第12話 正しい判断
臨時調整官エドガー・ラインフェルトの初仕事は、徹底した「整理」だった。
財務局、軍需局、教会、主要商会――。
それぞれから提出された要望と報告を、彼は一つ残らず机に並べる。
量は膨大だが、混乱はない。
書類は整い、数字は揃い、矛盾も見当たらない。
「……問題は、ここだな」
エドガーは静かに呟き、一枚の書類に指を置いた。
市場への介入要請。
軍需補填の前倒し。
教会による緊急救済。
どれも、正しい。
どれも、理由がある。
そして――どれも、同時にはできない。
「優先順位を、決めなければ」
彼はそう言って、会議を招集した。
王宮会議室。
顔を揃えたのは、改革派、守旧派、官僚、軍関係者、教会代表。
全員が、自分の正義を携えている。
「まず、市場の安定が最優先です」
商会側の代表が言う。
「民心が乱れれば、全てが瓦解する」
「軍だ」
軍務官が即座に反論する。
「抑止力を失えば、内外に隙を見せることになる」
「教会を忘れてはなりません」
司祭が穏やかに口を開く。
「人々の不安を鎮めるのは、信仰です」
意見は割れるが、感情的ではない。
全員が“理屈”で話している。
エドガーは黙って聞き、やがて口を開いた。
「……どれも、正しい」
その言葉に、皆が頷く。
「だからこそ、一つずつ対応しましょう」
誰も反対しない。
反対できない。
「まずは市場。
次に軍。
教会は、その後で」
論理的で、無難な結論だった。
「異論は?」
沈黙。
エドガーは、その沈黙を“合意”と受け取った。
会議は、円滑に終わった。
だが、問題はその後だった。
市場への対応は、「検討」に入ったまま進まない。
なぜなら、資金の具体的な出所を決めていないからだ。
軍への対応は、「次回」に持ち越された。
市場が落ち着いてから、という理由で。
教会への支援は、「状況を見て」判断することになった。
――すべて、正しい順番。
だが、すべてが、止まっている。
王太子レオンハルトは、報告を受けて眉をひそめた。
「……決まったのか?」
「優先順位が、です」
「で、何をする?」
「……準備を」
その答えに、レオンハルトは言葉を失った。
準備。
それは、行動ではない。
「いつまでだ」
「混乱を招かないよう、慎重に……」
慎重。
その言葉が、彼の胸を苛立たせる。
同じ頃、王都の商会区画。
「会議は終わったそうです」
番頭の報告に、セリーヌ・アーベントは頷いた。
「で?」
「……何も、決まっていないようで」
セリーヌは小さく息を吐いた。
「正しい人を置いたのね」
それは皮肉ではない。
事実だった。
地方都市の宿。
アリシア・フォン・ヴァレンシュタインは、マティアスの報告を聞き、静かに頷いた。
「優先順位を決めたのね」
「はい。ですが……」
「何もしない優先順位」
アリシアは、そう言い切った。
「正しさは、人を動かさないわ」
紅茶を置き、窓の外を見る。
「動かすのは、恐怖か、損失だけ」
マティアスは、無言でその言葉を噛みしめる。
王都では今、
誰も間違ったことをしていない。
――だからこそ、誰も前へ進めなかった。
正しい判断は下された。
だが、王国は一歩も動いていない。
それが、
**致命的な判断**だと気づく者は、まだ少なかった。
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