05. 兄
文字が同じだから言葉が一緒とは限らないと知ったのは、隣国のキエザ辺境伯領と交流を持ってからだった。言い回しだとか文法が微妙に違う。単語なども微妙に変化していたりする。
スタンピード以前と以後で言葉が変わってしまったのは、多くの人が死に国土の八割までもが魔獣に蹂躙されたせいだ。人の往来が絶えたせいで、独自の文化が発達したのだろうと思う。
魔素の森に覆われた国土を少しずつ再開拓して居住可能地域を増やし人口も増えた。だけど二百年以上経った今でも元の国土より三割くらい少ないし、人口は半分にも満たない。
人とともに知識は失われ、言い回しの多い婉曲表現は影を潜め、より直接的な言葉遣いに変わっていった。
結果、スタンピード以前の言葉を古語として、理解するために学ぶ必要が生まれた。
我が家は聖女として必要なことは言葉で代々伝わっているほかに、歴代聖女が覚書として自分用のまとめノートを作り、それを娘に渡していっているから、特に困ってはいないが、それ以外の古語の書物を目にしたことはない。
「まさか古語で書かれた叙事詩を読む日がくるとは思わなかったわ」
「でも面白いでしょう?」
ルイーゼはニコニコとしながらお薦めの本を手に持つ。
昨日は算術の勉強がいかに役に立つかという実践のために帳簿のつけ方を教わった。その前は建築技術の強度の話。
学院の卒業までに学ぶ内容は半年足らずで終了した。集団授業と個別授業の違いを考慮しても、習熟度が格段に良い。
今は応用として授業以上に深く踏み込んだ授業ばかりだ。
ルイーゼの教え方はとても上手くて面白い。今まで難解だと思っていたのが嘘みたい。
私たちは教師と生徒というだけでなく、友人としても仲良くなった。一緒にお茶を楽しみ、一緒にワイバーンで空を駆けるだけではなく、結界の見回りや魔獣退治まで一緒だ。
彼女は私と同じ魔法だけで魔獣に立ち向かう魔法士だから、攻撃方法などを話し合って、より効率的な仕留め方などを研究する仲間でもある。
「ルイーゼ、勉強は終わってしまったけど、できればこのまま家にいて欲しいわ。お兄様の奥さんがルイーゼになればいいのにって思うくらい大好きよ」
そう言えばポンと音が聞こえそうなほどの勢いで顔が赤くなった。
授業が終わった後に二人でお茶をするのは、彼女がオリオールに来てからの習慣になっている。今日で持てる知識の全てを教え終わったと、晴れて終了を宣言されたのだ。
でも、じゃあこれで実家に帰れますねとは言いたくなかった。既にルイーゼが屋敷にいるのが当たり前になっていて、居なくなるのはとても寂しい。なんとなくだけどお兄様との関係が良さそうだし、このまま結婚してくれないかなと思ったのだ。
「もしかして脈がある?」
「……実は結婚したいと言われまして」
「それで、承諾したの?」
「ええ……」
「でかしたわ、お兄様!」
私は歓喜したけど、本当にお兄様で良いのか確認してみる。
だって我が家はみんな私に甘いから。
もしかしたらカミラのように私に嫌気を差すかもしれない。さすがに結婚してからも妹が常に最優先、妻は二の次なんてことはないとは思うけど、当主であり当代聖女としての私を誰よりも優先する場面は必ず出てくる。
その時に「こんなつもりではなかった」と思われたくない。
そう危惧していたら、逆にルイーゼの方が自分では良いのかと尋ねてくる。
「嫌ではありませんの? 我が家は爵位も無いのに……」
「爵位なんてどうでもいいわ。ルイーゼが良いの。だってとても素敵な女性なんだもの。それにお兄様だって後継者ではないから、独立したら爵位がなくなるわ。だからルイーゼのお家に爵位があったら、とてもではないけれど、我が家に来てなんて言えなかった。それに妻よりも妹を優先することはないけど、領主としての私を優先することがあるかもしれない」
唯一の懸念を言葉にする。
でも――
「問題ないわ。受け入れてくれて嬉しいわ」
「私もよ、ルイーゼがお義姉様になると言ってくれて嬉しい。ありがとう」
二人で喜びを分かち合った。
「おかえりなさい、お兄様」
最近のお兄様は帰りが遅い。領地の仕事以外にも、フォートレル領やマンティアルグ領まで出向く用事も多く、領の内外を行き来しているからだ。
「おめでとう、お兄様。結婚のことを聞いたの」
「俺から言おうと思っていたけど、ルイーゼから聞いたのか?」
「昼間ね、お兄様と結婚してずっと家に居てくれたら良いのにって言ったの。それで……本当に偶然、たまたまなのよ!」
「マリエは良いか、結婚して」
「勿論よ、むしろルイーゼが良いわ。ありがとう、お兄様。素敵なお義姉様を選んでくれて」
「そう言ってくれると嬉しいな。仲良くしてくれると俺も嬉しいよ」
微笑むお兄様はとても幸せそうだった。
実のところ独り身を貫くのかもしれないと思っていた。前の婚約者であるカミラとは政略だけど、そうとは思えないほど上手くいっていた。傍から見ていただけだから、実際は違うのかもしれないけど。
だけど私の陰口を言ったというだけで、あっさりと婚約を解消してしまった。カミラは泣いて縋ったのに。
婚約を解消した後、お兄様は忙しく動き回っていたし、浮いた話一つ聞いたことがなかった。
それでもう結婚は懲り懲りなのかもと思っていたのだ。
「お兄様、幸せになってね」
「勿論、幸せになるために結婚するんだよ」
柔らかく微笑むお兄様の顔は、とても嬉しそうだった。




