03. 届け物と懐かしい名前
「フェリシテ、依頼されていた黄蘗よ。ほかにもいくつか持ってきているから、確認してくれるかしら」
樹皮はその名の通り明るい黄色の染料になる。森に住む魔獣の間引きついでに採取したものだ。
フォートレル辺境伯家に嫁いだけれど、マンティアルグ辺境伯家の女性がフェリシテのお母さまである当主夫人しかいない。
そのため数年前に立ち上げた刺繍工房だとかレース工房は、今でもフェリシテが責任者だ。
だから染色材料を届ける相手は彼女なのだった。
「最近、意匠が垢ぬけてきたの。見てみない?」
そう言いながら出すのは商品見本だった。
少し前――私たちが王都を引き払った少し後は技術的には悪くないものの野暮ったいものばかりで、正直なところ欲しいとは思わなかった。
「これ……! なんかすごく良くなってる。これは欲しくなるわ!」
付け衿のレースはステンドグラスのような細かな模様が美しい。隣のリボンには色とりどりの糸を使って花が刺繍されている。どちらもデザインの組み合わせだとか配色が絶妙なのだ。
「ほかにもね、服を預かって希望通りの刺繍を入れようかと。これなら持っているドレスの雰囲気を変えられるでしょう?」
辺境の貴族家は正確にはマンティアルグ辺境伯、フォートレル辺境伯、オリオール伯爵の三家しかない。でも名目上は平民でも実質的な下位貴族扱いされている家門が辺境にはあるのだ。
スタンピード以前から神官として森の管理を行っていた人たちの多くは、実家が貴族だったり裕福な平民の家庭出身だった。
スタンピード以降は領主一族の補佐をしたり、森の管理を行う家臣とか代官的な立場になって辺境に根を下ろしている。実質的な下位貴族であり、それなりに裕福なのだ。日々の生活に追われていないから、良い品であれば売れるだろう。王都のように昼餐会だ晩餐会だと日々、派手に飾り立てることはないにしても。
「すごく売れそう……」
「でしょう?」
フェリシテはそう言うとにんまりと笑った。
女性の多くは綺麗なものが大好きだ。
あんまり着飾るのが好きではない私でも、商品を見ると欲しくなるくらいだから、好きな人はとっても欲しくなると思う。
「これから名目としても貴族として陞爵するかもしれないってなったら、もっと欲しくなると思わない?」
「思う!」
今の辺境はただ中央と訣別しただけの、ただの辺境のまま。
だけど独立して一つの国としてやっていこうとするならば、現行制度を実情に合わせて変え、同時に元神官の家門を貴族として引き立てようという案があるのだ。
「でも……急に良くなり過ぎじゃない? どうやって向上させたの?」
「資質のありそうな人を幹部として迎えたのよ。いきなり新参でどうかと思ったけれど、上手くいって良かったわ」
とりあえず工房に放り込んで、という乱暴とも思えることをやったみたいな言い方だ。
でもフェリシテは豪快な中に繊細さを持ち合わせているから、きっと根回しなんかをして、受け入れられる土壌を作ってから入れたのかなという想像は、あっけなく裏切られた。
「実はね、カミラを工房に誘ったのよ。偶然、保護されたから」
「――カミラを?」
フェリシテの口から意外な人物の名が出てきた。
「王都に戻ったんじゃなくて?」
「混乱の中で逸れたみたい。南からの中央へ向かう街道から、かなり離れた場所で発見されたの。多分、馬に乗って逃げようとしたんじゃないかしら?」
マンティアルグ辺境伯領で発見されたのだから、徒歩で避難したとは考えにくい。王都からの使者の野営地は街道沿いだったのだから、そこから一番近くの東の辺境領まで歩いたら半日はかかる。
「だから誘ったのよ。職人としてここに残らないかって。技術は向上しても意匠がどうしても垢ぬけなかったでしょう? 生まれたときから一級品が身の回りにある環境で育ったカミラなら、イケるんじゃないかと思って」
「それでルモーリに居るのね」
よく辺境で暮らす生活を選んだものだと思う。
北の辺境伯家は、辺境生活を捨てて中央人として生きることを選んだ家門なのに、まさかそこの令嬢であるカミラが、辺境で生活するなんて思ってもみなかった。
「一応、帰りたいなら最寄りの集落まで送るとも言ったのよ」
「でも残ったってことは、かなり強く残るように誘導したんじゃない?」
残るのも帰るのも好きに決めたら良いとしか言われなかったら、性格的に帰った気がする。
「まあね……。でもバルト辺境伯家というか、北方は割と男尊女卑が酷いから、彼女のためにも良いのは本当よ。イレネーとやり直したいって言ったのも、実は実家から離れたかったって理由じゃないかって思ってる」
私はフェリシテみたいにカミラが辺境に住むことに賛成できない。以前、の彼女を知っているから。随分辺境に馴染んだように見えたけど所詮は上辺をなぞっただけだった。
彼女は骨の髄まで中央人なんだと思い知らされたから、どれほど楽しそうに暮らしたところで、いつか中央に帰っていく気がしているのだ。
「本人が納得していて、マンティアルグ辺境伯家が受け入れるなら、私は何も言わないけど……」
「不満そうね」
「どちらかというと、無理なんじゃないかって思ってる。本当に辺境に骨を埋める気なら止めないけど、往来できなくなってから帰りたいってなったら、本人が不幸だもの」
既に好意は欠片も持ってないけど、不幸になってしまえというほど嫌いではない。どちらかといえばどうでも良い相手。無関心というのが一番近い。
だから本人が望み周囲が認めるなら、辺境に住んだら良いと思うし、そうでないなら中央に帰った方が良いと思ってる。
イレネーだけでなくマリエにとっても、既に「過去の人」なのだ。
「一応カミラが東にいるってイレネーは知っておいた方が良いかなって思って。なんの予備知識もなくうっかり顔を合わせちゃったら驚くでしょう? 既に過去の人だっていっても。まあ領主館からルモーリまではそれなりに距離があるから、現地に行かない限り会わないと思うけれど」
「わかった。じゃあ帰ったら伝えておくわ」
カミラが住むことの是非ではなく、予備知識なく顔を合わせたお兄様が驚かないようにって配慮だった。名前を聞いた時点で驚くだろうけど、実際に会うよりはマシだと思うから、今、教えられて良かったのだと思う。
「それじゃあ、本題の方に行きましょうか」
「ええ……」
本題――マンティアルグ辺境伯家北部の森の視察が、今回の訪問の主目的だ。途中に領主館があるから、ついでに立ち寄っただけで。
二百年前のスタンピードは、大陸中央部か西部で発生したと言われている。暴走した魔獣はほぼ直線的に東に向かい、海に辿り着いた獣たちは岸壁から落ちていった。
一部の魔獣たちは数を減らしながら海岸線を北上していき力尽きた。魔獣の通り道が森になったけど、東の辺境伯領はほとんど影響がなかった。森が南との辺境伯家の境界になる程度しか広がらなかったからだ。
魔獣が跋扈する森は脅威だったけど、安全なものでもあると気付いたのは初代の頃だった。住民たちにとって危険なら、また畑の収穫を奪おうとする夜盗の類にも危険なのだと。適切な管理をしてやることで鉄壁の防壁になり、村人にとって安全になるのだ。
そんな訳で東の辺境伯家であるマンティアルグ家の領地も、森の西部と北部にも森を広げたのだ。当時の国王は危険だと渋ったものの、南の辺境の実績を提示することで、理解を得ている。
時代が下り、人が増え森が広がっても、まだ中央側には森と一番近くの集落の間に七十里ほど荒野が広がっている。
「北は魔獣のスタンピードが到達しなかったじゃない? 元の魔素が薄いのよね。魔石を撒いたり、植樹をしたりしているけれど、西の方みたいにはいかなくて」
西――フォートレル辺境伯領の西側に広がるのは、森の中でも一番深く、比例して危険度も一番高い地域だ。大陸中央部には、スタンピード以前から森が広がり、最奥部は人が足を踏み入れられないほどだった。原初の森と呼ばれ畏敬と信仰の対象でもあった。
その原初の森にもっとも近いのが、国内ではフォートレル辺境伯領なのだ。
「街道が使えるとして、既に馬が越えられないくらいには育っているけど、ワイバーンの対応はまだ無理なのよ」
馬と違って魔獣のワイバーンは少々、森が深くても怯えたりはしない。休憩せずに森を渡り切れなくても、途中で降り立ってしまえば問題はない。
人が入れないほど深く危険になれば、休憩することもできなくなって、森の内外を行き来することはできなくなるが。
「厄介ね」
「そう、とても面倒だと思うわ。でも傭兵団がワイバーンを使役し始めるのは、そう遠くない未来だと思うのよ。それでね……」
南はフォートレル辺境伯家とオリオール伯爵家が共同で中央方面に森を広げている。ゆっくりと気づかれないようにしているとはいえ、お母様の時代からだから、かなりの幅になってきている。南に限って言えば街道付近以外、ワイバーンで森越えが無理になった。もっとも休憩を挟めば森越えは可能だし、まだ森の中を人が歩けないというほど危険ではない。
その分は城壁が補ってくれるけど。初代のころ、再びスタンピードが来ても領民を守れるようにと、防壁を作ったのが初めのものだ。聖属性の魔石を混ぜた土を盛っただけの簡易的なものだったけど、それでも魔獣被害は格段に減ったらしい。
その後、一番森が深い辺りから今のような城壁を作っていったと聞いている。四つ足の獣が超えられない高さをできるだけ広範囲に。次に全体を徐々に高くしていき、今は森の木より倍くらい高くなっている。追加で聖属性の結界を張っているから、空を飛ぶ魔獣が城壁の中に入ってくることもない。森の外での魔獣被害は過去のものとなっていた。
そして脅威が魔獣から人、それも王家に変わって、城壁は二重になった。新たなものは星型要塞と呼ばれる形状で対人を意識したものだ。
グルルゥゥゥ……。
私の姿を見つけてワイバーンのルナが甘えたように喉を鳴らす。
フェリシテの執務室を後にして外に出た途端だ。
既にフェリシテのネージュも直ぐに飛べるように準備万端だった。
羽ばたき一つでふわりと浮くと、あっという間に町や都市が一望できる高さに達した。遠くに海が見える。
「クロヴィスも来ているんだっけ?」
「ええ、西側から北上して、海に向かう経路で森を確認してる。多分、途中で合流するんじゃないかな」
月白色の肢体のルナと銀雪色のネージュはよく似ている上に仲良しで、顔を合わせれば遊びだす。今も横を飛びながらアイコンタクトをしたりして、一緒に飛ぶのを楽しんでいた。
「海に出て、海岸線を北上しながら城壁を目指していいかしら?」
「もちろんよ!」
フェリシテの提案に、少し進路を東に傾けた。
地上を見下ろすと、地引網を曳いている漁師たちが見える。
スタンピードによって海に辿り着いた魔獣が大量に墜落した後、その屍肉を食べた海の生き物が魔獣化した。そのせいでマンティアルグ辺境伯領の沿岸付近は人が海に入れなくなってしまった。
他国との貿易はもとより、磯に出ての漁も無理だけど、海岸線での釣りや浅瀬での漁はできるから、縮小しつつも漁業は残っている。
「クロヴィスたちが見えたわ!」
「思ったより屋敷に長くいたみたいね」
本当は海岸線の上空ではなく、もっと内陸側での落ち合う筈だった。
北西方向に黒い点が三つ。瞬く間にワイバーンと騎乗した人影になった。フェリシテのお兄様と家臣の誰かだろう。私たちも方向を変えて飛ぶと、合流するまで直ぐだった。
「遅かったな!」
「フェリシテに見せてもらった製品がとても良かったの!」
クロヴィスに返した私の言葉で、三人は「あー……」という顔になった。
「それで、どうだったの?」
「ちょっと森が狭かった。状況を考えると南より優先度が高いかな」
南、東と区別はしていても、二つの領地は運命共同体だ。どちらかが倒れるともう片方も共倒れする。
「じゃあ持ち帰って、植林計画を考えないとね」
森を広げるための木は種からではなく、予め育てておいたものを植樹する形で行う。ある程度育ってきたら下草になるような植物の種を撒くけど。
大きく育つ木と低木を交ぜたり、できる限り自然にできあがる森と同じ環境になるように気を遣っている。
だから離れた地である南の木々を、そのままマンティアルグ辺境伯家の北部には持っていっても駄目かもしれない。でも東部辺りなら根付くように思う。
「調査が終わったのなら……」
「敵襲だ――!!」
帰ろうと言おうとした言葉に被せるようにクロヴィスが鋭い声を出す。
私とフェリシテの後方、海からだった。
こちらよりも上空、かなりの高度に黒い点がいくつも見えた。
1里=約4km




