06. 第二王子の戦場 2
本日2話目の投稿になります。長かったため2話に分割。
前話に引き続き第二王子エンゾ視点。
「クソッ!!」
悪態が口につく。
あの日、森に火を点けた翌朝から辺り一面が濡れている。
夜のうちに雨が降ったとしか思えない状況だが、この時期に毎晩降るとは考えにくい。
思い当たるのは水の魔法結晶を使って、広範囲に水を撒くことだけだ。強力な魔法を展開するだけでなく、広く弱い魔法を展開することも可能なのだ。
一大産地だからこそできる力任せの方法であり、腹立たしいことに大変優秀な作戦だ。
到底、納得できる状況ではないが。
濡れた森に火は点かず、ぬかるんだ大地は行軍が困難だった。「撤退」の二文字が脳裏を過るが、すべてをお膳立てしてやったと、したり顔で言ったブノワに無理だと思い直す。
機会を窺うために毎日木を切り倒し、道を太く長くしていくほかに取れる手はない。
だが……。
「兵士の間に不満が溜まっております」
部下の報告に苛立ちが募る。
腹立たしいのも焦れるのも、総大将たる自分こそ感じるものだと。
言われたことだけを行い、生命の危険もない単純労働者が何を思うのだ。
「記憶に留めておこう。それで首尾はどうだった?」
仕掛けが上手く行けば兵士たちの不満は解消される上、状況は好転する筈だった。
しかし否定の言葉しか返ってこなかった。
「駄目ですね。火の魔石を使った範囲が、徹底的に水攻めに合いました」
地表や木の根元を乾燥させて雨に降られても短時間で乾き、ぬかるみを解消させる手段が潰された。
「辺境の騎士が雨を降らせたとき、蒸気が立ち上った場所に魔力を集中させたのでしょう。何もしない以上に事態を悪化させています」
「そうか……。当初の目的通り、城塞攻略に戻して攻撃するべき……なのだろうな」
撤退を具申したそうな司令官には気付かない振りで流す。
――ブノワに付いた土が掃われる前に成功を収めねばならぬのだ。
立場を奪うためには「失敗しなければ良い」とはいかない。
「明日以降、伐採した木は火魔法を使って乾燥させよ。火事を引き起こすのは難しくとも、煙幕を張るのに役立ちはするだろう」
現状は雨除けを作って、その下で乾燥させているだけだ。
しかし湿気が多い状況では、濡れないという意味しかなく乾燥までに至らない。
木材としても薪としても利用できない状況だった。
――三日後。未明の雨は相変わらずだが少しずつ木材の乾燥は進み、火にくべるには悪くない状態にまでなった。近隣から徴収した獣脂をたっぷりと木に沁み込ませている。
五日後。作業は順調で薪となる木材は増えているが、しかし森の果てがどこか未だ先は見えない。
八日後。そろそろ辺境側に薪の存在が気取られそうなほど溜まってきた。
本来なら攻城戦に入っている頃合いだった。否、先の火災の時には既に辺境に到達している筈だったのだ。
――まだ距離があるとはいえ、そろそろ頃合いか。
宿営地とできそうな小屋を森の中に複数建てている。道の先端との距離が開き、何かにつれ森の端まで往復するのが非効率的になってきているからだ。
森の奥とはいえ獰猛で大型の魔獣がいない土地だからできたという理由もある。小屋を魔法で堅牢化した上で聖属性魔法を展開してやれば、夜行性の獣たちが避けて通り安全が確保された。
道より更に先の未開墾地にも、雨風を凌ぐだけの小屋とも呼べないようなものを幾つか用意している。そこにも脂を沁み込ませた薪が積み上げられ、準備万端とは言い難くとも、先の火付けよりはかなりマシな状況になっていた。
――とはいえ次に失敗すれば、この遠征は失敗であろうな。
だからこそ辺境が様子見している間に、先制する以外、勝ち筋が見えないのだが。
「ここら辺で再び攻勢に転じようかと思うのだが」
「まだ早かろうと思われます」
勝率を考えれば、司令官の言葉は尤もだった。
しかし――
「何時になれば勝機があると思える? このままおめおめと戻ってみろ、尻尾を巻いて逃げ帰ったと言われるのがオチだぞ」
「……」
司令官も本当のところは理解しているのだ。
第二王子派の自分が、俺とともに切り捨てられる可能性があると。
「今日明日、という話ではない。だが辺境の城塞が見えたら仕掛けるぞ」
正確には木々の向こうに城塞の足元が見えたら、である。今でも木より高くそびえ立っているのは見えている。
「……かしこまりました」
半月ぶりの業火は先の火よりも勢いがあり、以前の炎よりも美しかった。
司令官と攻撃の機会を話した翌朝から、雨は酷くなりこちら側が不利になる一方だった。
見切りをつけ火を放ったのは夜半だ。
辺境が雨を降らすのは未明、復路だけでも安全な空が明るくなってからにしたかったのだろう。
今回は一度消火されても中心部分に熱が残り、再び火の勢いが増すように考えられた木も多い。
中央側から吹く風は火と煙を辺境に向ける。
――少しは辺境にも損害を与えられれば良いが。
森を焼いたところで資源採取という意味では被害はあろうが、直接的なものではない。
――城塞を一部でも焦がすか、できればワイバーンの一騎でも落としたいところだが。
しかし一刻も経たないうちに火の勢いは弱まっていく。またしても辺境による雨が邪魔をする。
前回と違うのは火に集中させていたのが、今回は森全体どころか、外縁に展開した宿営地までという広範囲に雨を降らせている。
正確には水魔法による攻撃なのだろうが、雨としか思えない。そのため軍営では「雨」と統一して呼んでいた。上空に魔法を展開する騎士たちがいるのだろうが、月や星の明かりだけでは影さえも確認できなかった。
「クソッ! 何なんだコレは!!」
晴天だった筈だ。先ほどまでは。
空には上弦の月と瞬く星が見え、雲一つ見えなかった。
なによりこれほど広範囲に大雨を降らすような魔法があることが驚愕だ。
魔法結晶を使えば豪雨だとか嵐と言ってもさしつかえないほどの威力にはなる。逆にもっと弱く広範囲に降らすことも可能だ。
だがこれほどの雨量を広範囲に、となれば話は変わってくる。
目の前で起こっていることは、常識の埒外の出来事なのだ。
――ありえない。否、辺境が偽りを並べ立てていたら。
魔法結晶は取り扱いが難しい。だからこそ使い方なるものを王朝初期に教わっている。
そこからして嘘が混じっていたとすれば……。
――俺たちは手のひらで転がされていただけなのかッ!
怒りに視界が朱に染まる。
しかし感情に身を任せている場合ではなかった。
雨は時間を追うごとに勢いを増し、地面に幾筋もの川を作り始めていた。
――どう兵士を動かすのが一番損耗を抑えられるか。
逡巡した直後、ぐらりと足元が崩れた。
「――ッ!!」
ぬかるんだ地面が櫓の足元を崩したのだと気付いたのは、身体が地面に叩きつけられた直後。組み上げられた柱が幾重にも重なり、その隙間に身体が挟まっているようだ。
「――――――――」
人を呼ぼうとしたが、声は出なかった。
目の前には柱の下敷きになった司令官がピクリとも動かないで転がっている。
何故……。
どうしてこうなった……?
答えが出ないまま、意識が闇に呑まれた…………。




