01. ジョルジュの後悔
お待たせしました連載再開です。
中央からの使者の来訪と、その夜の襲撃から一か月後――。
クロヴィスと一緒に街道近くの森を視察に訪れている。前回は植林直後の約半年前だった。大丈夫だろうと思いつつも、気になって見に来たのだ。
「随分と森が広がったわ。それに鬱蒼としてきている」
隣で飛ぶクロヴィスに話しかける。
ワイバーンから見下ろす森の北縁の木々が育ち緑が濃くなっている。
まだ少し肌寒さがやわらいだ程度の暖かさだけど、植えた直後の土ばかりが目立っていたのと違って、木の合間から地面が見えなくなっている。植林から半年とは思えない成長っぷりだ。防衛線の強化目的で促成栽培したけど、上空から見る限りでは悪くない環境のようだった。
「地上に降りてみてみたいけど……」
「止めてくれ。マリエは辺境の最重要人物なんだから、敵地に降りるのは駄目だ」
オリオール辺境伯領の反対側、ランヴォヴィル侯爵領側は既に敵国だった。
「聖人の末裔たるキエザ辺境伯家があるから、何とかなると思うんだけど?」
最近までは魔力量から唯一無二の存在だったけど、隣国の辺境伯家との交流ができた現在、相対的に聖女の重要度は減ったと思う。
「俺が嫌なんだよ。森の外は敵地なんだから、絶対に下ろしたくない」
お兄様とルイーゼの結婚式の後で告白されてから、私たちは順調に交際を続け少し前に結婚している。元々、兄のように優しい存在だったけど、付き合い始めてから甘さが激増して、あっという間に恋人として認知された。あまりの甘さに恥ずかしくて逃げようとしたけど、周囲が全員クロヴィスの味方になって逃げ切れなかった。
「下りたいんだったら城壁の内側だ」
魔獣対策のために張り巡らした城壁は魔法結晶で強化しているから内側は安全地帯だ。
「そういえば夜襲の後、中央に戻らず移住した兵士が居るっていってたっけ?」
同じ国とはいえ辺境は考え方も習慣も違うから、帰りたいなら味方と合流できるようにしようと提案したらしい。捕虜にとったところで、近い将来に人の往来ができなくなることもあって価値を見いだせない。そもそも捕虜と交換する材料が中央には全くないから、捕虜を取る意味を探す方が大変だった。
そんな訳で中央人の兵士に戻れるよう取り計らおうとしたが、断って辺境に住み着いたらしい。助かったのは一人だけで、受け入れ側の負担が少ないからと、最寄りの村が引き取ったと聞いている。
「森の近くに住む村人でさえ辺境を下に見てるのに、珍しいのもいるよな」
「そうよねえ、訳アリなんでしょうけど、だったら西か北の辺境伯領の方が良かったんじゃないかって思うわ」
南の辺境と呼ばれるオリオール伯爵家とフォートレル辺境伯家、東の辺境と呼ばれるマンティアルグ辺境伯家と違い、西と北の辺境伯家は中央人として生きる道を選んだ。
魔獣被害の大きな森の近くを危険地帯として領地の中でも王都よりの土地に住み、魔獣や森に生える薬草は年に数回の遠征で採取するのみ。
そんな土地だから中央のしがらみから完全に逃れることはできなくても、こちら側よりは慣れた環境で人生をやり直せるのではないかと思った。
「気になるんだったら、どういうヤツか確認してみようか?」
「ええ……」
好奇心もあるけど、何か月も村で暮らしてみて、やっぱり帰りたいと思っていたら、森の北側まで送ろうかと思う。今はまだワイバーンで森を越せるけど、夏を過ぎたらどうなるかわからない。
後悔しているなら行ける間に帰してあげたいと思っている。
「村に移住した元兵士の人はどんな感じ?」
「ようやっと辺境の暮らしに馴染んできたって感じですかね」
何をするにも手取り足取り教えないといけなかったから、良いトコの家の出ですよ、という報告は上がってきていた。だけど元の身分に傲らず謙虚に教えを乞う姿に、村人は絆されているらしい。ランヴォヴィル侯爵領地の村人より腰が低いらしく、悪い印象はないのだとか。
「今はワイバーンの世話をしてます。中央人なのに怯えないんで何でもやらせられます」
割と高評価だ。
「もしかして北か西の辺境伯領出身かしら?」
「かもね、でなければ魔獣の多い辺境でやってくのは難しいだろう」
元中央人という兵士に興味を持ちつつ竜舎に向かう。
ワイバーンの世話をしていたのは、もう二度と会う機会はないと思っていた人物だった。驚愕のあまり、どう接したら良いかわからない。頭が真っ白になるってこういう感じかしら、などとまるで他人事のようだ。
村からの報告では国王軍の逃亡兵らしいという話だった。
「ジョルジュ……!」
何故と思うと同時に、何度も領地には来ていたのに、彼が私の元婚約者だと何故わからなかったのだろう、と思ったところで、領主館の近辺にしか行かなかったから、ジョルジュの顔を知らない領民は多いことに思い当たった。
もし知っていたとしても十年近い年月が経ったことや十歳の子供の姿から二十歳の青年の姿が重ならなくても仕方がない話だろう。
とはいえ……。
「ミラボー、どういうことだ?」
クロヴィスが盾になるかのように立つ。
「名は捨てました。今はジャックと名乗っています。以後、そのように。次があれば、ですが」
そう言い切ると小さく会釈をして仕事に戻る。
何故、辺境に留まったのかわからないが、少なくとも私に未練があったからではなさそうな雰囲気だ。柔らかな金髪は王都にいたころと変わらないものの薄汚れて、貴族らしさの欠片もない。
「それだけで済むか、お前は跡継ぎではないとはいえ公爵家の令息で、王族の血を引いているんだぞ!」
クロヴィスの言葉はもっともだ。王弟の子なのだから、継承権が低いとはいえ順番が回ってこないと言い切れない程度には高く、王都において軽んじて良い血筋ではなかった。辺境は中央と事情が違うとは言えど、やはり放置はできない。
ジョルジュは小さく嘆息すると、私たちの方に向き直る。仕方なさと面倒くささがないまぜになった表情だ。
「生き残ったのは殿下と殿下を守っていた騎士の一部だけだ。僕が戻らなくても戦死したと見做される状況だった。何か月も経って、まだ生きてるとは思わないだろう」
生きてさえいれば王都に戻っている筈だと関係者たちが思っている、むしろ戻らない理由がないと信じ込んでいるのだと言い切った。
「それに……もうすぐ王国と辺境は森で隔たれて、僕がここで生きているからと手を出してこれなくなるだろう? 何より生存確認もできなくなる」
「知っていたの?」
森の拡張を領民に秘匿していない。けど特に積極的に話もしていない。ただ中央とのやりとりは最低限に、どうしても行かなくてはいけないときはワイバーンによる空路だから道は必要なくなるとだけ説明している。領民の殆どが縁を切ったと察しているみたいだけど。
「話し合いの場に当事者としていたんだ。判らない訳がない」
ジョルジュはあまり出来が良いとは言えない学生だった。公爵家を継ぐ必要のない次男であったし、権謀術数に長けていなくては生きていけない王都ではなく、体力の方が重要な辺境の入り婿予定だったから問題になってはいなかったが。
「辺境に住んだとして、マリエとの復縁はありえないんだが」
「そういうんじゃない。王都に居たくなかったから辺境に居るだけだ。ここを出たら王都に連れ戻されるから」
言葉を交わす度に疑問が増える。
「良くも悪くも中央貴族らしくて、その枠からまったく外れなかったのに何を考えているの?」
「簡単な話さ、僕は「悲劇の貴公子」であり続けるのが面倒になった」
――ああ、そういうことか。
悲劇の貴公子という言葉を聞いて、ストンと腑に落ちる。辺境を中央より一段低く見るために私を貶めていたのは国王だ。王都でのジョルジュは野蛮人の姫に差し出された悲劇の王子様扱いで、常に同情される可哀そうな存在。私への当てつけだとばかり思っていたけど、それだけではなかったのだろう。
婚約解消前から別の令嬢を侍らせていたのは不誠実だけど、これも国王が噛んでいた。不誠実な態度は貴族の常識でも平民の常識でも明らかにおかしいのに、ジョルジュの非はないものとされている。私や辺境が悪であり、婚約させられた被害者と見做されていたから。
本来、誹られるべき言動が許されていた理由は「可哀そう」の一点に集約する。
言い換えればジョルジュが「悲劇の貴公子」であり続ける限り、私たちの婚約と破局の事象の糸を引いた人物にも批判の目は向かない。たとえ貴族の価値観にそぐわないものであっても。利用されたのはジョルジュも同じだ。
「だからと言って家族まで捨てなくても!」
「残念ながら僕が死んだ方が公爵家としては都合が良いんだよ」
皮肉な笑みは、今まで見たことがなかった。
「甘ったれで勉強嫌いだった僕が、王宮で職を得られるとは思えないし、どこかに入り婿になれるとも思えないしね。やり直すなら何の柵もない土地が楽なんだ」
「でも慣れてないでしょう? 力仕事ばかりなのだし」
「平民の大変さと貴族の大変さとは質が違うだけで、どう生きたって大変なのは変わらないよ」
今まで楽をしていた分のツケが回ってきただけだと呟いて肩を竦める。
「後悔はないのね?」
「しっぱなしだよ、後悔なんて。流されて婚約するんじゃなかったとか、決まった婚約を厭んだとしても無責任な真似をするんじゃなかったとか。義務から逃げ出して楽な方に逃げて遊び回ってたとか」
王都に居た頃の自分を全否定する言葉に、どう返したら良いか考える。身も蓋もない言い方だけど、顔以外に取り柄のない残念貴公子だったのだ。
「成長したね。自分を客観視できるようになったなんて、すごい一歩だわ」
与えられた特権の上に当然の如く座っていた貴族の子息とは思えない。
「トドメを刺してやるな」
見るとジョルジュは傷ついた顔をしている。
自分で言って自分で傷ついただけだとも思える。私が肯定したことで、婚約解消前の自分の酷さを思い出させたのか……。
「なんだかごめんなさい……」
「いや……良い所がなかったんだから、言われても仕方がないよ」
力ない笑みを浮かべてた一瞬の後に、引き締めた表情に戻った。
「僕はここでただの村人として生涯を終えるつもりだ。ジョルジュ・ミラボーは夜襲のときに死んだ。魔獣に食い荒らされて死体の判別は無理だった、ということにしておいてほしい」
「夏までだ」
仕事に戻ろうとするジャックの背中に、クロヴィスが声を上げる。
「夏至祭まで、もう一度よく考えてみろ。もし帰りたくなったら森の向こうに送ってやる。夏至を過ぎたら木が成長して森を越えるのは難しくなるからな」
「わかった。もう一度考えてみるよ」
振り向きもせず返事をする。既に意識は世話をするワイバーンの方に向いていた。
「邪魔をしては駄目そうね」
「帰るか」
私たちも自分の仕事に戻る。視察は終わったけど、まだすべきことは残っている。
ワイバーンに乗って上空から森を一望すると、遠くに平野が広がっているが、人の営みは見えない。馬で一日移動した土地に家はなく、数日後の夕方にようやく南端の村に到着するほど、ランヴォヴィル侯爵領では森から離れた所に人の生活がある。
「森の恵みを甘受し、脅威と対峙しながら生活している私たちと、森から距離を取ることで対処している人たちとでは、考え方が違って当然なんでしょうね」
「そうだな、次に邂逅するとしたら百年後や二百年後になるのかもしれないな」
大陸を分断し人を絶滅させる勢いだった魔獣の暴走から立ち直り国ができてから二百年。少しずつ森を削り国土を広げた王国は、辺境の離反という形で初めて領土を削った。
南と東の辺境伯家は隣国の辺境伯家と合流し、一つの国として歩み始めたと、後から思うのかもしれなかった。