第1話 断罪裁判は静かに始まる
※この物語は、
派手な復讐や即効性のざまぁはありません。
その代わり、
「決断できない政治」と
「正しさだけで壊れていく国家」を描きます。
静かに、確実に、
悪役令嬢が“いなくなった後”の世界をお楽しみください。
王宮大広間の天井は高すぎる。見上げれば、金箔で縁取られた紋章が幾重にも連なり、燭台の火が揺れるたび、獣の目のようにぎらついて見えた。
ここは祝宴の場でも、叙任の場でもない。
――断罪の場だ。
赤絨毯の中央に立つ私の足元だけ、妙に冷たい。石床が体温を奪っていく感覚は、まるでこの国が私から何かを奪うのを当然の権利だとでも言っているようだった。
左右には貴族たち。列を作り、扇子の陰で囁き合い、楽しげに私の末路を待っている。
その囁きは、波のように広間を満たしていた。
「――ヴァレンシュタイン公爵令嬢が、ついに……」
「聖女様が告発なさったのですもの。間違いなく罪人よ」
「王太子殿下もお可哀想に。あんな女に縛られて……」
あんな女。
そう呼ばれることに、驚きはなかった。私は長年、彼らにとって“都合のいい悪役”を演じてきたのだから。
視線を正面へ戻す。
玉座より一段低い壇上に、王太子レオンハルト・アルヴェイン殿下が立っていた。豪奢な衣装に身を包んでいても、目の下の隈は隠しきれていない。緊張か、怒りか、あるいは――罪悪感か。
その隣に、白い衣を纏う少女がいる。
聖女、エリス・ルミナリア。
彼女は祈るように胸の前で手を組み、憂いのある眼差しで私を見ていた。慈悲深い表情。涙の気配。周囲はそれだけで胸を打たれたように息を呑む。
……上手い。
だが、上手いのは彼女だけではない。
国王フェルディナント三世が、面倒そうに顎へ手を添えた。決断を先送りにする男の癖だ。誰かが背中を押してくれれば、あとは流れに乗って責任を薄める。そうして今日も、この場を“儀式”に変えた。
「ヴァレンシュタイン公爵令嬢、アリシア」
呼ばれて、一歩進む。絨毯の端が靴先に触れ、織り込まれた紋様が足裏から伝わる。踏んだ瞬間に、すべてが決まったような錯覚がした。
レオンハルト殿下の声は硬い。
「貴殿は、聖女エリスに対し、度重なる侮辱と妨害を行った。加えて、宮廷内での資金横流し、商会との癒着、役人への脅迫――数々の不正が報告されている」
列席者たちがざわめく。ざわめきはすぐさま熱狂へ変わり、誰もが“正義”の立会人になった。
私は微笑んだ。
普段と変わらない、薄い微笑。
否定しないのか、と誰かの視線が刺さる。
だが、否定する理由がない。
断罪されることは、すでに決まっている。
ここは裁判ではなく、祝祭だ。彼らが求めているのは真実ではない。物語の完成――“悪役の断罪”なのだ。
「アリシア様……」
聖女が、か細い声で呼んだ。周囲の貴族たちが彼女へ優しい眼差しを向け、私へは憎悪を向ける。
その対比は美しいほどに鮮やかで、少し可笑しかった。
「私は……私は、あなたを救いたかったのです。けれど、あなたは……」
涙が一筋、頬を伝った。
その一滴に、広間の空気がざわりと揺れる。
「救いたかった」という言葉は、相手を否定しながら自分を善人にする。どれほど残酷な刃になるか、彼女は知らないのだろう。あるいは知っていても、そういう“役”を与えられてしまっただけかもしれない。
私は目を伏せた。
――いいえ、違う。
目を伏せたのではない。視線を落とし、私の胸元にある小さな紋章を確かめただけだ。
ヴァレンシュタイン家の印。
それはこの国で最も重い“信用”の象徴であり、同時に、最も都合よく使われる“盾”でもあった。
盾は、叩かれるためにある。
叩かれた盾は、いつか割れる。
割れた盾は――持ち主を自由にする。
「アリシア・フォン・ヴァレンシュタイン」
国王が名を呼ぶ。気だるく、形式的に。
「王太子殿下より提出された罪状、ならびに聖女の証言により、貴殿を王太子婚約者の地位から解く。加えて、爵位は維持するものの、王都への立ち入りを禁じ――国外追放とする」
歓声が上がる。拍手すら混じる。
誰かが「当然だ!」と叫び、誰かが「聖女様万歳!」と叫んだ。
私は、その音の洪水の中で静かに息を吐いた。
――国外追放。
修道院送りではない。処刑でもない。
むしろ、予想よりも甘い。
王家は私の父――ヴァレンシュタイン公爵と完全に敵対するのを避けたのだろう。あるいは、私を殺してしまえば、この国の“金の流れ”がどれだけ止まるか、さすがに理解している者がいたのかもしれない。
だが、その程度の理解では足りない。
止まるのは“金の流れ”だけではないのだから。
「……異議はあるか」
国王が問いかける。問いかけているようで、答えなど求めていない。
全員が私を見た。
レオンハルト殿下も、エリスも、貴族たちも、役人たちも。
ここで泣けば、彼らは安心する。
ここで叫べば、彼らは満足する。
ここで反論すれば、彼らは「やはり悪だ」と頷く。
――私は、どれも選ばない。
ゆっくりと膝を折り、ドレスの裾を整え、優雅に礼をした。
それは屈服の礼ではない。舞踏会での挨拶と同じ、習慣としての動作だ。
「異議はございません、陛下」
広間の空気が一瞬だけ止まった。
誰もが拍子抜けしたように、口を半開きにする。
私は顔を上げ、王太子殿下を見た。
彼は、勝者の顔をしていなかった。むしろ、何かに怯えるように眉をひそめている。
「……アリシア、君は」
殿下が何か言いかける。
私は微笑みを崩さないまま、首をわずかに傾けた。
あなたは今、ようやく気づき始めたのかしら。
自分が勝ったのではなく――“勝たされた”のだと。
聖女エリスが一歩前に出る。白い衣が光を受けて輝き、彼女の周囲だけ神聖に見える。
彼女は震える声で言った。
「アリシア様……どうして、そんなに……平気なのですか」
平気ではない。
けれど、私は平気な顔をする。
なぜなら、怒りを見せるのは相手に“効いている”と教えることだから。
泣くのは相手に“勝った”と錯覚させることだから。
私は彼女に、丁寧に答えた。
「平気ではありませんわ、聖女様」
聖女の瞳が揺れる。周囲が息を呑む。
――ここで私は悪役らしく、彼女を刺す言葉を選ぶこともできる。
けれど、違う。
刺すのは今ではない。
「ただ」
私は、扇子も持たず、手を胸元へ当てた。
「判決を、どうぞ」
それだけ。
ざわめきが再び広間に戻り、今度は先ほどとは違う色を帯びた。困惑、苛立ち、そして理解できないものへの恐怖。
国王が咳払いをし、儀式を終わらせるように手を振る。
「よい。ヴァレンシュタイン令嬢、明朝までに王都を去れ。――以上だ」
宣告は終わった。
歓声は続いている。
けれど、私の中では、ようやく“始まりの鐘”が鳴った。
私は踵を返し、赤絨毯を歩き出す。
背中に刺さる視線が熱い。憎しみと嘲笑と、わずかな不安。
出口の扉は重く、近衛兵が開けると冷たい外気が流れ込んだ。
冬の匂い。石と鉄の匂い。王都の匂い。
私は一歩、外へ出る。
そして、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「……では、次は――こちらの番ね」
扉が閉まる。
大広間の喧騒が遠ざかり、代わりに静寂が私を包んだ。
この静寂こそが、私の領域だ。
叫ばない。泣かない。説明しない。
私がするのは――選択肢を消すこと。
彼らが気づいた時には、もう盤面は完成している。
断罪裁判は序章にすぎない。
王国は今、私を捨てたのではない。
――王国は、自分で自分の首を絞める紐を選んだのだ。
私はドレスの裾を持ち上げ、雪の気配のする夜気の中を歩き出した。
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