シアンの探し人
翌日朝。依然漁船についての連絡はなく、暇だった俺は店前の清掃を行っていた。
10月といえば秋だった記憶もするのだがそれは遠い過去のこと。今や10月でも30度を超える日は少なくない。朝の生ぬるい風が暗黒街の路地を駆け抜ける。
居酒屋『郷』は暗黒街の片隅にある。それ故に周辺に人影はない。ひび割れたコンクリートの道路の横には無数に立ち並ぶ廃墟があり、かつてカーテンだった布切れがひらひらと動いている。
遠くからは車の駆動音や変質者の喘ぎ声が響き、俺の背後からは『ドエム体操第一、手足を伸ばして関節を痛めつける運動~』などというふざけた音声が聞こえてくる。お前の体、こういう運動いらない気がするんだけどな……。
そんなことを思いながらちょっとしたテストをしていると、向こうから見覚えのある人影が見えてくる。色褪せたコートを着た背の高い青年がこちらを見てにこりと笑いながら話しかけてきた。
「これは、マスターさんお久しぶりです」
「相も変わらず貧乏そうだなシアン」
こいつはシアン、まあ端的に言うと国家の犬だ。資本主義が極まったこの時代においてこいつら公安の居場所は無く、少ない資金と頼りない権力で支えられた哀れな雑魚だ。公務員が安定なんて時代は終わったのである。
一方でそんな状況だからこそ公安が信用できたりするんだけれど。だって絶対俺に勝てないから。裏切った日には公安のバーベキューを開催してやるぜ。
シアンは俺の姿を見て、少し冷や汗をかきながら問いかけてくる。
「……そういうマスターさんは何をされているのですか?」
「道路を溶かして固めなおしてるんだ、ブレスでな」
「人間を自認するの、ようやく辞めたんですね……」
失礼な、俺は純正の人間だぞ。肺の隣に生成したガス生成臓器を利用し、口から圧縮可燃ガス砲をばらまきながら答える。
暗黒街の道はめちゃくちゃだ。使い道のない場所への投資が打ち切られたこの時代、コンクリートは好き勝手にひび割れて直されることもなくそのままになっている。まあ俺が壊したのも多いけれど。そんなわけで、道路を溶かして元に戻せないか試している、というわけだった。
とはいっても今回は加熱目的。なのでガス量を押えて安定したブレスであぶっているというわけだ。が、残念なことに俺の想定通りにはいかず。溶けるかと思ったコンクリートはむしろぼろぼろと崩れていく。
「コンクリートは水和物ですから、熱がかかると組成変化したりすると思いますけど」
「oh……」
頭の良さそうなシアンの言葉に俺は崩れ落ちる。いわれてみればその通り、確かに溶けて元通りになるとは限らないよな。金属ならともかく、例えば有機物ならとけずに炭になるわけだし。
俺はため息をついてブレスを吐くのをやめる。コンクリートを『賢者の石』で生成するべきか、それとも普通に業者に頼むべきか。いずれにせよ行き当たりばったりは上手く行かないものである。
間抜けを晒した俺に苦笑しながら、シアンは「ところで」と続ける。俺はその状況に疑問をもつ。今の時間、普通ならこいつは仕事のはずだ。公務員だし。となると、まじめなシアンはすぐに立ち去るはずではなかろうか。
俺の表情を見て、「念のためですけど、マスターなら顔が広いから知ってるかもと思いまして」と続ける。そして彼は端末を操作し、俺の方に向けてきた。そこには何やら分厚い装甲版が映っている。兵器か何かを探しているのだろうか。まあ、暗黒街にある兵器は幅が広い。さてこいつは一体いかなる兵器なのだろうか。
「人妻戦車を探してるんですけど」
「人妻戦車!?!?」
「旦那様から相談を受けておりまして」
「ガチのやつかよ!」
混乱する俺を前に、シアンは深刻そうに頷く。この世界、人間じゃない生物が人権を得ることはたびたびある。例えば群れになじめなかった機動戦車とか、知能が高すぎるゴリラは一定の規則に基づき人として認められる。
もっともこれは国家としての話であり、企業ではそれぞれ異なるのだが、それはさておく。問題は一切聞き覚えのない単語の組み合わせの方であった。
「ちょっと待て、戦車が結婚してるのか!?」
「ええ、人妻戦車はマイクロビキニを買いに行くと言ったきり戻ってこず」
「戦車のマイクロビキニ!?」
「婦人会では人気らしいですね」
「人妻戦車界隈の!?」
もうめちゃくちゃである。いやまあね、21世紀基準で人間の思考を持つのは二足歩行の人間のみ、なんて考えている自分が差別的といえばその通りなんだけど。人を定義するのは遺伝子か、頭脳か。
遺伝子を基準にするならば遺伝子異常のある人を人権無しとして扱ってよいのか。頭脳を基準にすれば赤ん坊は人ではなく動物として扱ってよいのか。いずれも俺の時代でも議論を呼んだ話題であり、結局結論は出ていない。俺は魂を基準にすればいいと思うんだけどね。
そして今は思考と感情に重点を置きながら、多方面からの観察を重ねた上で人権があるかを決定するらしい。さらに言えば、企業の中だけなら、金を生み出し内部で承認を得られれば一瞬で人間扱いされるようになる。ならば戦車の人妻がいてもおかしくないはずなのだ。……多分。
「爺ちゃんが俺ら世代を見るときもこんな気持ちだったんだろうな……」
最近の若いもんはちゃらちゃらと気持ち悪いもので遊んで、とか画面上のキャラクターにどうこうとか、色々爺ちゃんに嫌味を言われて反発した記憶がある。その頃は本当に意味不明で、なんで上から目線で否定してくるんだ! なんて思っていたが今ならわかる。自分の時と世界が違いすぎてついていけないんだ。人妻戦車がデフォルトの社会、ついていけないよ……。
項垂れる俺を見て、理解が追い付いていないことを察してくれたらしい。シアンは丁寧に人妻戦車の情報を開示してくれる。
「社会派人権保有人妻戦車として知られている方でして」
「さらに属性が増したなおい」
「最近はヒューマンウォッシングに反対して、戦車の配役は人権保有戦車がやるべきだと映画界に訴えかけているようです」
「ヒューマンウォッシングは単なる風呂だろ!」
「昔の名作として知られる『鬼〇の刃』は人と鬼しかでない戦車差別作品だから、全キャラを戦車に置き換えた『鬼〇の戦車』を販売すべきだと主張していますね」
「技はどうなるんだよ!」
「『水の呼吸、一の型! 蒸気機関!』ですね」
「機関車トー〇スみたいな光景になるわけだが、これがポリティカルコレクトネスなのか……?」
本当についていけない。うん、21世紀のころの、肌の色や出身に起因した差別はおかしい、というのは納得できる。地域の性質や利権、宗教が絡むと差別が簡単には解消できなくなってしまう問題などもあり、こういった活動を一方的な視点のみで揶揄してはいけないのも分かる。
「でも戦車は分からん……」
「マスター、もっと視野を広く持ちましょう。最近はこういうのも売ってるんですよ」
「……マジで?」
項垂れる俺の前にシアンは端末を差し出す。映し出された通販サイトの画面には「マイクロビキニ:全性別対応:紐長さ3mm~50m、ネズミから戦車まで全対応!」と書いている。よく見ると紐が収納できる機構になっており、冗談抜きでネズミから戦車に対応できるらしい。
そしてそれは、俺にとっても衝撃だった。
「こんなのあるんだな」
「マスターに使用予定はなさそうですけれど」
「俺の身長は可変式だからこういうのあると助かるんだよ」
「……マイクロビキニドラゴンですか、一般性癖ですね」
「一般性癖なんだ……」
23世紀は息苦しく治安も悪いが。こういうところは本当に懐が広い。実は数式ア○○女でサッカーしたときみたいに変身するとそのたびに服が破れてしまい、『賢者の石』でいちいち合成しなければいけないという隠れたデメリットがある。別になんとでもなるんだけど、面倒なんだよな。そういった意味でこういう可変式の服は本当に助かるのだ。マイクロビキニを着るかは別として。
「それはそうと俺はこいつを見たことはないな」
「そうですか、失礼しました」
まあそれはそれとして、シアンの質問にいい加減答えるべきだろう。人妻戦車を見たことがないと聞いたシアンは少しガッカリした様子で、俺に頭を下げたあとここを離れようとする。
その背中に、俺は最後に質問を問いかけた。こんな時間に、わざわざ俺の元を訪れた理由を。
「なぜ俺に聞いた?」
「案外物事はつながっていて、だからこそ繋がりを一つ一つ辿るのが猟犬の務めです」
「何の話?」
シアンの言葉は要領を得ない。首をかしげる俺に、シアンは背を向けてヒントを残していくのであった。
「あなたの妹の可能性があります」
妹系社会派人権保有人妻戦車……?




