02. カミラの行く末
イレネーの元婚約者カミラ回。
貴族令嬢から実質的な平民落ちなので、ざまぁといえばざまぁかもしれません。
主人公に酷い態度を取りましたが、カミラ自身も被害者的立場なのでざまぁっぽくない感じにしました。
――どうして?
どうして、私がこんな目に遭わなくてはいけないの!
目を覚ましたのは、どことも知れぬ場所だった。
平民の家、というのは身窄らしさから一目で判った。
私が本来居るような場所ではないのは誰の目からも明らかで、でも居るべき場所も、帰る先もわからず、どうしたら良いのか目覚めた場所から動けず途方にくれた。
――私は。
王太子殿下が国王陛下の使者となって南の辺境に向かったのは半月以上前。オリオール伯爵家との婚約を結び直すための訪問だった。
でもけんもほろろに追い返され、そして……。
いくつもの火柱が上がって森が燃え、魔獣が暴走したのだ。
騒動の最中でジョルジュとはぐれ、私は……。
気づいたら粗末な村人の家らしい小屋の中で寝ていた。
それが今いる場所。
溜息しか出ない。
元々、自分が希望した旅ではなかったのに、こんな目に遭ったのだから。
あの時――国王陛下からイレネー様とのやり直しを提案されても、今更という気持ちしかなかった。婚約が破棄された後、私に瑕疵はつかなかった。むしろ辺境の野蛮人との婚約がなくなって良かったと、周囲から祝福されてたくらいだ。新たな結婚相手として何人かの殿方を紹介されたけど、これといって良いと思った方はいなかった。
だってお父様と同じような人たち――殊の外、男尊女卑が酷く、女は劣った存在だと公言してはばからない、尊大で嫌な人たちばかりだった。送られてきた釣り書きはバルト辺境伯家と所縁ある家門の出身者ばかりだったのだから、当然の結果だ。
お父様はいつも、良い家と縁づく以外に私の価値はない、と言い続けていた。南の辺境の価値が相対的に下がっていたあの頃、だから私が婚約破棄されても、何も言わなかった。周囲からも縁がなくなって良かったと言われこそすれ、後ろ指をさされなかったのも、お父様の勘気に触れなかった理由だろう。
とはいえ私はイレネー様に心を残していたし、切り捨てるように突き放されて、少なからず傷ついた。
――だからもう二度とお会いしたくなかった。
だって会ってしまえば、あのときの気持ちを思い出してしまうから。
身を引き裂かれそうなほどのつらい気持ち。
今となってはもう感傷でしかない。
既に過去のことであり、もう情は残っていないから。だけどあの時の感情だけが私の中に残っているのだ。
――お断りしたかったわ。
でもできなかった。王命だから。
私は憂鬱な気持ちで王都を発ったけれど、まさかもっと最低な気持ちになるなんて思ってもみなかった。
南に行く馬車の中は誰もが無言で、まるで刑場に向かう罪人の気持ちだった。
そして……感傷に耽るだけのうんざりするような長い時間が、とてもマシな状況だとは知らなかった。
ランヴォヴィル侯爵家とオリオール伯爵家の境界にある森が南の辺境の入口だ。遠くで魔獣の鳴き声が聞こえる深い森。でもかつてはもっと道の見通しが良く、領兵の詰め所があって道中の護衛を買って出てくれていたから怖くなかった。
でも数年ぶりの森は詰め所がなくなり、当然護衛もありはしない。茂った木々が道の上に濃い影をつくり陰鬱で、何より道の凹凸が酷かった。
馬車の揺れが激しすぎて、座ったまま転ばないように気を付けるのに必死になる。
「何なんだ、一体!」
王太子殿下が吐き捨てるように悪態をつく。
王都の整備された道や、避暑地に向かう街道よりは揺れが大きいものの、比較的人の手が入った街道しか知らない身であれば、こんな獣道みたいに荒れた道に怒りを覚えても仕方がない。
ちらりと視界に入ったジョルジュの様子を確認したら、私と同じく座席から落ちないように一生懸命な様子だった。
「もっと速度を落とせ!」
馬車の中から怒鳴るように御者に告げる。うるさすぎて声を張らないと聞こえない。貴族的ではないとか下品だとか言ってられないのだ。
「無理ですよ! 早めに抜けないと何があるかわかりませんからね!」
東の稜線が明るくなるころに入ったから、日の入りまでに森を抜けるのは余裕だと思う。でも昼間だからといって安心できないほど森は危険で、今までにないほど緊張感を強いられている。
「――くっ!」
苛立ちに顔を歪める殿下の姿は、今まで見たことがなかった。いつだって王族らしい隙の無さだったから。
森に入って既にずいぶん時間が経っている。もう少し我慢をしたら抜けきる筈だ。そうしたら大休止をとって、ゆっくりしても領主館に到着できる。晩餐の支度に間に合うくらいの時間になるだろう。
私の見込みは、しかし甘いものだった。
辺りが暗くなるよりほんの少しだけ前に、ようやく森を抜けたのだった。
――まさかまた野宿をするなんて。
貴族令嬢の旅程とは程遠い。
なんてこと、と内心では思っていても王太子殿下がいらっしゃるから口には出せない。計画を立てたのが殿下だから不敬になってしまう。
ぐったりとしながら、でも貴族らしく体面を取り繕いながらイレネー様たちとの面会に挑んだ。
――今更だったわ。
わかっていたけれど。
でもわかっていなかったのね、きっと。
街道の状況が中央からの客を歓迎していないのは一目瞭然だった。
思ってもみなかったほどの拒絶は、きっとそういうこと。
面会の場を設けられて、ようやく半月ほどの苦労が報われたと思ったのも束の間、剣を突きつけられ、罪人のように辺境の外、森の北側に放り出されたのだ。
そして殿下が森に火を放つように命令して、逃げまどう獣たちが使節団の野営地に乱入して……。
私はこうして知らない土地の、知らない家の中で寝ているのだ。
――なんだったのかしら?
私の苦労は一体。
何のために南の辺境まで来たのかしら?
溜息を一つついて気持ちを切り替えると上体を起こした。感傷に耽るのを止めて、今この場をのりきらなくてはいけない。
知らぬ者たちに寝起き姿を晒すなんて、はしたない真似はしたくない。
周囲を見回すと、着ていたドレスが椅子の上に畳まれていた。靴は寝台の横の床に揃えられている。肌着は寝ていたせいで多少着崩れてはいるけれど大きくはだけてはいない。
鏡はないけれど見える範囲から想像するに、意識がない間に無体なことをされてはいなさそうだった。手早くドレスを身に着け、手櫛で髪をまとめる。
オリオール伯爵家に嫁ぐために、一人で身の回りのことができるようになったけれど、貴族の令嬢としては不要な技能だった。
だけど今回の旅でまさか役に立ったなんて皮肉な話だった。
――害意はないと見て良いのかしら?
顔を洗うための水と手巾まで用意されている辺り、簡素だけれど扱いは悪くない。むしろかなりの厚待遇だろう、村人の生活を考えれば。
室内を観察しつつも、いつ誰が入ってくるかわからないから、できる限り早く見られる格好に整えた。
と同時に人が入ってきた。まるで私を観察していたようなタイミングだったけれど、少し驚いた様子だったから、本当に偶然だったらしい。
「ここはどこなのかしら?」
「マンティアルグ辺境伯領のウ・シュレ村だ」
「――!!」
まさかの……。
東の辺境伯領まで来ていたとは思いもよらなかった。
場所的にランヴォヴィル侯爵領のどこかの村だと思っていたのだけれど。
「あんたにとって運が良かったのか悪かったのかわからないが、領主様が来られるまではここに滞在してもらう。歩き回っても構わないが、村を出た場合、命の保証はできない。それと村の中でも歓迎されるとは思わないでほしい」
率直な物言いだけど、嫌悪感が出ているというより、貴族相手の話し方を知らないだけだろう。辺境は領主と村人の距離が近いとはいえ、誰しもが話をしたことがあるとは思えない。
それと丁寧な言葉遣いはできても敬語の話し方を知らないのだから、こういった話し方になるのだ。ということをオリオール伯爵領で学んだ。
「気遣いは無用よ。死なない程度に食料を恵んでくだされば、直ぐに出ていくわ」
「出ていかれるのは困る。あんたが死んでも何も思わないが、中央に難癖付けられたら迷惑だ」
眉を顰められながら言われるような内容ではないと思う。
でも正論だ。
国王陛下と対立姿勢を見せた今、揚げ足を取られるのが下策であるのは、政治に関わってこなかった私でもわかるのだから。
* * *
「久しぶりね、カミラ」
「まさかまた会うことになるとは思わなかったわ」
二日後、現れたのは東の辺境伯家のフェリシテだった。確かフォートレル辺境伯家の長男と結婚していた筈。なのになぜここにいるのだろう?
「結婚したのではなかったの?」
「したわよ、でもワイバーンなら日帰りできる距離だもの。用があればいつだって実家に帰ってくるわ」
王都の街屋敷ならともかく領地間の移動は気軽にできないというのは、中央貴族の常識であって、辺境の常識ではなかったらしい。オリオール伯爵家の当主夫妻もフォートレル辺境伯家の当主夫妻も、領地内で相手を見つけているから知らなかった。
それにオリオール伯爵家とフォートレル辺境伯家の二つの領主館は、領地境の直ぐ近くに建っているから、王都内で貴族の屋敷を訪問するくらい気安く行き来できるし。
「それで私はいつ帰れるのかしら?」
単刀直入に本題を切り出した。
以前はそれなりに良好な関係で友人付き合いをしていたけれど、イレネーとの縁が切れた今、辺境人であるフェリシテとの縁も切れている。慣れ合うような関係ではないのだ。
「帰る場所はあるの?」
「――!!」
辺境には居られないから王都に戻らなくてはと思っていたけれど、戻れるかどうかといえば、わからないとしか言いようがない。
お父様や国王陛下にとって、私はまだ必要な駒なのだろうか……?
「でも辺境に私の居場所はないもの」
「そうね、カミラの居場所はないわ」
「だったら――!」
わざわざ追い詰めなくても良いじゃない。猫が獲物をいたぶってから殺すような真似をしなくても。辺境にとって私が敵の一人だから、傷つけようとしているのかしら。
「貴族令嬢のカミラは必要ないわ。でも令嬢の嗜みである刺繍やレース編みのような、技術を持った職人は足りていないの」
――どういうこと?
言っている意味がわからない。わかるけど、でも理解しがたいというか……。
「要するにね、中央に居場所がないなら辺境で職人をしないかってこと。貴族らしい生活はできないけど、腕さえ良ければ指導者としてそれなりの待遇は保証する」
「考えさせて……」
フェリシテの言葉は、私の許容を超えたものだった。帰る場所がないならと、単純に考えれば飛びつくほど有難い提案なのかもしれない。
だけど私は中央貴族として生まれ育った身だ。多少は身の回りの事を自分でできるといっても、洗濯から食事の支度まで、平民の女のようになんでもきっちりできる訳ではない。オリオール伯爵家の花嫁修行でできるようになったのは、起きてからの身支度と寝るときの着替えが一人でこなせるという程度なのだ。
何より私が辺境で受け入れられる訳がない。
どういうつもりで提案したのか知らないけれど、上手くいくとは思えなかった……。
三か月後――
私は港湾都市ルモーリで生活している。
――案外なんとかなるのね。
全てを自分で整えるような生活ではないけれど、一応自活できるのは我ながら驚きだった。
ルモーリは海の近くの城塞都市だ。
貿易港としてスタンピード以前から栄えていた都市は、魔獣による大きな被害も受けず、だけど海上貿易がなくなって多少寂れた。
それでも辺境有数の都市。ただの田舎町だけれど。
海を渡って新たな流行が入ってこなくなった結果、最先端の流行発信地ではなくなり、その地位は王都にとって代わられた。
結果、すっかり流行遅れになった。それどころかただの田舎町に成り下がったらしい。大都市だっただけあって、人口や大きさは辺境有数のままだけど。
時代が下って中央と辺境の緊張が目に見えて高まり始めた十年以上前から、また文化や流行の発信地になるべく、そして中央と断絶したら手に入らなくなるだろう贅沢品を、領内で生産できるようにしたのがここルモーリなのだ。領主家主導で事業を始めた結果、いくつもの工房が新しくできたのだとか。
職人の手が足りなさ過ぎて、人前に出しても恥ずかしくない程度でしかない私の腕前でも、職人として通用するらしい。
ほかの職人と比べて手は遅いけれど、洗練されているから付加価値が高いと言われても、何を当たり前のことをという感想しかない。平民が、生まれたときから美術品に囲まれた生活を送って自然と身についた貴族に敵うわけがないのだから。
でもそんなものは図案を考える職人なら当たり前の才能であって、私に対する価値なのかよくわらないまま、仕事を続けている。
そして家事をやらせるよりは刺繍やレース編み、それらのデザイン画などの作業をしている方が、工房にとって有益だからという理由で、身の回りの世話をする使用人が付いた。
一応、工房の職人頭という役職がついたらしい。
フェリシテとは目を覚ましたとき以降、一度しか会っていない。
村を出る際に一言二言、言葉を交わして終わりだ。
自分から望んだ生活ではないとはいえ、辛いと思うほどではないのだから悪くはないのかもしれない。
まさか北の辺境伯家の私が、東の辺境伯領で平民として生活するようになるなんて、思いもよらなかったけれど、先が見えないのが人生なんだと、傍観者の自分がいた。
私があの使節団とはぐれるよりも早く自らの足で離れたジョルジュも、私と同じように辺境のどこかで穏やかな暮らしを手に入れられていれば良いのにと思いながら一日が終わる。
洗脳教育怖い回。
連綿と国王絶対、王家サイコーな教育が続いていると、自分の意思よりも王命優先して、それが絶対だと思っちゃうよねという話。
1章であれだけ真剣に復縁を口にした2人が、実は全く未練がなかったという……。
カミラは恋に恋しちゃうような令嬢ですが、割と一途なので惚れるととことん尽くすタイプかも。
但し惚れた相手限定なので、その家族は対象外という興味の範囲が激狭ですが。