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菫の君  作者: 燈華
3/3

3.

結局、二人の予定が合わず、次にイーヴォに会ったのは、恒例の二人でのお茶会の時だった。


「先日は屋敷まで送っていただきありがとうございました」

「いや、俺が勝手にしたことだから」

「あの後、大丈夫でしたか?」

「ああ、大丈夫だった。もちろん咎められもしなかったから安心してくれ」

「よかったです」


ほっとした。

あの場にミーディアがいなければ起こらなかったことなので、咎められていたらどうしようかと心配だったのだ。




しばらくは当たり障りのない話をしていたが、不意にイーヴォが居住まいを正した。

ミーディアは身を堅くした。


今度は何を言われるのだろう……?


逃げたいけど逃げるわけにはいかない。

イーヴォはいつぞやと同じように真っ直ぐにミーディアを見た。


耳を塞いでしまいたい。

必死にぎゅっと膝の上で手を握る。


イーヴォが真っ直ぐに告げた。


「婚約解消の申し出を撤回させてほしい」


ミーディアは大きく目を見開いた。

驚きすぎてしばらく言葉が出なかった。


「やはり、都合がよすぎる、か?」

不安に揺れる声を聞いて、はっと我に返った。


「いえ、その、いいの、ですか?」


しどろもどろになってしまった。

イーヴォの眉が寄る。


「どういうことだ?」


本当は何もなかったことにしてそのまま受け入れてしまえれば幸せだろう。

全てを呑み込んで何もかもに目をつぶることができれば。


でも、それは、できない。


躊躇(ためら)ったが、ミーディアは思いきって口にした。


「貴方には、想う方がいると聞きました」


誰か他の人を想うイーヴォの隣で、形だけの妻になる自信は今のミーディアにはない。


「あー……」


イーヴォは天を仰ぎ、すぐに片手で顔を覆った。


その反応からして事実なのだろう。

そして、それをミーディアに知られているとは思っていなかったに違いない。


少しして顔を覆っていた手を外し、イーヴォは真っ直ぐにミーディアを見た。


覚悟を決めた、()をしている。


「話を、聞いてくれるか?」


その瞳を見て、ミーディアも覚悟を決めた。


「はい」


イーヴォは一つ深く息をすると、告げた。



「俺が一目惚れしたのは貴女だ、ミーディア」



自分の都合のいい空耳を聞いたのかと思った。


「俺が好きなのは貴女だ、ミーディア」


もう一度イーヴォが言う。


だけどそんなはずはない。

だって彼の想い人の瞳の色はーー


「で、ですが、貴方の想う方は菫色の瞳だとお聞きしました。私の瞳は青です」


イーヴォが頷く。


「俺もそれで混乱したが、気づいたんだ。色の、魔法だ」

「色の、魔法……?」


ミーディアには意味がわからない。

イーヴォは頷いて続けた。


「先日、貴女は濃い橙色の薄いベールを(かぶ)っていた。光に透かして瞳が見えるくらいの。その前は夕方で濃い橙色の光の中でその瞳をさらした」


少し思い返してから小さく頷く。


「はい」

「そのどちらも俺には菫色に見えたんだ」


ミーディアはベールの下で目を(またた)いた。


青い瞳に橙色が重なって菫色に見えた、そういうことだろうか?


「青に橙色が重なって菫色に見えた、ということですか?」


おずおずとミーディアは尋ねた。


「どうしてなのかはわからないが、たぶんそうなのだと思う」

「それで菫色の瞳の方を探していた、と」

「ああ」


それが実はミーディアだった、だなんていまだに信じられない。

それに、ミーディアはあの時、外で顔をさらしたのだ。


それなのに、だ。


どうしても気になって思いきってミーディアは尋ねた。


「はしたない、とは思わなかったのですか?」

「思わない」


イーヴォはきっぱりと言った。

あまりにもきっぱりと言われたため、ミーディアは目を丸くした。


「町を警邏していると時々そういうことに遭遇する。この町は常に風が吹いているから」


ミーディアはあまり外出はしないので、そのような事態に遭遇したり、経験したことはなかったがままあることのようだ。


「そうなのですね」


それなら、イーヴォにとっては本当に何てことのないことだったのだ。


ふっと力が抜ける。あんなに気にして悩んでいたのに。


「はしたないと思うどころか可愛いと思った。一目惚れしてしまうほどに。でも今はそれ以上に貴女のことが知りたい。そして俺のことも知ってほしい」


ミーディアは目を見開いた。

頬が赤くなっているのがわかる。


見えていなくてよかった。


恥ずかしくて目を伏せて精一杯ミーディアも告げる。


「私も貴方に私のことを知ってほしい。そして貴方のことが知りたい」


イーヴォが嬉しそうに微笑(わら)う。


「これからお互いのことを一緒に知っていこう」

「はい」


ミーディアの顔にふわりと微笑みが浮かんだ。


これから一緒に生きていけるのだ。

お互いに相手のいろんなことを知っていくのだろう。

良い面も悪い面も。

それでも一緒に生きていく。




「そういえば、どうしてあんなところにいたんだ?」


イーヴォの疑問ももっともだ。


「ええと、」


貴方を見に行っていたのだ、とは正直に答えにくい。


「答えたくないなら答えなくてもいい。ただ貴女は普段からあまり出歩かないし、心配なんだ」


じっとイーヴォの目を見る。

ベール越しでも本当に心配してくれているのが伝わってきた。


本気で心配してくれているイーヴォに自分の恥など何でもない気がしてきた。

それに先程彼は正直に話してくれたではないか。

今度はミーディアが正直に告げる番だ。


「貴方を、見に行っていたんです。前に仕事中の貴方を見かけて、格好よかった、から……」


最後は(ささや)くようになってしまったが、イーヴォには届いたようだ。

片手で口許を覆い、イーヴォが顔を()らした。それでも顔が赤くなっているの隠せない。


ふと、ミーディアは今なら自分の気持ちが伝えられるのではないかと思った。

先程イーヴォも好きだと言ってくれたではないか。


ミーディアは意を決して呼びかけた。


「イーヴォ」


まだ顔が赤いまま、それでもミーディアを真っ直ぐに見てくれる。

ミーディアは自然と微笑んだ。



「貴方が好きです。ずっとずっと貴方が大好きだったのです」



さらにイーヴォの顔が真っ赤に染まる。

口許を手で覆い、視線をあちこちに彷徨(さまよ)わせていたイーヴォは不意に真っ直ぐにミーディアを見た。

決意とした熱を持った瞳だ。


そして、告げた。



「俺もミーディア、貴女が好きだ」



今度はミーディアが真っ赤になる番だった。

二人してそれ以上は相手を見ていることはできなかった。


乾いた風の吹く、柔らかい光が祝福するように降り注ぐ幸せな午後のことだった。




***




後日、イーヴォの父親がやってきた。

勢いよく頭を下げてイーヴォの父親が言う。


「息子が馬鹿で申し訳ない。愛想を尽かしていなければ、今回のことは不問にしてやってもらえないだろうか?」


ベールの下で目を丸くしたミーディアだったが、すぐに微笑んだ。


「はい。そのつもりです」


すれ違いはあったけれど、気持ちを伝えあった今は迷いはない。


「私はイーヴォと生きていきます」


今度はイーヴォの父親が目を丸くする。だがすぐに嬉しそうに柔らかく微笑んだのだった。


〈終〉

読んでいただき、ありがとうございました。


濃い青+橙色でイーヴォには菫色に見えたということです。

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