古代文明(クレタ・キプロス・インダス)の日本語(問題点の解説)
7月24日、インダス文字の項目で、大野晋の「クレオール・タミル語」説に反対する空気の背景として、スリランカの、かつての内戦に言及。
6月29日、「原典は日本語の文語体」に加筆修正しました。
2018年から、筆者は、青銅器時代のミノア文明(ギリシャのクレタ島など)の遺跡から発見された未解読文字(線文字A、クレタ聖刻文字)に加え、キプロスの古代文字(キュプロ・ミノア文字、キプロス音節文字)に関し、欧米の研究者の究明した音価、またローマ字に変換した原典を参考に、それぞれの背景言語を日本語と推定し、日本語として解読していく作業に勤しみ、大きな成功を収めている。特にキプロスの古代文字には、二か国語の原典や付随する漫画から、古代の日本語が記されている明白な証拠を得た次第である。
またインダス文字については、記号の意味や音価が不明なところから始める必要があったが、線文字Aやクレタ聖刻文字の音価を手掛かりに、日本語として解読する作業に勤しみ、説得的な結果を得ている。
しかし時空的に広く散らばる文字体系が、全て日本語として解読可能なのは、まるで手品の様であり、先ず信憑性が問題とされよう。それぞれの背景言語につき、線文字Aの場合、ミノア語。キプロス音節文字は、キプロス祖語。インダス文字は、インダス語とすれば、最終的な目標は「ミノア語もキプロス祖語も、またインダス語も、全て古代の日本語である」と示す事だが、これは明らかに大きな挑戦である。
(遠隔地に対する偏見)
一つの大きな問題は、「古代文字の背景言語は、原典の出土する国か近隣地域の言語であり、その古い形態だろう」との予断が働く事である。過去の解読の成功例に鑑み、古代文字に関しては、今日の国境線の枠内や近隣地域で背景言語を探すべしとする「常識論」だろう。
エジプトの聖刻文字の場合、同国で発見された2か国語原典「ロゼッタ・ストーン」が解読の鍵となったが、エジプト国内のコプト語と関係が深い由。またメソポタミアの楔型文字の場合、イランで発見された「ベヒストゥンの碑文」(楔型文字による3か国語原典)が解読の鍵となったが、古代ペルシャ語の原典が先ず解読され、続いてエラム語及びアッカド語の原典が解読された。何れもイラン及び近隣地域の言葉である。更に線文字Bの場合、原典はクレタ島やピュロスとギリシャ領内で発見され、背景言語は、古代のギリシャ語と判明している。
従って、線文字Aの場合、クレタ島等、ギリシャ領内で発見されたので、背景言語は、ギリシャや近隣諸国の言語。キプロスの古代文字の場合、同様の理由から、キプロス等、地中海東部か沿岸地域の言語。インダス文字の場合、原典がパキスタンやインドで発見されるので、背景言語は、パキスタンやインドの諸言語の一つ、とのバイアスが働くだろう。
この様な「常識論」に反する場合、当初より反対論が働きがちとなる。大野晋が、日本語のルーツにタミル語を推挙した際にも作用した可能性があろう。
然るに、古代文字の研究者には、原典の出土した国や、周辺地域の古代言語を勉強する必要があるが、遠隔地の言語まで習う必要はない、とのバイアスが働くだろう。(仮に、自分の勉強していない言語が、研究する古代文字の背景言語であると発覚した場合、最先端で研究する資格を失うのも事実)
(皇国史観)
明治、大正を含め大日本帝国憲法の時代は、皇国史観が支配的で、不敬罪があり、反乱分子には、憲兵隊などが弾圧に当たったので、考古学者も、天皇制度のルーツを探る様な研究には、消極的だった。敗戦後、1946年公布の日本国憲法の下で民主化が進み、不敬罪は1947年に廃止されて、皇国史観から唯物史観等へと流れが変わっても、昭和は1989年まで続いたので、考古学者は、なお暫く、不敬罪のあった時代の精神的制約を抱えたまま、自ら研究対象を絞っただろう。
従って1952年に、線文字Bがギリシャ語として解読された結果、線文字Aの響きが日本語と酷似する事が判明した後も、日本語の可能性を探る研究は、手控えられたに違いない。
(第二次大戦の歴史問題)
20世紀に、古代文字の解読に当たった欧米の研究者には、第二次大戦中、枢軸国の暗号解読に携わり、そのため日本語を勉強した経験者も多かった。線文字Bの解読に貢献した、J.チャドウィックもその一人で、キプロスの古代文字と日本語のカナ文字の間には、類似性がある旨指摘している。しかし、それ以上、踏み込もうとはしていない。(出典:Linear B and Related Scripts)
第二次大戦の結果、欧州では、アジアにおける対日戦で、多くの犠牲者を出すと共に、それをきっかけに植民地帝国を失い、対日感情が大幅に悪化した。然るに、地中海の古代文字に関し、例え日本語の表記システムに似ていても、日本語の可能性を探る機運はなく、終戦後の日本が、1952年4月、サンフランシスコ平和条約が発効するまで、GHQの施政下にあった事もあり、日本語は、古代文字の背景言語の候補から、排除されたに違いない。
20世紀なら、欧州でも、アレクサンドロス大王の東征やチンギスハンの大帝国の歴史は、良く知られていた筈であり、日本語排除の背景に、大戦の経緯があり、時代の空気があったとすれば、日本の考古学者も、対日感情への配慮から、国威発揚に結び付く様な仕事には、慎重だった可能性がある。
(注)第二次大戦中、ギリシャは、枢軸国に占領され、多くの犠牲者が出た。キプロス、またインド、パキスタンは英国の植民地だった。
(古代言語のナショナリズム)
古代文字とその背景言語の研究する場合、どこの国でも「こうあって欲しい」との心理学が「親は選べないけれど、先祖は選べる」との乗りで働くだろう。この様な心理学は、未解読文字の使用された地域、すなわちギリシャ、キプロスなど地中海東部や、パキスタン・インドでも働くだろうから、「地理的に遠いが、日本語である」と主張し、沢山の根拠を示しても、希望的観測や「我田引水」が働く結果、すぐに受け入れられるとは限らない。
しかし日本人にとって、古代文明で使われた文字が、日本語と解明されれば、有利に働く事が多いのは明白であり、忍耐強く研究を続け、うまく発表していく必要があろう。つまり、日本語を背景言語とする古代文字は、日本人が解明せざるを得ない。戦後、80年も経つのに、海外の研究者に任せているだけでは、古い時代の空気が定着し、いつまでも日本語の可能性が排除されていよう。
最近の常識では、全ての人類は元々、アフリカで発生し、そこからヨーロッパやアジア、オセアニア、そして北米、中南米へと広がった由。言語の発生も同様にアフリカとすれば、同様の経路で、多様化しながら広がった筈であり、斬新な切り口も探るべきだろう。
(古代文字の遺棄と隠蔽体質)
クレタ島、キプロス、インダス河流域と、時間・空間的に広範に散らばる古代文明で、日本語が使われ、固有の文字で記録されていたのなら、何故、日本列島で、漢字以前に、それらの文字を使った痕跡がないのか、との疑問が沸くが、次の様な理由が思い浮かぶ。
〇 何れの古代文字も、表音文字が基本で、表意文字の発達が遅れていた。その結果、平仮名だけの文章と同様に、同じ記述から、多様な解釈が生じる問題があった。要するに、表音文字だけでは、同音異義語に満ちた日本語で、明晰な文章を書くのが困難なため、急ぎのメッセージには不適で、実用的でなかった。従って日本列島に到達するまでの間に、忘れ去られ、遺棄された。
〇 中国では、殷朝以降、漢字が発達し、朝鮮半島にも普及した。従って、当時のハイテクとして、漢字が日本列島に持ち込まれた。その中に、仏教の経典も含まれていた。
〇 弥生時代や古墳時代に、日本列島に到達した渡来人のルーツが、特にクレタ島やキプロスだった場合、不必要な「個人情報」として、これを積極的に隠蔽する力が働いた。
おそらく先住民との間に、抗争が起こり、多くの犠牲を伴いながら、平和が回復されたが、それ以降、治安の回復と融和のため、昔の対立と抗争の痕跡をなくそうとした。その一環として、遠方のルーツが露見する様な、個性的な文化も隠蔽され、遠方由来の古代文字も、痕跡が残らぬまで徹底的に破壊され、失われた。
I. 原典は日本語の文語体
最も不思議な点の一つは、現代の日本語、あるいは高校の古典の授業で教わる様な、奈良時代まで遡る古文の知識だけで、クレタ島やキプロスの古代文字、またインダス文字の何れも解読出来る事だが、その原典は、何れも日本語の文語体として解読可能であり、次の通り。
1.村山七郎は「日本語の起源」(1973年)の中で、日本列島には優れた民族集団の侵入がなかったため、日本語の変化速度は緩やかで、時代を遡るほど緩やか。現代の日本語と8世紀(奈良時代)の日本語との間に大局的に断絶はなく、2000-2500年位前(縄文晩期-弥生時代)の日本語も推定可能である旨語っている。
2.高等学校の国語教育で習う古文の原典は、文語体であり、平安時代の京都の言葉に基づく由。
然るにクレタ島の古代文字、キプロスの古代文字には、欧米の通説に従い、原典の各記号に音価を付与したら、日本語の文語体として解読できた。インダス文字には、特にクレタ島の線文字Aや漢字との共通記号から借用する等の手法により、音価を特定し、日本語として解読した。
文語体と口語体を比べた場合、語順や文法に大きな変化なく、主たる違いは発音、語彙、語尾の変化等と考えられる。然るに古代文字の記号の音価が再現可能なら、文語体の知識から大意が掴めるので、日本語として復元する上で大きな障害はない。
(1)発音の違いがある場合、古代文字の記号を一貫して現代風な音価で読み込むエラーがあり得るし、その結果、多数の同音異義語の中から、言葉の選択肢を誤る可能性はあろう。しかし文脈を正確に把握している限り、奈良時代の発音を照会しつつ、繰り返し見直せば、単語の正確な意味が把握できるだろう。
(2)語彙の違いに直面した場合でも、大意や文脈を把握している限り、古典ギリシャ語など、クレタ島やキプロスに隣接する地域の古い言葉、あるいは古語辞典等を参考にしつつ、何回も見直し作業を経て、正確な意味に辿り着く筈である。
II. 共通項
1.音節文字
日本語として解読出来る文字体系は、クレタ島、キプロス、インダス河流域と、地理的、時代的にまちまちだが、共通点は、何れも基本的に表音記号で、(子音+母音)の開音節を単位とする音節文字である事。
2.合成記号
インダス文字や線文字Aでは、平仮名の50音をはるかに超える数の文字が認知されているが、その背景には、多くの合成記号が、複数の記号を混合させる形で「折衷案」として発明され、使用された事が指摘される。
線文字Aでは、2つの音節を表す記号が頻繁に登場し、インダス文字では、2~4の音節を表す記号が認められる。キプロス音節文字でも、実際に解読していくと、2つの記号を混合させた記号が散見され、同様である。
3.逆さ読みが成立する事
(1)インダス文字、線文字A、またキプロスの古代文字では、左右、双方向から読める文を作るのが、習慣かつ遊びであり、古代の日本語民族の伝統文化と推定される。下記の例もあり、日本でも内輪の遊びとされた事は明白。
但しその後、漢字の使用により難しくなり、更に猥雑で下品、かつ教育上良くないとの配慮から廃れ、場合により抑制・隠蔽されたのだろう。しかし平仮名だけで文を書けば十分可能であり、現代でも流行る、学生の猥歌等が想起される。
(ア)古事記
ヤマタノオロチを倒したスサノオが、救ったクシナダヒメと結婚する事になり、詠んだ歌。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
やくもたつ いずもやえがき つまこみに やえがきつくる そのやえがきを
(逆さ読み)置き換え 矢の反る靴 着替え 夜に御子待つ 気概や/気変えや 月が、絵や。百舌鳥の「ズイッ」と発った、文句/クモ、や
逆さ読みでは、百舌鳥の「はやにえ」(串刺し)と、クシナダヒメの「クシ」が掛けてある。
(イ)万葉集(額田王と大海人皇子)
額田王が、大海人皇子と別れ、彼の兄の天智天皇の后となり、相互に詠んだ歌。
〇額田王
あかねさす 紫のゆき しめのゆき 野守はみずや 君が袖振る
「綺麗な紫の野にて、貴方は未練がましく、袖を振ってくるが、見張りに発見されそうだ」
(注)原文は漢字(万葉仮名)であり、「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」と再現するのが、一般的。「あかねさす」は「むらさき」の枕詞。しかし一度、全文を平仮名に直した方が、「紫の雪、四面/新芽の雪」等の掛け詞が味わえるだろう。
(逆さ読み)冒頭の「あ」を末尾に移動して読めば、次の通り。
(あ)るふでそが みきやずみ はりものきゆ のめしきゆ のきさらむ すさねか
「ある筆、そう。紙来や。墨は、凛もの、来ゆ。湯の飯/ 夢の氏、来ゆ。軒/退き、去らん。蒸す/ 生す/ 娘、実/小寝/残念か」
〇 大海人皇子
紫草の にほえる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに 我恋ひめやも
「紫草の様に美しい貴方が、嫌ならば、どうして人妻なのに、恋を秘めましょうか」
(逆さ読み)
もやめひこれわ にえゆまづとひ ばらあくくに をもいるえほに のきさらむ
「もう、やめい。これは煮え湯、待つと言い/不味いと。腹、空くに/暗愚。国を思える故、鬼は退き/軒、去らん」
(ウ)いろは歌
冒頭の「い」を末尾に移動し、逆さ読みすれば次の通り。
(い)すせもひゑ しみめゆきさあ てえこふけ まやくおのゐう むらなねつ それたよかわ をるぬりち とへほにはろ(い)
椅子背も冷え 沁み目雪 さあて 行こう 研磨/桂馬役! 斧要る/小野居る村 だねっ? それだよ/それたよ 川を折る/厠に居るなり ちと、ヘボ/屁を。庭、広い/ 匂うわ。
ここから「色は匂えど 散りぬるを 我が世……」で始まる「いろは歌」に繋げば、パロディー版が成立する。因みに「雪隠」と言えばトイレなので「沁み目雪」も布石か。
「小野」を小野小町とすれば「いろは歌」は、百人一首の彼女の歌「花の色は移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」(古今集)を展開した如き内容。仮に「いろは歌」が、小野小町の作品とすれば、逆さ読みの中に自分の名前を入れた形だ。その場合「ふけまやくおの」は「老け魔役の小野」との自虐的な表現か。小野小町ゆかりの地は、東北地方を中心に全国に複数ある由。
(2)逆さ読みは、二音節の単語、同音異義語やオノマトペに満ちた日本語ならば、さほど困難でないかも知れないが、他言語の場合、簡単に実現するとは思えず、原典が双方向から読める事自体、日本語性を示す有力な証拠と言えよう。
(3)双方向から読む場合、先ず右から左へ読み、次いで左から右へと読む原典が多い。
(4)インダス文字では、双方向に読んで意味が通る様にするため、読み方に柔軟性があり、例えば「木」の記号を「き」/「こ」、「目」の記号を「め」/「ま」と読み換え可能だが、これは漢字の読み方にまつわる、不思議な柔軟性と共鳴する。(例えば、行、行う、行方など)
4.漫画
クレタ島、キプロス、インダス河流域の何れの場合も、原典を日本語として解読した内容につき、文脈を確認する上で、最も有力な手掛かりは、付随する漫画やオブジェの形状であり、要するに文字以外の視覚的エビデンスである。線文字A、クレタ聖刻文字、キプロスの古代文字、インダス文字、何れの場合もこの様なエビデンスが、多数の原典で見つかっているが、漫画を多用する事自体、日本文化を示唆していよう。
5.母音と子音
(1)母音
欧米の研究者によれば、線文字A・キプロス音節文字の母音は、双方共に、A、E、I、O、U。
(2)子音
(ア)クレタ島とキプロス
(線文字A) D、J、K、M、N、P、Q、R、S、T、W、Z
(キプロス音節文字) J、K、L、M、N、P、R、S、T、W、X、Z
LとRに関し、線文字Aでは識別せず、キプロス音節文字では、ギリシャ語を表記する為か、識別する。またキプロス音節文字では、T音の記号が、D音を兼ねる。因みに線文字AにはJEがあるが、古い日本語には、YEが存在したと推定されている。
(イ)日本語
現代の日本語では、50音表に従えば、子音は次の通り。
H、K、M、N、R、S、T、W、Y
このうち、H音は奈良時代、F/P音の様に発音された由なので、当時に遡り、差し替える。また、YをJと表記すれば、次の通り。
J、K、M、N、F/P、R、S、T、W
これなら、紀元前3世紀、ヘレニズム時代まで使用されたキプロス音節文字から(ギリシャ語表記の為と推定される)L、X、Zの音を省いたものと一致する。
(参考)インダス文字
インダス文字では、日本語を前提に作業したので、母音は、A、E、I、O、Uに設定し、子音は、線文字Aなどを参考に、また日本語を念頭に、次の通りとしている。
B、D、J(Y)、H、K、M、N、P、R、S、T、W、Z
線文字Aとの違いは、B音、H音が加わり、Q音が欠落する事。しかし今後、線文字Aで、B音の記号が確認される可能性あり。またインダス文字のH音は、線文字Aの場合、Q音に相当するか、あるいは母音の5つの記号が、H音を兼ねていた可能性があろう。
(3)「ん」の欠落
線文字Aやキプロス音節文字など地中海東部の古代文字、インダス文字、何れの場合も「ん」を表す記号がないので、解読に際し、適宜補っていく必要がある。
6.「癒しの」ルール
クレタ島とキプロスの古代文字については、言葉の区切りと見られがちな「・」が、「い」、「や」、「し」、「の」何れかの省略形である場合が多く、読み手が適宜、補いながら読む点が共通する。
このルールは、最も古い、インダス文字に由来する。インダスの印章の場合、下部に動物を描き、上部の狭い空白にメッセージを入れるので、空間節約のために左右、双方向から読む工夫がなされているが、単一の縦棒や余計な支線を読み込む際の「癒しの」ルールはその一環である。同じ記号をME/MA、KI/KO等と読み換える習慣も、同様の目的だろう。今でも漢字の読み方に残る習慣であり、これが説明可能となる。
なお、このルールを適用する結果、文が「や」、「やけん」等で終わる事が多く、原典が、関西弁の日本語で書かれている印象を持つが、これが正しければ、更なる日本語のエビデンスと考えられる。
III.ギリシャ・クレタ島の古代文字
20世紀初頭、A.エヴァンズ(英)がクノッソス宮殿を発掘。線文字Aや線文字B、クレタ聖刻文字を発見。このうち線文字B (紀元前1450-前1200年)については、1950年代に、A.コーバー(米)、M.ヴェントリス(英)、J.チャドウィック(英)などが研究し、背景言語が古代ギリシャ語と判明している。
(注)J.チャドウィックは、ケンブリッジ大学の研究者で、第2次大戦中、アレキサンドリアで暗号解読者としてイタリアの暗号を破り、その後、日本語の暗号解読に取り組んだ経歴がある。
1. 線文字A (前1800-前1450年)
線文字Aは、表音(音節)文字+表意文字+合成文字で構成され、合計400種類近く。多くの原典が、ローマ字に転換されており、素直に読めば日本語に聞こえる。そこで筆者は、古代の日本語と見込み、(粘土板の帳簿を別とすれば)献油/酒用の定型碑文6件を含む、計15件の原典を日本語として解読・解釈した。
(1)線文字Aは、在アテネ・フランス考古学院により、通称GORILAの名前で原典が整理分類され、通し番号が付されている。米国キャンザス大学のJ.ヤンガーが、原典をローマ字変換し、ネットに公開しており、これが国際的に流通している。
線文字Aは、線文字Bとの共通記号(80種類)との間で音価が共通とされ、その意味で音価が判明しているが、懐疑論があるとすれば、特に欧米の研究者が、この方法で解読を長年試みても、説得的な結果が得られないからだろう。彼らの想定する言語は、地中海東部からペルシャに至る「古代オリエント」の諸言語であり、音価の前提が間違っているか、或いは、想定されない言語(特に非印欧語系)が背景にあるのでは、と取り沙汰されている。因みに日本語を想定する研究者は、今のところ米国のG.レオナートのみである。
線文字Bとの共通記号は、単音節を表し、ルーツ/字源がユリ、カメ、耳など、簡単な日本語から推測可能で、読みやすい。他方、複数の音節を表す合成記号が、便宜的に使われており、見慣れぬ記号が頻出する。この場合、単純な記号を合体させ、あるいは支線を加えてI/YA/SI/NOの音価を加えているので、分析が必要。
(2)欧米の研究者の場合、線文字Aの背景言語が、日本語とは気づかぬまま(ワインやオリーブ油を表す表意文字や数詞を除き)全ての記号を、線文字Bの場合と同様に、単音節と捉えがちで、線文字Aに、50音の数を遥かに上回る、多様な記号が見られるのは、単音節を表す記号に「別表記」があり、柔軟性や個性があるから、と考えがちだが、これでは理解が不十分である。
すなわち線文字Aには、単音節の記号を適当に組み合わせて創作した「合成記号」が無数にあり、これらは複数の音節を表す。例えばA(AB08)とSI (AB41)を足して2で割った様な、曖昧な記号が登場するが、その場合には、A-SIと読むべき事が判明している。
線文字Aの原典は、そんな合成記号だらけなので、それらを解析し、意図された(複数音節の)音価を明らかにする事が重要であり、これは、達筆な人の「続け字」を解析する作業に似ているかも知れない。
(3)原典の中で特に注目されるのは、形状やデザイン、漫画からヒントが得られる事例であり、素材の形が注目されるものとして、次の通り。
〇 ユクタス山出土の、四角い石器 (GORILA V: 18-19からIO Za2)は、中央が窪み、四隅に上から穴が開けられているが、TA-NA-RA-TE-U-TI-NUとの文字列があり、「弔いの太鼓を打ちます」と解釈可能。太鼓を打つ趣旨なら、四隅の穴は、太鼓の革を張るためと考えられる。
〇 マヴロ・スペリオ出土の銀のピンは、記述から、髪留めのピン、又は琵琶を弾く爪と判明。
〇 アギオス・ニコラオス博物館の「金の針」は、カニの身を掻き出す道具あるいは耳かきと判明。
〇 ザクロスの大甕は、記述を読むと、これを牛の乳房に見立てつつ、幼くして父からミルクを飲ませて貰い、父が老いると、立場が逆転し、彼にミルクを飲ませた話と判明する。
(4)線文字Aの日本語は、ギリシャ語の影響を強く受けた形跡があるので、場合により、ギリシャ語等、外来語の可能性を探る必要がある。
例えば、JA-SA-SA-RA-ME。多くの場合、「ササラ雨の様に落ちる涙」と解釈できるが、古典ギリシャ語と捉えれば、JA-SA-THA-RA-ME で「(荒海の)癒しの女神」。
他方、この文字列を漫画と捉えれば、JAは舟であり、SA-SAの連なりが、2本のマスト/ 豪雨。RA-MEは、舟の沈没する様子。A-SA-SA-RA-MEの場合、SA-SAは涙の落ちる両目で、女性の泣き顔の漫画となる。
(5)キプロスの古代文字(キュプロ・ミノア文字、キプロス音節文字)は、音価が基本的に判明しているが、下記に詳述する通り、日本語の記述に用いられた事が確認できている。つまりキプロス祖語は、古代の日本語である。然るに、これらキプロスの古代文字は、線文字Aから派生するので、線文字Aでも古代日本語を記録したものと推測される。
2. ファイストスの円盤
1908年にファイストス宮殿の敷地内で、イタリアの研究者L.ペルニエの発見した、焼成粘土の円盤(直径、約16センチ)。
ファイストスの円盤は、固有の絵文字で刻印されており、その音価につき、G. オウェンズの体系を活用して読むと、I-QUE-KU-RYA、AU-NI-TI-NO等が頻出する。日本語として解読した結果、ギリシャ神話の英雄テーセウスによる「ミノタウロス退治伝説」の二次創作で、父王エーゲウスの幽霊物語と判明した。(絵文字を逆方向にも読み、双方の解読内容を繋いだ)
最後の場面で、海の洞窟で亡き父王と出会ったテーセウスが、外に出たら目の前に北斗七星が現れ、父王の姿と信じて絶句するが、時計回りに読むと末尾に来る、B面の中心の「DI-TI」は、海面近くに現れた北斗七星の漫画である。
他方、絵文字の音価につき、オウェンズは根拠を明確にしておらず、一部は日本語から推測可能だが、全ての絵文字につき根拠を示すのは容易でない。
3.クレタ聖刻文字(特殊な絵文字)
クレタ聖刻文字については、原典が(乳をもたらす)milk stones と呼ばれるお守りで、クレタ島で妊娠中の女性が身に着けていた、との言われから、解読の結果、良縁・安産・「七五三」など子供の健康への祈願が、大きなテーマと判明した事は、極めて有意義である。大きな目で「目出度い」を表す等、視覚に訴える特徴があり、この点も強調すべし。
マリアの石の台座には、上部に丸みを帯びた窪みがあるが、「ピンゾロ得たな」との記述があり、サイコロを振って出す器が示唆されている。
IV.キプロスの古代文字
北キプロス問題のせいか、線文字Aと比べ、研究が遅れている印象であり、例えばJ.ヤンガーが、線文字Aで作った様な、多数の原典をローマ字変換した、ネット上のデータベースは存在しない模様。しかし原典をローマ字変換して分析した事例は多く、例えばキプロス音節文字につき、M.ペルナ(在アテネ・フランス考古学学院)の記した、La grande inscription d’Amathonte (ICS 194+195) 。筆者は、この論文の中で取り上げられた原典ICS194にて、A-SO-NA-(?)-TU-KA-I-MI-NO-NAの文字列を見て日本語を感じ、日本語として解読する作業を始め、大きな成功を収めている。
キプロスの古代文字は、他の古代文字と比べ、日本語として解読し、検証する上で、特に有効で便利な点があり、次のとおり。
(注)北キプロス問題
現地調査などの際、キプロスに特異な要注意点は、1983年に「北キプロス」が独立を宣言したため、国が分断されている事。その後のEU加盟(2004年)や関係改善を経て、キプロス政府は、北部への観光客等の入域を認めているが、日本を含む多くの国が「北キプロス」を承認していないため、現地を訪問する邦人の保護等に問題があり得る事だろう。
1.二か国語原典
日本語として解読可能な古代文字の内、二か国語の原典があるのは、キプロス音節文字だけであり、この原典のキプロス音節文字を日本語として解読すると、併記されたギリシャ語の内容と符合する。
2.原典が長い
キプロスの古代文字の原典は、ファイストスの円盤を除き、線文字Aなどクレタ島の古代文字の原典よりも長く、文字数が多いので、一度、文脈が理解できれば、日本語への解読作業がはかどるし、後からエラー点検もしやすい。(難点は、文字の規格化・定型化が不徹底であり、書き手により個性的である事。また記号が判別しにくく、音価を当てはめるのが困難な場合が多い事)
3.漫画等の補完材料が豊富
キュプロ・ミノア文字、キプロス音節文字、何れも日本語として解読出来る上、多くの場合、漫画等の補完材料で文脈が確認できる。
(1)キュプロ・ミノア文字
例えば、エンコミで発見された円筒型の印章(19.10番)には、アラシヤ滞在記が刻まれており、アラシヤは、多様な樹木の繁茂する、湯治のメッカであり、夜はビンゴ・ゲーム等も楽しめる、としている。然るにこの印章は、円筒の形が、輪切りにした木の株に似ており、またビンゴ・ゲームの道具で、様々な記号の玉をかき混ぜるカゴを思わせる物であり、解読した内容とマッチする。
(2)キプロス音節文字
NYのメトロポリタン美術館の所蔵する、片側に庇の突き出た、石灰岩のオブジェ。(Met Art Cypriot Syllabaryで画像検索すると、登場する)。ここに刻まれた「縦、落とせ」との文字列に従い、オブジェを90度、反時計回りに回転させると、文脈と関係の深い、人の顔の漫画が2つ現れる。従って、仮に説得に応じようとしない相手がいたとしても、十分、客観性があり、確認可能である。
4.年代が、弥生時代に近い
キプロス音節文字の場合、ヘレニズム時代に入り、紀元前294年、キプロスが、エジプト・プトレマイオス朝に支配されるまで使用されたので、最も弥生時代に近い日本語が遺っていよう。
V.インダス文字
インダス文明の最盛期は、紀元前2600-前1900年とされ、インダス文字は、線文字Aより時代が遡る。日本語最古の文字だろう。記号が無数にあるが、意味や音価が不明とされ、地中海の古代文字と比べて研究が遅れていると言わざるを得ない。
1.ドラヴィダ系の言語
A.パルポラ等、著名な研究者が、コンピュータ解析を用いて、インダス文字の背景言語を、南インドを中心に分布する、ドラヴィダ系言語と推論している。
大野晋は、ドラヴィダ系のタミル語を研究し、文法(膠着語、SOVの語順など)や語彙が日本語に酷似するとして、日本語のルーツに関し「クレオール・タミル語」説を唱えた。更にドラヴィダ系言語には、敬語があり、これも日本語との共通点と見られる。例えばタミル語で「antar」は、英語の「sir」や「madam」の丁寧な言い方である由。
インダス文明では、日本語の祖語を話し、これは南インドの言語にも影響を及ぼした。従って日本語とタミル語に多くの共通点があるのは理解しやすい。大野晋は、九州の弥生時代の遺跡から発見される甕棺が、南インドで発見される古代の甕棺と酷似する旨指摘している。然るにインダス河流域にいた日本語民族の一部が気候変動等に直面し、南下したとすれば、甕棺は南インド経由で言語と共に伝わった物で、彼らの日本列島渡来を示唆するだろう。
しかし「クレオール・タミル語」説は、種々のエビデンスにも関わらず、言語学の方法論を踏まえていないとの批判にあってきた。その理由として、次の様な政治的配慮も指摘される。
(スリランカの内戦)
18世紀から英国の植民地だったスリランカは、1948年に英連邦の自治領セイロンとして独立し、1972年には、スリランカ民主社会主義国として完全独立を果たした。しかしその後、多数派のシンハラ人(仏教徒)と少数派のタミル人の対立が激化し、1975年には武装組織、タミル・イーラムのトラ(LTTE)が結成され、1983年には内戦状態となった。その後、2009年、スリランカ政府軍がLTTEを制圧し、内戦は終結したが、民族間の融和は、引き続き課題とされてきた。
然るに1981年に、大野晋が「日本語とタミル語」を発表して間もなく、スリランカが内戦状態になったので、日本では、在留邦人を保護する観点等から、不必要に現地人を刺激したり、巻き込まれる事を避けんとする配慮が働き、大野晋の説には、反対する空気が支配的となり、当時の学会も従った可能性があろう。
(カースト制度)
古代に、北方から侵入した、アーリア系の民族は、土着の民族を低いカーストに留めたとの説がある。また近代に入り、インドを植民地とした英国は、統治の初期の頃、分割して支配(divide and rule)するため、カースト制度による身分差別を強調した。
かかる経緯から日本でも、南インドを中心に分布する、ドラヴィダ系言語の話者には、低いカーストのイメージが付着。大野晋のタミル語説の提唱当時には、「日本語と、低いカーストとも関係深そうな、ドラヴィダ語を結びつけるのは、得策でない」との反応も有り得ただろう。
しかし、今やインドは、急速な経済発展で知られるBRICSの一員であり、明2025年には、日本を名目GDPで追い抜く見込みであり、今更、低いカーストのイメージを理由に、日本語とドラヴィダ系言語の結びつきに反対するのは、時代錯誤。インダスの印章の記述が、日本語と判明したところ、インダス文明は日本語文明と、国内外で認知されれば、中長期的に日本の利益に繋がるだろう。
2.形状、線文字A、漢字がヒント
(1)インダス文字に、線文字Aとの共通/ 類似の記号がある場合、線文字Aの音価を借用したところ、次の通り。
カメ/鏡の記号:KA
バツ印の記号:KE
三角屋根の左右に耳:MA
実/巳の記号:MI
紫の染料を採る巻貝の記号:MU
梯子の記号:NU
歯の記号:PA
螺旋の記号:RA
縦棒で、U/Vの中央を貫いた記号:RE
十字の記号:RO
穀物の穂の記号:SE
乳首の記号:TI
矢尻/鏃の記号:ZO
(2)記号の形状から、簡単に字源が判明し、漢字に類似の記号がある場合、同漢字の音価を借用したところ、次の通り。
「目」の記号:ME、MI、MA。
「木」の記号:KI、KO。
(3) 象形文字
この他、形状から、字源や音価が推測可能な記号、次の通り。
日傘の記号:HI
帆の記号:HO
四角いナシ(果物):NA
男の記号:O/OTO/TO
反りのある弓:SO
「す」の横棒を削除した記号:SU
牛の頭:U
U字形の記号:WA
閉じた輪/菱形の記号:WO
(注1)地中海東部の日本語文明の古代文字との違い
インダス文字では、KIとKO、またNAとNEの記号は、それぞれ同じで、識別されなかったが、同様に日本語文明で用いられた、線文字Aやキプロスの古代文字では、分離独立しており、周辺の外来語に対応し、またギリシャ語の記述に応用するための改変と見られる。
(注2)インダス文字の音価は、クレタ聖刻文字に応用可能
クレタ聖刻文字の日本語解読は、短期間で大きな成果を生んだが、背景に、インダス文字を日本語として解読した経験がある。すなわちクレタ聖刻文字に、酷似するインダス文字の音価を適用したら、解読が進んだのである。
クレタ聖刻文字は、絵文字の体系なので、解読の結果は、原典を漫画として捉えつつ検証可能であり、クレタ聖刻文字が日本語として解読出来たので、インダス文字に付与した音価の正しさが窺われる。
因みにインダス文字とクレタ聖刻文字の共通/類似文字で、音価の共通する事例、次の通り。
目の記号 ME。
足の交差するテーブル DE。
印鑑 NE。
三日月に刺さる矢 TU。
天秤の様な記号 RYO。
櫛の記号 KU+(櫛の本数)。
3.縦棒は数字
インダスの印章には、マッチ棒状の縦棒が複数、平行に並ぶ記号が頻出する。この様な記号は、本数に応じ「いち」、「に」、「さん」等を基本に、次の通りに読み込む。
I(86):(線文字Aに登場する「・」や短い縦棒に準じて) I/ YA(矢)/ SI(支/糸)/ NO。
II(87): NI/ RA(線文字AのRAから、*76)/ HASI(橋)。
III(89): SAN/ MI/ DI(線文字AのDIから、*07)/ KAWA(川)。
IIII(104):SI/ YO。
実は母国語の如何を問わず、誰が見ても、この様な縦棒を並べた記号は、数を表すものと理解できる。従って、その本数を表す音価を代入した場合に、意味の通じる言語が、インダス文字の背景言語だろう。かかる観点から日本語は有力候補であり、他の言語で、この論理が成立しない限り、唯一の候補である。
4.個性的な合成記号
把手のある印章には、印鑑、身分証明書、通行証等の説が唱えられている。然るに文字列は、個性的な合成記号だらけで、創造性と多様性に満ちており、一見、意味不明で、時間をかけないと解読不能な印章が多い。これは持ち主を盗難や偽物詐欺から守るべく、意図的に文字列を複雑にしたからであり、持ち主でないと、左右両方向から読めぬ様に工夫が施されている。おそらく現在の実印に似た役割があり、インダス文字の基本的な原理が理解できても、すらすら解読出来ないのは、この理由による。
5.縞の数を読み込む
多くのインダス記号の場合、1音節の基本形があり、例えば四角いフライパンの形や三角形のNA/NE。ここから派生する合成記号として、縞を書き込んだ変形があり、その場合、縞の数を数えて、基本形に読み加えるのが原則。例えば3本、横縞のある場合、MI/SAを加え、(NA/NE)- (MI/SA)と設定し、NAMI、MINE等と読む。従って2音節を表す。
6.拗音の表記法
文末近くに拗音が来る場合、平仮名の古い筆記法では「せう」(しょう)、「てう」(ちょう)等と表記されたが、インダス文字でも、ローマ字に直した場合、同様にSEU、TEU等と表記された。
7.句読点がない
線文字Aやキプロスの古代文字の場合、文字列の間に「・」の様な、句読点を兼ねた、I/YA/SI/NO、の速記体があるが、インダス文字にはなく、これに替わるのが、改行と見られる。しかし基本的に言葉の区切りが不明確なので、同じ文字列が幾通りにも読めてしまう。従って数学の問題を解くかの様に、場合分けしつつ、全ての読み方の可能性を追求せざるを得ない。ついては漫画は、線文字Aやキプロスの古代文字と比べても、大変重要であり、それゆえ各印章に登場するのだろう。
8.漫画
インダス文字は、線文字Aや漢字をヒントに音声を推定すれば、日本語として解読可能である。しかし記号の意味や音価が不明とされているので、説得的な議論展開には工夫を要するだろう。そこで、インダスの印章に多く登場する漫画は、視覚的に訴える貴重な説得材料と考えられる。例えば、
〇 A.パルポラ「Corpus of Indus Seals and Inscriptions」で「第2巻:パキスタン」の222頁、M-1534A(文字列)及びM-1534B(四つ足動物)。
銅製小板で、NHK放送75周年事業「インダス文明展」(2000~2001年)カタログ(図録)の394番。表側に、左右に頭のある4つ足動物が登場。耳がピンと立ち、2匹のラクダが胴体で繋がった様に見える。左右両側で、肩から胸の辺りに無数の点で肌の露出が表現され、(腹部を残し)毛が刈り取られた姿である。
裏側に4つの記号があり、これを左右、双方向から解読すると、次の通り。
「羽毛のラクダを見よ。資産、楽に身にまとう。羽毛で、鞍/蔵に資産」。「馬耳の、ラクダさんよ。羽毛で兄さんの家は、楽に資産」。
従って「馬耳の、ラクダさん」が、描かれた動物の特徴と一致する。また「鞍に資産」の文脈なら、鞍の部分を残し、毛を刈り取った漫画が生きる。羽毛や毛皮を扱う職人の印章。
〇 A.パルポラ「第1巻:インド」の表紙の印章。目のぼんやりした一角獣が登場する。文字列を解読すると、
「飲まされ、彷徨いつつ。目がラリっとして、ほとんど気を失う」。「背中に乗れ、念入りに突いて、ヤメ。酔いが醒めた。散ったので、やめてくれ」。
この文脈から、一角獣は飲み過ぎたものと判明し、印章を逆さにすると、一角獣が口を大きく開き、嘔吐する姿に変貌する。
〇 A.パルポラ「第1巻:インド」の388頁。長方形の印章で、M-534A(裏側:文字)及びM-534B(表側:右下の「巣」を覗き込むウサギ)。
解読すると、「踊り出すぞ。両目を寄せ、端/ハチの巣に鼻を寄せ、寄せ目に見るのだ。すると、下半身が踊り出すだろう」。
ウサギのいる、M-534Bを紙に印刷し、右下の「巣」に触れる位、鼻を近づけ、その後、顔を少しずつ遠ざけると、紙と目が20cmほど離れる頃から、錯視により、ウサギが4本足で踊る様に見える。
印章の動物は、年齢層などを表し、一角獣なら独身者、牛なら勤労者、ゾウは高齢者、トラなら酔っ払い、との傾向がある。
9.サラスワティ河
モヘンジョ・ダロ出土の印章(インダス文明展・図録、351番)から、コート・ディジー(Kot Diji。インダス文明の形成時代の遺跡)、またスラタワチとの言葉が読み取れ、後者はリグ・ヴェーダに登場するサラスワァティ(Sarasvati)河と推定される。然るに、記述を左右双方向に読めば、
「コート・ディジー観光だ。河を渡るのに、楽にしな……サラスワティ河を立ち見だ、良い景色!」となり、モヘンジョ・ダロから見て、コート・ディジーはインダス河の向こう側、との相対的な位置関係が描写されている。
10.「北のタコ」
インダスの印章から「北のタコ」神話が判明した。(「北のタコ」の印章を逆さにすると、タコが登場)ここから古代日本の鏡の紋様、銅鐸、(南インドの古代の物と酷似する)甕棺・陶棺、また装飾古墳を含む古墳の形やデザイン、紋様が説明可能となる。
装飾古墳の壁画には、赤、白、黒などで不思議な模様が描かれているが、モチーフは「北のタコ」。すなわち火星人の様な、双脚輪状文は「北のタコ」、円文(同心円)は「北のタコ」の足の吸盤、蕨手文は丸まった足先、連続三角文は、足に連続する吸盤の紋様だろう。
明治5年に発見された石棺を模写した「石棺正面図」では、両目の大きく赤い、海坊主の風情で石棺が登場するが「北のタコ」と推測される。
11.逆さ読みと音価の体系
インダスの印章の記述が日本語と仮定すれば、左右、双方向から読める事が、音価を確定させる重要な手掛かり、かつ条件となる。すなわち、逆さ読みの成立する音価体系だけ選び、成立しない体系は、廃棄すべし。
これまで双方向から読み、日本語として解読できた印章は75点以上。この事自体、究明した音価体系の正しさを示すだろう。
12.パキスタンとインド
潜在的な問題は、インダス文明の遺跡が、パキスタン、インドの二か国にまたがり、インダスの印章の原典等が、両国の博物館等に散在する事だろう。ハラッパ、モヘンジョ・ダロ等、インダス文明を代表する様な遺跡は、パキスタンにあるが、インドでも、ドラヴィーラ、ラキガリ等の重要な遺跡が発見されている。従ってインダス文字の研究を集大成する上で、多くの煩雑さと労力が必要と見込まれる。
(パルポラ編纂の写真集をはじめ、出版物やインターネットのお蔭で、日本にいながら、両国の遺跡から出土した印章の解読作業は可能だが、掲載された写真やスケッチの質や正確さに依存する)
VI. 古代文字研究は、公共財
次の様な消極的な見方があり得るだろう。すなわち、
「仮にギリシャ・クレタ島やキプロス、インダス文明等から発見される古代文字が、日本語として解読出来たとしても、そこから得られる利益は、概ね学問的・抽象的と見込まれ、投じた時間・経費や労力に見合う経済的・具体的利益が十分得られるか、疑わしい。
むしろ日本語や日本の古代史につき、従来の手法を用いる研究者の間に動揺を来たし、この古代文字研究の成果につき、十分な検証を行い、評価・立証する間、物の見方が不安定化し、古代史から安定感や秩序が損なわれる可能性があろう。従って、この様な研究は、立場によってはストレスの原因ともなるので、みだりに進めるべきではなく、十分慎重に運ぶべし」
この様な問題提起に対し、次の様な反論が考えられる。
1.今のところ、この研究に携わっているのは、極めて少人数であり、また科研費等、特段の予算措置が講じられている訳ではない。従って、日本語民族の古代の業績を理解し、正当に評価する観点から、ボランティア精神で始まり、継続されている次第。研究の進展は速く、まるで遠い先祖の意向を受けているかの様であり、費用便益上、極めて経済効率が良いと言えよう。他方、コロナ禍のため、今まで現地調査による原典の確認が出来ず、ネット上の情報や意見交換に依存してきた事も指摘される。
2.短期的効果
(1)この研究の成果が正しいとすれば、古代史への余波は大きいと予想され、短期的には、確かに従来の「古代史観」は影響を受けるだろう。そして資格ある第3者が、十分検証を行い、日本の学界その他の要路から受容されるまで、年単位あるいは10年単位で時間を要する事が予想される。従って、少なくともその期間、古代史に不確定性が加わる可能性はあろう。
(2)他方、この研究から実際的な利益が得られるまで、検証プロセスが完全に終了する必要はない。蓋然性の問題として、日本語や日本語民族について、紀元前3千年紀に遡り、古代文字で記録が残っていると認識されるだけで、十分利益が得られよう。
(ア)海外から見て、日本の歴史が、世界的に古い事が認識されれば、日本の国際的な立場や地位、また発言力への増強効果が期待出来よう。
(イ)国内的には、気候変動・コロナ等で苦しい局面が続く中、国民レベルで、青銅器文明を築いてきた遠い過去を振り返り、自信を回復するきっかけとなろう。また国の特長や弱点を把握し、国際的視野を常に促し、内向き志向の風潮を逆転させ、再び海外に目を向ける効果が期待できよう。
(注)青銅器時代の古代文字が、日本語として解読可能との認識のないまま、日本に関し、A.トインビー
、S.ハンティングトン、共に独立の文明としたが、この主張に裏付けが得られ、「常に文化を輸入する辺境民族」との見方が払拭されるだろう。
(ウ)この研究の進展につき、情報が拡散されるだけで、日本国内のみならず、ギリシャ、キプロス、パキスタン、インドなどの関係国、また先駆けた研究実績や協力的な研究者のいる国として、米国、英国、フランス等を含め、相互的な観光、文化・学術交流を幅広く促進する効果があろう。また一般的に、アニメ、映画、演劇を含む芸術・芸能・音楽・出版等の全般的な興隆に繋がるので、十分な経済効果が期待される。
3.中長期的な効果
この研究は、おそらく賀茂真淵や本居宣長の国学に通じるところがあり、「日本語は孤立した言語」との見方を払拭し、人類がアフリカ大陸から、各大陸に広がる過程で、日本語民族の足跡を辿る事が可能となり、日本語文明の「ルネッサンス」(Japanese renaissance)も視野に入るだろう。
4.公共財
今までの成果に鑑み、この研究が対象とする古代文字は、古代の日本語を記している蓋然性が高く、この研究には、公共財の性格が強い事が窺われる。従って、第3者が落ち着いて検証する必要はあるものの、全体的なスピードを弱めるのではなく、むしろ国益と認識し、組織化して促進し、将来に向けて継続性を確保する必要があろう。