、短く首を振る。
「ありませんでした」
レオンハルトは、言葉を失った。
「……無視、か」
「いえ」
官吏は、慎重に訂正する。
「“相手にされなかった”のだと思われます」
その一言が、王太子の胸に深く突き刺さった。
怒りではない。
屈辱でもない。
――理解だった。
自分たちは、
まだ彼女に“助ける価値がある側”に立っていない。
その事実を、
ようやく突きつけられただけだ。
王都は今、
最後の逃げ道を、自分で閉ざした。
そして、
次に残された選択肢は――
**もっと痛みを伴うもの**しか、存在しなかった。




