09. 独立
北の空が朱に染まっていた。
夜空に舞い上がる炎の朱が禍々しい。
「魔の森が燃えている!?」
危険を知らせる鐘の音が屋敷中に響き、家人は全員臨戦態勢が整っていた。
私も手早く身支度を終わらせ腰には剣を佩いている。
「現状は?」
「北から森が燃えています。風が強く一気に火が広がってます。連中、火と風の魔法結晶を使ってますね」
「――!!」
決別が決定事項になってからは火と風の魔法結晶が中央の手に渡らないようにしていた。
とはいえそれ以前は少ないなりに献上していたから、戦いのために温存していたのだろう。
夜の闇の中で紅蓮の悪魔が踊るようだ。
森が燃えれば辺境を守る砦が一つ無くなるのに等しい。同時に火から逃げる魔獣がスタンピードを起こす可能性も考えられた。
「お兄様!」
「安心しろ、砦には山火事に備えて水の魔法結晶も魔法石も備蓄している。直ぐに鎮火する筈だ」
近くにいたお兄様はそう言うけど、火の手は散発的に発生している。
指摘されるまでもなく、砦の見張り塔の備蓄を知っているけれど、これほどの火事を直ぐに鎮火するのは、かなり大変だろうというのは一目で判った。
「魔法で雨を降らした方が良いかしら?」
正確には雨ではなく、魔法で呼び出した水を雨のように降らす。
「いや、マリエの魔法を敵に見せたくない。兵士たちだけで対処可能だから、控えに徹してくれ。それに昨日、王家の使いを追い返した後、急ぎでフォートレルとマンティアルグには連絡済みだ。早々に仕掛けてくるのは予想していたから、既に対応している」
お兄様の言葉通り、夜が明ける頃には炎が見えなくなっていた。
消火が終わっても直後に別の場所から火炎が広がっていたのは、中央軍があちこちに火をつけて回っていたのだろう。
「思ったより酷くはないのね」
ワイバーンに乗って森を視察すれば、生々しい焼け跡があちこちにあったが、火の手が上がるのと同時に鎮火に向かう作戦が功を奏したのか、一か所ずつは小さい。
森と砦の間には焼けた魔獣の死体がいくつもあったが、大した数ではなかった。でも森の先――ランヴォヴィル侯爵領側は折り重なるように人と魔獣が倒れている。
「火と水から逃げようとした魔獣が森を抜けて、人を踏み潰したんだろうな」
辺境側はスタンピード対策の背の高い砦がある。元より魔獣除けとして砦付近に聖属性の魔法結晶を埋めてあるから、平時から魔獣が少ない。
ランヴォヴィル侯爵領側はまったくの未対策だ。森と集落が離れているから今まで被害が深刻ではなかっただけで。
中央軍は森の外縁沿いに部隊を展開していたから、火と水に追い立てられ興奮した魔獣たちに蹂躙されたのだろう。多分、小規模なスタンピードが発生したのだろうと思う。
――少し考えればわかっただろうに……。
酷い有様だったけど森に火を付ければどうなるか。片側に遮蔽物があって逃げ場がないのだから、魔獣が自分たちの方に向かってくるなんて、少し考えただけで判る筈なのだ。
敵兵との直接的な戦闘を警戒して上空からの偵察に留めておいたけど、直ぐに軍備を整えて再戦に挑むには、中央軍の被害はあまりにも甚大に見えた。
数日後、辺境側の予想通り、中央軍は王都に帰還していった。後ろ姿はボロボロで、戦える状況ではなかった。
* * *
夜襲から一か月後――。
南と東の辺境が一気に森を拡大させた。馬で森を抜けるのは以前より更に難しくなった。野蛮だといってワイバーンを排していた中央は、辺境に軍を送ることも使者を送るのも難しい状況だ。
オリオール伯爵家が王都の屋敷を引き払った後、街道付近はあまり手をつけなかったものの、街道から離れた土地は森を広げていたから、馬が街道を走れなくなるまであっという間だったのだ。
「あの惨状が嘘みたいに穏やかね」
遺体を埋葬することも考えたけど、数が多すぎた上、血の匂いに釣られた魔獣に食い荒らされてどうしようもなかった。
もし手を出そうものなら辺境領の兵士たちに被害が出そうだったのだ。
「中央貴族はこういう結末を望んでいたのかしら?」
同じワイバーンに乗るクロヴィスに話しかける。
「さあ? 何も考えていなかったんじゃないかな。ただ楽な方に流されただけで」
森の向こうには私の背丈くらいに育った木々が続いている。植林したばかりだからまだ細く頼りない。とはいえ枯れ葉や堆肥と魔法石粉を土に混ぜたから、次に見回るときは立派に成長してるだろう。
森の面積が数倍に広がって、ワイバーンを捕食するような大型の魔獣が生息するようになれば、もう人が辺境と中央を行き来するのは無理になる。
二百年も続いた平和であり、中央との付き合いだった。壊れるときはあっという間なのだと思うと、一抹の寂しさがある。嫌な思い出ばかりだけど、楽しかった思い出も少ないけど確かにある。初代の頃は、今となっては信じられないほど両者の関係が良かったらしい。
「中央が敵国になってしまったから、警戒を怠れなくなってしまったわね」
「そうだな、人の欲望は際限ないから、魔獣より性質が悪い」
クロヴィスは私と違って中央人の友人がいた。隣接するランヴォヴィル侯爵家の子供たちとの関係も良好だった。多分、二度と会うことは叶わないし、消息を知る術もない。
「あっけないわね」
「あっけないな」
私たちはそれ以上言葉を交わすことなく帰還した。服越しに感じるクロヴィスの体温が感傷的になった心を癒してくれた。




