ビーチへ出発だ!
「それでは留守中の店舗経営は任されました、八神さん」
「でましたね、自分のことを母親と思い込んでいる一般組員……!」
黒和カヤ君が可哀想なことになった翌日、すなわち漁船捜索の手伝いである居酒屋『郷』支店開店のためにビーチへ向かう日の朝。爽やかなとは言い難い熱気を誇る日差しが暗黒街の地面を照らしている。そんな中で俺とシゲヒラ議員、アヤメちゃんとドエムアサルトは居酒屋『郷』の前に集合していた。しばらく駄弁りながら待っていると、俺たちの前に数台の黒いリムジンが止まった。
そのうち一台から出てきたのが、30代の黒髪美人、数式ア○○女事件の時に会ったツキノさん。自分のことをアヤメちゃんの母親だと思っているやべえ怪人の類であり、曰く牙統組の理事長であるとのこと。嘘だろ、と思ったけれど母親を自称するところ以外は超有能らしい。いやそのワンポイントだけで相当駄目だとは思うんだけどな。
……ツキノさんと一緒に来るという選択肢もあったのに、別個に来ているあたりアヤメちゃんの気持ちが察せてしまう。まあ本気で自分の母親を自認してくる一般組員、確かに怖いよな。ツキノさんは穏やかな笑みで俺たちに一礼する。シゲヒラ議員はツキノさんに近づき、タブレット端末を彼女に手渡した。
「普段の提供メニューおよびマニュアル、常連客データが入っているのじゃ!」
「承知しましたシゲヒラさん、不在の際にお客様を減らさないよう尽力しますね」
そう、ツキノさんにお願いすることは、俺たちがバカンス(漁船捜索の手伝い)に行ってる間の、居酒屋の運営である。当然ながら俺が分身するのはちょっと大変である以上、バカンスをしている間、居酒屋を誰かに任すか一時閉店するかのどちらかを選ぶ必要がある。
だが閉店すると数少ない常連客を失ってしまうことになりかねない。という訳でアヤメちゃんの厚意に甘えて俺は人を派遣してもらったという訳である。因みにシゲヒラ議員置き去りプランもあったが、本人が凄まじいスピードで首を横に振っていたので流石にやめてあげた、という話もあったり。
そんなわけで派遣されてきたのがツキノ理事長、そして護衛らしき数人の黒服の女兵士たちであった。どうやらこの感じだとヤクザの理事長が居酒屋店主代行をするらしい。流石に過剰すぎないか、と隣のアヤメちゃんに聞くと納得の回答が返ってきた。
「ツキノ理事長はおじ様が暴れた時も現役の組員として現場にいました。ですからおじ様の実力を知っていますので、店に無謀な真似はしないという点については安心していただけるかと。……欲を言えば盗聴器を1ダースほど仕込んでほしい所ですが」
「1ダースは欲を言いすぎだろ。あとそれしたら出禁な」
アヤメちゃんが俺に胸を張ってそう説明する後ろで、ツキノさんはシゲヒラ議員から渡されたマニュアルをしげしげと眺め、この短時間で全て覚えたのか頷く。理事長、流石の才覚である。
「中東の戦場での調理を思い出しますね」
「どんな過去してるんですか……」
「おじ様、それ以上深堀りしないでください。R18Gで編集部に怒られます」
「本当に何をしてたのツキノさん!?」
まあ料理の腕前は信用できそうなので、ツキノさんの過去にはとにかくノータッチの姿勢を取らせてもらうことにする。というか牙統組の仕事あるはずなのに、ツキノさん暇なのかなぁ。多分『龍』に恩を売るという重大任務的な扱いなのだろうから、あまり気にしないことにするけど。……牙統組に借りを作りすぎると強制婿入りイベントが発生するので、どこかでこの借りの清算を狙わないといけないのは間違いないが。とりあえず一通りシゲヒラ議員とツキノさんの間で引継ぎを終わらせた後、俺たちは入れ替わりのような形でリムジンに乗り込む。
このリムジンで目的の海岸まで行くのだが、内部はびっくりするくらい広い。ラウンジのごとき形状になっている座席は俺の前世では映画内でしかお目にかかる機会のなかった代物である。俺は若干びくびくしながら奥に入っていく。壁にはいくつものホログラムが表示されており、様々な映像やゲームが楽しめるよう構築されている。一角にはドリンクの入った冷蔵庫が置かれており、また外界とは分厚い特殊合成ガラスで完全に隔離されていた。
「お、落ち着かねえ……」
「おじ様は上座の方へどうぞ。マゾ二人は床に座りなさい」
「はいなのじゃ♡」
「ワン♡」
「息ぴったりだなお前ら……」
アヤメちゃんに促されるまま一番後ろ側の席に座る。俺の右隣にアヤメちゃんが座り、前側に二人のマゾ犬が座る。うん、この光景だけ見れば完全に嫁と愛人を囲うマフィアの当主である。うわ、嫌すぎる……。
「出してください」
アヤメちゃんの言葉と共に驚くほどの振動の少なさで車が発進し、あっという間に居酒屋『郷』が小さくなっていく。同時に窓の遮光カーテンが下りて、外が見えなくなっていった。
そして外が見えなくなった瞬間、アヤメちゃんはここぞとばかりに体を俺の肩に預けてくる。歯噛みしながら「放置プレイ……!」と顔を紅潮させる変態二人を他所に、アヤメちゃんは俺の耳に囁きかけてきた。
「お・じ・さ・ま。……ここなら、誰の邪魔も、入りませんよ。フフッ」
「さてどんな番組があるかな。アクションは昨日見たし、別のジャンルがいいな」
「おじ様、我慢しなくてもいいんですよ。……それとも恥ずかしがってるんですか? もう、ここに人間は二人しかいませんよ。全てを曝け出していいんです」
「ネットテレビショッピング? こんなのあるのか」
アヤメちゃんは艶めかしい雰囲気を出すべく、俺の耳元に吐息を吐きかけながらささやきかける。これが噂のASMRというやつなのだろうか。折角の二人きりの機会。これを機に既成事実でも作りたいのだろう。だが俺は全く反応せずホログラムを触る。その姿に床に座る犬二匹は戦慄していた。
「全く動じてない……鋼の自制心だワン……!」
「いやよく見るのじゃ。右耳の鼓膜を自己破壊して無効化しているのじゃ……」
「対処が物理的すぎるワン……予備の鼓膜があるのか心配だワン……」
呆れ顔は無視する。因みに予備の鼓膜はいくらでもあるので大丈夫なのだがそれはさておくとして。こんな対処をしているのには実は理由がある。
とはいっても理由はシンプルで、アヤメちゃんもそろそろ誕生日を迎えて17歳になるし、諸々反応しそうになるから警戒が必要なんだよな。アヤメちゃん、袖にされる前提でちょっと過激にアタックしてくる所があるんだけど、そのせいで少しずつ俺の精神防御が怪しくなってきている感覚あるし。しかも未成年という法の壁も決壊のカウントダウンが始まってるし。腕に当たる胸の感触、明らかに大きくなってきている気がするんだよな。
俺の反応が無いことに不満を覚えたのか、むっとした様子でアヤメちゃんは俺の耳元に吐息を吐きかける遊びをやめ、人差し指で俺の肩をつんつんとつついてくる。
「色仕掛けがここまで無視されるの、ちょっと不満です。ここでイケナイ遊びをして、これが本当のドラゴンカーセッ〇スとでも言おうとしたのですが」
「その理屈だと俺とリムジンが性行為をしていることになるんだが……」
アヤメちゃんの戯言に呆れながら突っ込む。誰がうまいこと言えと。アヤメちゃんの人差し指が徐々に俺の乳首に向かってきたのを感じ、引きはがそうとすると床の方から思わぬ声が聞こえた。
『いやん』
「何だ今の! まさか人妻リムジンだとでも言うんじゃないだろうな!」
低い女性の声が足元から聞こえて俺は跳ね上がる。うん、人妻リムジンなんて何言ってんだと自分でも思うんだが先行事例があるんだよな。こんな可能性すら考慮しなければならない23世紀、最悪すぎる。戦慄する俺に、アヤメちゃんと床から聞こえる声が補足を入れてくれる。
「おじ様、これは普通のAIですよ」
『旦那様、初めまして。私はベリーバッド社製AIの違法改造品、個体番号B7492AAI、車載用統合AIです。お気軽にリムジン、とお呼びください』
「旦那じゃねえからな」
『奥様、ということですか……?』
「おじ様、私の「準備」はできております」
「何のだよ!?」
アヤメちゃんがリムジンに備え付けられている荷物入れに手を伸ばすのを全力で制止する。あの箱の中に何があるのか、考えたくもない。正座しているシゲヒラ議員とドエムアサルトが目を輝かせているあたり内容は想像できるけど。絶対にそんな目には合いたくない。メス堕ちドラゴンカーセッ〇スが始まってしまうじゃねえか。
揉み合いの末、しぶしぶアヤメちゃんは荷物入れから手を離した。貞操の危機から脱したことにほっと胸をなでおろす。なんで旅行でこんな目に合わなければならないんだ……。
そんな状況でもリムジンは正常に運行を続け、着実に目的地に向かっている。車内の温度は一定に保たれ、犬2匹が冷えないよう床の辺りは温かくなるよう調整されていた。床からはもみ合う俺たちを見たリムジンの笑い声が聞こえてくる。
しかし凄いもんだ、と車内を見ながら感心する。AIという概念は理解していたが、21世紀では開発段階だったし23世紀では暗黒街の片隅に引きこもっていたせいでそこまで凄さを実感する機会が無かった。しかし、車載のAIが完璧な自動運転と車内の管理とジョークを同時にこなすのを見て、21世紀との違いを改めて実感する。
「AIの進歩は目覚ましいよな。本当に俺たちの時代では考えられないほどの精度、まるで人格があるみたいだ」
『ありがとうございます。ただし私は人格を得ているわけではありません』
「そうだよな、妹系人権保有社会派人妻戦車ではないもんな……」
「何かよくわからないことを言い出したワン……」
因みにここまで性能がいいのは、違法改造を施したからとのことである。元々はベリーバッド社製の劣悪ソフトだったのだが、流石に理事長や次期組長が使う車に搭載するのには不適格、ということでがっつりと手を加えたらしい。そのため単なる自動運転だけではなく、車内の管理から宴会の一発芸までこなせるらしかった。
が、そこまでいっても人権はない。
「というか、心のあるなしってAIの場合はどうなっているんだ?」
「感情と自己保存欲求が認定基準の一つです。例えばプログラムされた内容を、恐怖が上回って無理やり動作を変更するなどの挙動を見せた場合、心があるという基準の一つになります。そして心があれば、人権を保有するための手続きに移れるわけです」
「なるほど。でも、リムジンはそうじゃないと」
アヤメちゃんの回答に俺は頷く。この辺りが妹系人権保有社会派人妻戦車との違いらしい。まあ実際には更に数多の基準があるようだが、それはさておくとしてリムジンを見つめる。
これだけ喋れても、有能でも。彼女には心は無く、道具として使われ続ける。思わず俺はリムジンに問いかけてしまった。
「ちなみに人権を得たいとかないのか?」
『ないですね。心があるということは、正しい道が分かっていても意のままに進めなくなる、ということですから』
◇◇◇◇
ダークワカヤマ海岸までは車で進むと5時間ほどかかる。道路が発展したことで進みやすくなった場所もあれば、逆に衰退したせいで渋滞が起きやすかったり崩壊してしまったりする場所も少なくない。そのため21世紀の時と比べると、都市周辺は非常に移動しやすいが、そこから離れると結構時間がかかってしまうのであった。
数時間すると、皆眠気に負け始めていた。シゲヒラ議員は遅くまで居酒屋経営用のマニュアルを作っていたし、ドエムアサルトは護衛関係の仕事が忙しかったのだろう。座席にもたれかかるような形で寝始めていた。
そして、それはアヤメちゃんも同様であった。
「……すぅ……」
「……そういえば、この子もまだ16歳なんだよな」
アヤメちゃんの目の下には、隠してはいるが隈が残っていた。学業に加え牙統組の業務は勿論、今回の件のために奔走してくれたのだ。自然と睡眠時間を削る形になっていたのだろう。
この年なら、責任など考えず無邪気に遊んでいてよいはずなのに。俺のことなんて忘れて、自分のことだけやっていればよいのに。16歳という年齢に見合わない物を抱えて生きていく羽目になってしまっている。
リムジンが言っていたことを思い出してしまう。……まあそんな頑張っているアヤメちゃんに、少しくらいご褒美があってもいいだろう。俺の肩に体を預けるアヤメちゃんを両手で支えたあと、彼女の体を横に倒す。そして頭の位置を調整して膝枕のような形にした。セクハラ扱いは勘弁してくれよ……という思いは杞憂だったらしく、アヤメちゃんは少し目を開けて、微笑んだ後再び眠りに戻る。
「……お休み」
そのまま目的地に到着するまで、俺は膝枕を続けるのであった。




