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03. 二つ目の婚約破棄

 目が覚めると、もう陽は高い位置にあった。


 今日から学院は休学だ。お父様が領地からいらっしゃったら、直ぐに退学手続きをとってもらう予定だ。同時にフォートレル辺境伯家とオリオール伯爵家が共有するこの屋敷も引き払って、両家は王都から完全撤退する。

 王都に来る必要がある場合は、宿に泊まれば良いだけだから困ることにはならない。


「もう荷物をまとめ始めて大丈夫ですって」

「実はすでに終わっています」

 身支度の手伝いに入ってきたリリーに言えば、即座に笑顔で終了したと返ってくる。


「用意周到すぎない?」

「マリエ様の限界が近づいているみたいだったから、少し前に名代様に許可をいただきました」


 名代というのは父のことだ。先代領主だった母が早逝し、次代である私が未成年なので、繋ぎとして領主代理を父が務めている。


「それと荷運びのため、すでに領地から人が来ております。明け方に到着して、今は仮眠中です。優先度が高いものやマリエ様の身の回りの品以外を順次運び出しますわ」


「随分と手際が良くない?」

 婚約解消は一昨日、退学を相談したのは昨日だ。


 馬車では半月近く必要な旅程の領地と王都だけど、ワイバーンなら二日ほど。婚約解消の報告後に領地を出たら、朝方到着する。王都にワイバーンを乗り付けると王都民が怯えるから、毎回夜中に王都入りする。帰りも同様だ。


 だから日の入りを過ぎてから移動を始めて、空が白み始める前に着陸して休憩する。

 唯一、日中にワイバーンで王都入りするのは、年に一回、魔法結晶を王宮に納品するときだけ。


「元々、こちらのお屋敷は荷物を増やさぬように心がけておりましたし、先代ご当主様の話を聞いていましたから、即日撤退の覚悟はできました。そうしたら退学の話が出ましたので、午後から急遽、書物の荷造りを」


 書類関係は基本的に王都の屋敷にはない。金銭的に価値が高いのは書籍だ。他に貴重品はないから、後は気に入りの品だけど、こちらはあまり無い。高級陶器の類は辺境で入手し辛いから、取り合えず持ち帰っておくか程度の扱いだ。


 羽を伸ばした臨時の休日を思い切り満喫したら、あっという間に夜になった。二日連続して昼まで寝るのは嫌だったから、早めの就寝を試みる。たっぷり寝たから寝付けないかと思ったのに、意外にもあっさり夢の中の住人だった。


 更に翌朝、お父様とお兄様が屋敷に到着した。

 朝、起きて食堂に行くと、二人がのんびりお茶をしている。


「おはよう、マリエ。朝食にしようか」

 にっこりと微笑んだお父様は、夜通しワイバーンに乗っていたとは思えないくらいしゃっきりしていた。お兄様も同様だ。


「おはようございます。お父様、お兄様」

「おはようマリエ、大変だったね。今日、退学手続きを取るから、できるだけ早くオリオールに帰ろう」

 柔らかな笑みは相変わらず、妹にとても甘い。


「ここを引き払うことに決めたから、手続きが終わるまでしばらく滞在する予定だけど、もし早く帰りたいなら明日の夜に俺と一緒に、一足先に領地に帰ろう」

 ワイバーンのために必要な休息を取るだけで、できるだけ早く帰ろうと言ってくれるお兄様の心遣いが嬉しい。


「学院に通わなくて良いなら、手続きが終わるまで居ても大丈夫。一人じゃないもの」

 家族が近くに居てくれると思うだけで気力が湧いてくる。


「まずは食事を一緒に食べよう。領地から新鮮な食材を持ってきてるよ」

 お父様に促されて食卓に着く。ひさしぶりの家族揃っての食事はとても美味しかった。


 食後、カミラの実家であり、北方の守護者であるバルト辺境伯家に先触れを出した後、訪問するには早い時間に二人は出かけて行った。最初に学院で退学手続きを取った後、辺境伯家に行くらしい。


 そして昼を少し過ぎた頃に二人は帰宅した。


「お兄様はカミラとの婚約を取りやめて良かったの? 仲が良かったと思うのだけど?」

 帰宅したばかりのお兄様に尋ねた。私に対する暴言を聞かせたのだから、気持ちが冷めるだろうとは思っていたけど、予想以上にあっさりと婚約破棄を決めたから気になってしまう。


「確かに仲は良かったと思うよ。でもいくら状況が変わったとはいえ、婚約者の妹をあんな風に罵倒するのだと知ったら、百年の恋も冷めるよね」


 微笑みながら言うお兄様は、嘘を言っているようには思えなかった。

 我が家はみんな仲が良いから、家族を貶めるような人とうまくやっていける気がしないというのはよく判る。亡きお母様と叔父様も仲良しだったし、お母様と叔父様の奥さんである叔母様や、お父様と叔父様も本当に仲が良いのだ。だから義姉になる予定のカミラにあんなことを言われて傷ついた。


「バルト辺境伯には少しごねられたけど、無事、婚約を解消してきた。あとはここを引き払うだけだよ」

 帰宅するなりお父様が報告してくれる。


「元々、荷物が少なかったからね。今日にでも引き払おうと思えばできるよ」

「ワイバーンを休ませないと!」


 気の早いお父様に、私がツッコミを入れる。

 体力があるとはいえ、無理をさせ過ぎるのはワイバーンがかわいそうだ。


「持って帰りたいものは残っていない?」

「そうね……居間でお茶を飲むのは好きだったわ。日当たりが良くて、庭もよく見えて。こればかりは持ち帰るのは無理ね。あとは自分の部屋の家具は気に入っているけど、領地の家具も気に入っているから、持ち帰る家具はないかしら。でも王都で使っている馬車は乗り心地が良いから持ち帰りたいわ」


 辺境は木が豊富だし職人もいるから、家具に関しては王都でないと手に入らないなんてことはない。でもワイバーンでの移動が多いせいで、馬車職人は少ないのだ。


「じゃあ持ち帰ろう。王都を出るまでは馬に繋いで、出たら竜に繋ぎ替えれば速いし安全だ」

 馬は魔獣の気配に怯えるし、野盗や何かに襲われたときに弱い。


 でもオリオール生まれの竜なら襲われて怯むようなことはないし、なにより足が速くて休息が少なくて済むから旅程の大幅短縮が可能だ。馬なら半月近くかかる道のりを四、五日もあれば帰ることができる。

 三人でのんびりと食後のお茶を楽しんでいたら、先触れも無くカミラが訪れた。


「イレネー様! どうして婚約を解消するなんて言うのです!!」

 お兄様の容姿に一目惚れしたカミラだったが、その後は内面にも目を向け、確かな絆を結んできたと思った婚約者だった二人。


 目に涙を浮かべながらも健気で一途な様子は、心変わりした婚約者を責めるというよりも、二人の間が分かたれたことに傷つき心を痛めた乙女のようだ。


 だけどお兄様はとてもあっさりと相手であるカミラを切り捨てた。妹の私から見ても驚くほどだったから、当事者である彼女が、どうしてというのもよく判る。


 お兄様の決断を支持しているから、とりなす気はないけど。

 大体、オリオール領での暮らしを体験したというのに、なぜ婚約を解消されたか理解できない方がおかしい。


 ――罪悪感をかきたてるには効果的な態度ね。


 学院内での暴言だけではない。お兄様には報告していなかったけど、カミラは私をあからさまに避けるようになっていた。遠くからでも私の姿が目に留まると、方向転換して去っていくのが当たり前になっていたのだ。自分まで虐めや嫌がらせの対象になるのが怖いからだと思っていたけど、そうではなくて単に私が疎ましかったのだろう。


「どうしてと、君が言うのか?」

 お兄様の声はとても静かだった。すでに過去の人となったカミラに、心を動かされることはなさそうだ。たった二日前の話だけど、完全に心の整理がついているみたいだった。


「ええ言いますわ!」

「ならはっきり言おう、次期当主を追い出すなんていう女は不要だからだ。当主を追い出してバルト辺境伯家が乗っとるつもりだった?」


「――!! いいえ、そんなことありませんわ」

 否定の言葉に嘘はなさそうだった。でも本人の意思を尊重するつもりはないだろう。バルト家との話し合いの内容を聞いた限り、お兄様を当主として推すと言っていたらしいから。


 カミラ自身は実家がどう動くかなんて関係なく、ただ単に邪魔者を追い出すとともに、愛する夫を領主の座に就けたかっただけだと思う。浅はかすぎるけど。嫁ぎ先であるオリオール伯爵家の成り立ちを知っていたら、間違ってもお兄様が領主の座に就くのも、私が家を出るのもあり得ないと判る筈だ。


 ――もし知ってて尚そう思うなら愚か過ぎる。


「ならどういうつもりだったと?」

 闖入者に向き合うように、身体の向きを変える。


「だって傷物になったマリエは当主失格ですもの。それどころか家に居続けるだけで悪影響になりますわ!」

「そんな風に思ったんだ。まあ今となってはどうでも良いことだけどね。婚約は解消済みなんだし……」

 冷笑を口の端に浮かべる。


 もしかしたらカミラが率先して私を苛めることで、それ以上の被害を与えないように先回りしたことを期待したのかもしれない。

 そんな殊勝な態度ではなかったと私は知っているけど、自分の目で見ていないお兄様には判らないことだから。


「そんな……!」

「知っているよね? 我が家がとても家族の仲が良いことを。血を分けた家族だけではなく、母上の配偶者である父上は、母上の弟である叔父上と仲が良いし、その配偶者である叔母上とも仲が良い。代々、そういう家系なんだよ。だから妹を追い出すと言った君は、二度と我が家で受け入れられない。もちろん、本家であるフォートレル辺境伯家や領民たちからもね」


「私が悪いとおっしゃるの!? こんな野暮ったい子よりも! 貴族の令嬢なら夫を癒すためにいつも美しくあるべきなのに、装う義務を果たさないこんな子が!」


 ――呆れた。


 辺境の生活を経験した上で、まだ中央と辺境を同様に考えていたなんて。今回のことがなくても、二人は破局したに違いない。嫁いでから破局して出ていくよりも、学生のうちに婚約がなくなったのは、結果的にカミラにとって良かったのかもしれない。


「それがオリオール家の当主なんだ。結界の綻びを見つけるために領地の端から端を移動し、土地を滋味豊かにするのが仕事だ。綺麗に装っていては務まらない。君の言う貴族の奥方の仕事は、辺境では不要なんだよ。君は領地に来て理解しているものだと思っていたけど、上辺を取り繕っていただけだったんだな。それにね君が言ったんだ。浮気をされる方が悪いと。私は浮気を容認するような、ふしだらな女性を妻にすることはできない」


 辺境だって浮気や不貞もある。だけど容認する空気は一切ない。

 もしカミラが領地で言ったなら、直後に返品されているだろう。下手をすれば領民たちの手によって、領地の外に追い出される。

 そう考えると、王都で婚約解消できたことは、彼女にとって悪くない結果なのかもしれない。


「殿方と令嬢では違います!」

「では私があなたに見向きせず、浮気相手と逢瀬を繰り返していても容認できると?」


「……」

 自分に置き換えた直後、絶句するあたり想像力が足りない。


「そういうことだ。今、あなたが胸の中で思ったことが全てだ。私は浮気なんて御免だし、容認するような相手と親しくする気もない。私とあなたの道が重なることは、もう二度とこない」


 お兄様が言い切ると、カミラは泣きながら家を出て行った。


 かわいそうだと思うけど「浮気されて捨てられた女」という学園での陰口には辟易したし、お兄様が言ったように、私も浮気を容認するような考え方は受け入れられない。ただの嫌がらせで口にしていただけで本心ではないと言われても、やっぱりそんなことを言う人と二度と仲良くなれるとは思わなかった。


「結局、中央人が辺境に馴染もうと努力するのは演技でしかないってことかしら?」

 カミラの実家も辺境伯家ではあるが、北と西は辺境を捨て中央人として生きることを選んだ家だ。森から離れれば魔獣の被害は格段に減る。


「だとしても相当に浅はかだよ。聖女の血を絶やそうとするなんてね」

 オリオール伯爵家は必ず直系の娘が後を継ぐ。


 なぜなら能力が娘にしか受け継がれないから。


 後に聖女と呼ばれた初代は、フォートレル辺境伯の妹だった。能力は次代も次々代も娘にしか受け継がれなかったため、分家としてオリオール伯爵家が作られたという経緯がある。


 聖女の直系は必ず娘は一人しか生まれない。初代からずっとだ。息子は生まれることもあれば生まれないこともあり、人数もばらつきがあるが。


 更には娘が生む子供には母親と同じだけの豊富な魔力が受け継がれるものの、息子の子は明らかに魔力が少ない。

 そういった事情から、オリオール伯爵家は代々女系だ。息子が当主になれば辺境を守るほどの魔力を持つ者が絶える。極端に中央人との婚姻に難をつけるのも、下手に政略結婚して外戚に乗っ取られた場合、聖女の血筋が絶えるから。


 だから私とジョルジュの結婚に対して、周囲は猛反対だったらしい。もちろん国王の介入を許さないという意味もあった。

 私たちが仲が良くて、ジョルジュが辺境に馴染もうとしてからは、反対意見はなくなったけど、ジョルジュが中央人の考えに染まって私たちを蔑視し始めたら、また反対意見が増えてきた。


 婚約解消はミラボー公爵家や国王にとって望んだ結果なのだろうけど、南の辺境にとっても歓迎することだった。

 そもそもお母様が存命の時から、我が家は少しずつ中央から距離を取り始めていたのだ。婚約の結果、一旦、中断したというだけで。


 お兄様とカミラの結婚も、辺境側は猛反対だった。ジョルジュと同じように辺境を訪れ馴染もうとしても、反対意見は減らなかった。変わったのは彼女が貴族学院に入学してからも、長期休暇を利用して辺境に滞在したからだ。周囲の見えない幼子ではなく、若いとはいえ世間が判ってくる年頃になっても、変わらず辺境に来て額に汗するから受け入れられたのだ。


 カミラの実家が実質的に辺境を捨てているとはいえ、辺境伯家なのも彼女に有利に働いた。王都しか知らない中央貴族よりは、辺境を知っているだろうからと。


 結局は全てが無駄だった。

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[気になる点] カミラは、不快な存在ではありましたが(多分、主人公の悪評の主な出処の一つでもあるのでは)。 上辺を取り繕ったままで、腹にイチモツ抱えた状態で嫁入りして、子供も作って、おもむろに馬鹿なこ…
[一言] カミラの実家は「北の辺境伯家」ですよね 王都(中央)に移り住んでも「北の辺境伯」で居られるのかな? 国境の守りの要である場所なら他の貴族家に挿げ替えられるのが普通だと思います
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