撤退
大音響に硬直するコニーの横で、振り向いて姿を認識し歯を食いしばるレーネの横で。――リクは、ソレが形成されるところをちょうど正面に捉えていた。
少女が消えていったときの逆再生。突然砂粒のような小さな光が集まってドラゴンの輪郭をとり、そのまま細部が形成されて音もなく幻が形作られてゆく。大きな前腕も、古傷のある足も、捻じ曲がった右ツノも、頭上からこちらを睥睨する瞳も。それが光と共に現界した時、リクにはそれがほんの数秒に満たない間で起こったこととは思えなかった。それほど精巧だった。
そしてコニーが本物のレフィと幻の少女の見分けがつかなかったように、リクにもソレと本物のドラゴンとの違いがわからなかった。
……本物を見たことがないからではない。たとえ偽物だとしても、ただただ美しいと魅入られたのだ。凶悪な見た目とは裏腹に淡い光に包まれたドラゴンの幻はいっそ神聖ささえ感じるほどで、それは本物と遜色ないほどリクの脳に焼き付いた。
これは、僕が、まだ見たことがなかったものだ。もっとずっと見ていたい。知りたい。
――だがそうはいかない。
(咆哮)――――!!!!
燐光が消え去った瞬間ソレの目に憎悪が乗り、木の葉をビリビリと揺らす咆哮に鳥たちが逃げ去っていく。幻の翼が鬱陶しいとばかりに広げられ、バサリと一度大きく揺れたあとまた折りたたまれる。そして引き締まった尾で強烈に地面を叩き、枯れ葉を土ごと巻き上げた。
さらにソレは太い前腕で茂みを無造作に踏みつけ、硬直した3人の目の前に一歩踏み出した。バキバキバキ、と嫌な音がして枝葉が散る。
「逃げるよ!」
〔逃げてください!〕
ほぼ同時に叫んだのはレーネとアヴェーラだ。3人全員駆け出そうとする、が。
(唸り声)――――!!!!
ソレは姿勢を低くして唸り、3人を真正面に捉える。全員瞬時に気がついた。突進の構えだ。
……最悪だ、逃げ隠れできそうな大木が無い。リクは反射的に腰の剣を構えようとして無理だと悟った。あの体格、あの剛腕に轢き潰されて終わりだ。恐怖で無意味に力を入れた剣の柄が軋み、ベルトにつけたストラップがチャリリと揺れる。
――ストラップ??
「それっ!!」
リクは考えるより先に投げていた。思い切り引きちぎったストラップが放物線を描き飛んでいき、重低音の唸り声を上げるソレにカツンと当たる。薄茶色の堅麟に青い魔石の煌めきが映り込んだ次の瞬間、パンと軽い音と共に爆ぜ、幻の竜を青い輝きで包みこんだ。そのまま光は幻に吸い込まれるように一瞬で消える。
(困惑する唸り声)……!!
足止魔術でわずかに動きが鈍ったチャンスを見逃す彼らではない。コニーとリクは一目散に森に飛び込み、レーネはというと。
「ダメ押し――!」
ばさり、と外套を翻す。そこに見えるのは裏地の青い三角模様だ。すると突如模様が剥離し、青い光となって羽ばたいた。蝶だ。それも一つや二つではない。その青い光から分裂するように増え、明らかに模様以上の数がいる。あっという間に幻の竜を取り囲むだけでなく、この広場ほぼ全範囲をカバーした。一番遠くの蝶は霧に隠れてぼんやり姿をぼかしているほどだ。
「モルフォ、錯視魔術!!」
叫んだ彼女もそのまま振り返らず森へ飛び込む。その直後。
ぐわん、と空間が歪んだ。
もしリクが振り返ってこれを見たらあんぐり口を開けただろう。まるで絵の具を混ぜるように木が捻じ曲がり、小石が伸びているように見える。――空間を対象に、それを見た相手の視界を歪ませる術。
そうして光の蝶は己が存在した範囲に一気に干渉をかけると、役目を果たしたとばかりに弾けて消えた。
森から撤退中、誰も一言も話さなかった。ただ3人とも、自分のバクバクした心臓の音を聞きながら、黙々と足を動かして走っていた。
そして牧場に戻り、いつかBBQをした作業場に辿り着くと。
「「「はあ……」」」
3人とも同時にため息をついて、長椅子に倒れ込んだ。
「おい、俺ら生きてるよな」
「生きてますよ……」
死にそうな声でボソボソ会話するコニーとリク。レーネは倒れ込むのはお行儀が悪いと座り直したものの、テーブルに肘をつき顔を手で覆っている。その外套にはいつのまにか三角模様が戻っていた。
そのまま3人は声にならないうめき声をあげて放心する。
――この作業場は丘の上にあって見晴らしがいい。いつの間にか霧が晴れてきたこともあり、先ほどまで彼らが入っていた森がよく見える。夜にやったBBQの時には気がつかなかったことだが、今は見たくなかったとぐったりしながらリクは目を閉じた。
やがてリクが起き上がり、口を開く。
「ねえ、アヴェーラ。ロビンでも所長でもいいです。聞いてるんでしょう?」
〔おう。お疲れ様〕
アヴェーラからバトンタッチして出てきたのは所長だ。この時間は交代どきじゃなかったはずだから、たぶん横から口出してきたな、とまだ緊張しすぎて痛む頭でリクは思った。そして妙に平坦な声だとも。彼はこれから言われることをわかっているのだ。
「……いつから気がついていたんですか、所長」
〔……。〕
「あれはレフィって子の幻だった。過去の幻。」
〔……。〕
「ロビンの言うことを信じるなら、調査を始める前に現在のドラゴンに該当はなかった」
〔……えっと。〕
「ドラゴンの姿形は何度か情報収集して手に入っていた」
〔……その。〕
「生きているなら森の最深部。」
〔あー……〕
「――。」
〔……すまなかったな、なかなか伝えられなくて〕
ガタン、ゴンとぶつける音が通信越しに物音が聞こえた。認めた所長にリクは長いため息をつく。横を見るといつの間にかコニーも起き上がっていて、レーネと合わせて2人で胡乱な目をして腕輪を睨んでいた。
「……。何で黙っていたんですか」
くたびれたリクの声は、怒りよりも疑問の色が強い。――リクは本気で所長のことを性格が悪いと思っているが、一方でいち観測船の所長であることも理解している。出自の曖昧な自分はともかく、ギルド所属の冒険者まで巻き込んで情報を落とさないことはあまり考えられなかった。ましてレーネは王都ギルド所属だ。
それに対して所長は言葉を詰まらせると、やがて訥々と話し出した。




