38:遅かった。
再度、真っ黒な通路に目を向ける。
さっきまで怖いと感じていたが、施設の明かりがつくことで、暗い範囲がぐっと減っている。何より中で、フレデリックが待っているとのかと思うと、早く行かなければ――という気持ちが湧いてくる。足早で屋内プールの入口へと向かった。
施設の入口に着いた。ガラスの扉からは、中が見える。
受付カウンターがあり、その後ろの棚には、白いバスタオルがきちんとたたまれた状態で、ずらりと並んでいる。ハンガーには、バスローブがかかっているのも見えた。カウンターの横には、観葉植物もある。
扉を押すと、ちゃんと開き、中へ入ることができた。
右手にはソファセットがいくつもあった。ここでプールの利用前後に、軽食などを楽しめるようだ。左手には、リクライニングチェアが、これまた沢山ある。プールで疲れた体を休め、寛ぐことができるようになっていた。
左右のそれぞれの奥に扉があり、どうやらそこが男女別の更衣室への入口になっているようだ。更衣室で着替えをして、屋内プールへ――という流れになっていると理解する。
屋内プールには初めて来たので、まじまじと施設の様子を観察してしまった。
肝心のフレデリックは、どこにいるのかしら?
そう思った瞬間。
背後に何か気配を感じたけれど、遅かった。
突然、「騒ぐと刺す」と言われ、背中に何かを押し当てられていることに、気が付いた。
驚き過ぎて、声も出ない。
その私の目の前に現れたのは……センディングだ。
「兄上からの誘いだからと、こんなところまで供もつけずにやってくるとは。そんなに兄上がいいのですか? あ、王太子の身分ですか、やはり。世の令嬢は、結局、最後は地位を選ぶのですね」
「ち、違います!」
「だったらどうして婚約者がいるあなたが、こんなところへ? 仮にここへ兄上が本当に来たとしましょう。こんな場所で兄上と二人きり。しかも自分の意志でここまできておいて、何かされても文句は言えないですよ?」
センディングはシルバーブロンドの髪をかきあげ、ため息をつく。そしていつの間にか現れた護衛の近衛騎士達に指示を出す。近衛騎士に促され、私は歩き出すことになる。
抵抗も考えた。だが何かする前に、背中に恐怖を感じる。しかも左胸の後ろ。何かすれば、背中からブスリとやられる状態であることは、嫌でも分かってしまう。ここでブスリとやられても、犯人不明で終わりだ。
仕方なく、歩き出す。
どこへ行くつもりかは分からないが、受付カウンターの横にあった扉を開けると、階段が続いている。そこを下りて行くことになる。
「どうしてですかね? わたしの方が、兄上より優れた容姿をしている。武術の腕だって上です。兄上のあの体では、俊敏に動けない。あんなのろまが王太子だなんて、信じられないと思いませんか?」
「そう仕向けたのは、センディング第二王子殿下ですよね? わざと甘い物や高カロリーなものばかり食べさせ、服も」「ああ、やはり」
私の言葉を遮るようにして、センディングは話を続ける。
「急に兄上が変化を見せるから、おかしいと思ったのです。やはり、あなたでしたか。兄上に入れ知恵をしましたね。まったく」
そこで地下一階に着いた。扉を開けると、そこはランドリールームになっている。当然だが洗濯機という文明の利器は存在していない。代わりに洗い場があり、洗濯絞り機もあった。洗濯を終えたタオルが、沢山吊るされている。
「ヴィクトリア・サラ・スピアーズ。公爵令嬢で、それだけ美しいのだから。変に頭が回る必要はないのですよ。しかも王族の婚約者。美しい花は、黙ってそこに咲いているでしょう? それでいいのですよ。余計なことはせず、おとなしくしていればいいのに。わたしの婚約者のように」
少し太めの柱があり、その前に立たされた。そして柱に背中をつけた状態で、両腕をその柱の後ろに回すように言われ……手錠をかけられてしまった。
「こんな場所に私を閉じ込め、何をしたいのですか?」
「いい質問です」
センディングは微笑み、私の体のラインをなぞるように手で触れた。
どんなにイケメンであっても、こんな状況でそんなことをされては、嫌悪感しかない。
「本当は……あなたと楽しみたかったのですが、予定を変更するわけにはいきませんので」
予定……? なんのこと!?
「兄上のお守りには、飽き飽きしていたのですよ。今回の旅は、実にいい機会でした。あなたも余計な事をしなければ、生き残れただろうに」
「な、何をするつもりなのですか、センディング第二王子殿下!」
「知りたいですか?」「知りたいです!」
するとセンディングはまさに王子様の微笑みで「ではわたしの靴に、跪いて口づけをしてください」と、とんでもない一言をのたまった。


























































