幸福ロボット
「それから、あのロボットのスクラップの件はどうなったでしょうか…?」
ロボット製造研究所の研究員は所長におそるおそる確認した。もうこれで3度目だ。
研究員に対して、所長はため息交じりに答えた。
「またその話なのね?そんなことより来週の実験工程案は作成できたの?」
「まだですが・・。いや、今日こそははぐらかさないでくださいよ」と研究員は食い下がった。
「あの子のことよね?」
「そうです。どうにもうまく学習ができず、職場にも馴染めずで、とにかく頑固。そのためスク…」
「本当にスクラップ以外に方法はないの?彼女は運がなかったということかしら?」
所長は研究員に詰め寄った。背筋がピンとして、はきはきとした口調だった。全身から力も溢れていた。研究所の長であり、世界的なロボット技術の権威者でもあった。
「うちは土木建築系が専門です。道路を舗装したり橋やダムを作る会社ですよ。他に回す当てもなく、スクラップするしかないですよ」
「あのねぇ、まずはあなたのその通り一遍な考え方をスクラップするべきね、それに使えなくなったロボットをむやみに廃棄することが社会問題になっていることを知っているでしょう?」
と所長は答えて、右斜め上の宙をみつめた。研究員は思わず胸の内でため息をついた。
しばらく無言の時間が過ぎ、それから所長は研究員に向き直って言った。「考えてみるわね、少しばかり」
私はロボット。
ロボットといっても見た目はほとんど人にそっくりだ。体の筋肉は人造筋肉で構成され、体や顔面のパーツ一つ一つは人間と同じように構成されている。近くからじっくり観察してはじめて人なのかロボットなのかを議論しなくてはいけないほど精密にできている。
研究所で育てられた私は正式に現場に配属され、それから職場訓練を受けた。成績は芳しくはない。そのため私は故障品であると担当者から告げられていた。単純作業でもなかなか処理する速度が速くならない。精度も高まらなかった。努力はしているのにどうにもならなかった。私自身、何が悪いのかも分からなかった。そしてこういった場合、廃棄になるらしいことは知っている。役に立てなければ捨てられる。
だが結果として廃棄にはならなかった。
どういう経緯なのかは分からない。私は所長の家に住むことになったのだ。私に部屋も用意してくれた。とてもかわいらしい部屋だ。部屋にはベッドや机、クローゼットに至るまで一式の家具が配置されていた。机の上には一枚の写真が飾られていた。10台の女性の写真と所長が並んでいる。所長に確認したところ、映っているのは所長の娘ということだった。
だがもう会うことはできないらしい。遠くにいってしまったと言っていた。
「きっとあなたが生きる場所があるはずなのよ」と所長は手のひらをみせながら私に語りかけた。様々なことを検討した結果、私に料理を教えることになったそうだ。私はとても不安で、所長に尋ねた。「私は土木作業用のロボットです。土木作業もこなせない私が飲食店なんてできるのかどうか・・・」
「くらしやすい街づくりがわが社の理念よ。飲食店をつくったとして、なにもおかしくないでしょ?」と所長は笑って言った。
ロボットは食事をしない。口をつかってエネルギーを取り込むということをしない。もちろん味も分からない、でも塩分や糖分の濃度、それに固いか柔らかいかくらいは分かるかもしれない。私はしばらくの間、料理の技術よりも工事現場で習った技術ばかりが頭をよぎっていた。なんとか工事現場で頑張らせてもらえないだろうか。
「どう?がんばれそう?」所長がわたしに尋ねた。
「頑張りたいです・・」
「一人でできそう?」
「一人で、ですか?(一人で工事するなんて聞いたことない)」
「普通は一人なのよ。それに平行して複数つくることだってある」
「無理です、絶対無理です。聞いたことありません」
「あらそう?私だって小さな頃からやってたわ」「小さな頃から土木工事を?」
「あなた、何の話をしているの?」と所長があきれた声で言った。
「あなたがやるのは料理よ。包丁を使うのよ、そうね、メタルカッターみたいなものね。
トングはペンチみたいなもの。それにフライパンは…、マンホールに取っ手をつけたようなものよ」
私は所長の期待に応える一心で頑張った。味が分からなくても、塩分濃度や香り、食材の弾力性などはなんとか推し量ることができるようになった。目指すのは「オクチニアウ」料理だった。私は何度も所長に叱られた。うまくできず、腹が立ってお玉を放り投げたこともある。でも、6カ月の特訓の末、最後にはお店を出せることになった。
「本当に頑固で苦労したわ。でもようやく一人前にできるようになった。素晴らしいことよ」
所長は自分のことのように私の成長を喜んでくれた。私もうれしかった。そうだ、と所長は思い出したように言った。
「食材を切らしていたとしても『納期は7日後です』、なんて返事をするのは勘弁してね」
お店の名前は「ロボットがつくる定食屋」。
開業は2055年3月1日予定。人型の自立思考型ロボットが生まれて以来、それは世界初の出来事になるそうだ。私は開店準備のためにさらに多くの特訓を行った。私は所長に習ったように、夢中で料理を作っていた。言われた通りに、おいしくなるように。
正直なところ、本当においしいとはどういうことなのか私には分からない。なぜなら味を確かめることができないから。それから所長は真新しい真っ白なシェフコートとシェフハットを用意してくれた。そして目を細めて私の全身を点検してくれた。またオープンする時には、所長はとっておきのプレゼントをしてくれると言っていた。なんでも最愛の娘のために買ったもので、もういらなくなったから、ということだった。あともう一つ気がかりな事が一つあった。クリームシチューについてはメニューに載せることができなかった。所長のOKがでなかったからだ。まだまだ私は未熟者であるらしかった。
お店がオープンすると店舗の前は人だかりで埋め尽くされた。
「まるで人がつくったみたい!」
色とりどりに着飾った記者やレポーター、若い男性や女性。彼らは大きなカメラで私を撮りながら驚嘆の声をあげた。若くて色とりどりの服を着たお客さんがほとんどだった。外国からこの日のためにやってきたお客さんもいた。著名な料理研究家もやってきた。彼らは私の作った料理をまるで難しい彫刻をながめるようにしきりに様々な角度から確認し、それから少しつまんで食べた。とても満足そうな顔をして、「とてもうまい!しかしどれだけ食への拘りを追求できるかが今後の課題だろう」と言ってカメラに向かって笑みを浮かべていた。盛況のままに初日は終わった。私はクタクタになった。大きなトラブルがなく私はほっと胸をなでおろした。だけど所長はオープン日に顔を出さなかった。それ以降も顔を出さなかった。理由は分からなかった。
連日店には行列ができ、朝から晩まで大忙しに働いた。私の担当してくれている営業さんは予想以上の客入りだと説明してくれたが私にはそれがどういうことなのか、よくわからなかった。ただひたすら、所長に言われた通り一人前の料理を作ることだけを考えていた。客の多くは半分食べては残していった。
時がたち、それから多くのロボットによるお店ができた。本格的なイタリアンやフレンチを出すようなお店も現れた。ただ食べるだけではない、ロボットによるショーや、私のしらない多くのサービスを行う店もできた。それは料理店の新しい形であるとして主流になりつつあった。そして、そのころから私の店のお客さんは徐々に減り始めていた。
開店初日にきたのは500人、いまは50人ぐらいになっていた。何が悪いのか私には分からなかった。ただ、わたしにできることはおいしい料理をつくり、お客さんに提供するだけだ。
ある日会社から営業さんがやってきた。反り返った姿勢で私の前に立つと、早口で話し始めた。「もっと奇抜なサービスは考えられないだろうか?今競合店では多くのサービスを生んでいる。たとえば食事に来たついでにロボットによる手品ショーが見られるとか。他にも――」
長い間いかに競合店が素晴らしいかを私に解説した。だが私には器用なパフォーマンスを披露したり、料理以外の特別なサービスをすることはできなかった。
「――ようするに、いろんな価値を提供すべきだということなのです」
ひとり仕切り話し終えて営業さんは片方の眉をあげて私をじっと見た。私は少し考えてから答えた。「わかりました。もっと多様なメニューを考えてみます」
営業さんは首を左右に振り、大きく息を吐いた後、店の裏口から出て行った。
私ができることはただお客さんの様子をみながら、料理を作るだけだった。私が料理の成分量を少し変えると表情は変わった。料理をするだけでなく、私はお客さんの顔も注意深く観察していた。おいしい、おいしくないという表情、うれしいという動作、来てよかった、来るんじゃなかったという身振り、手振り。時にはほとんど食べずに厨房にどなりこんでくるお客さんもあった。顔を真っ赤にしてひとしきり文句を言った後、最後にはお皿をなげつけられた。私は謝り続けた。
おいしい料理を作るということはとても難しいことだった。
お客さんが減るのに比例して、営業さんは電話口でさらに私に注文をつけた、いつものように早口で。「もっと食材を安いものに変えられないだろうか、あるいは価格を上げることはできないだろうか。客が少ない分粗利益は減っている結果、営業利益はいつも赤字だ。この赤字を解消するためには――」
この店を守るのがわたしの役目だった。そしてお客さんにオクチニアウ料理を提供するのが役目だった。
「他の店舗の事情知っていますか?いまや大手がロボット料理店を大量出店、低価格で高品質、個人別の体調管理、塩分調整、なんでもやってる時代。競合が強すぎて客をとることができていない。ようするに――」
「大事なのはおいしい料理を提供することです!」私は頭を下げてから電話をガチャリと切った。そしてすぐに反省した。きっと「オクチニアウ」料理が提供できていないことが原因なのだと思った。一人でも喜んでもらえることを考え直さないといけないと思いを改めた。
ひとりの年を召した婦人がやってきた。足を悪くしたのだろうか、車いすに座っていた。
背もたれにすべての体重を預けているようだった。フードもかぶっていてどのような顔をしているのかはっきりとわからなかった。車いすを押すお手伝いさんと思わしき女性が、昔交通事故にあったのだと説明してくれた。メニューの選び方、指の動かし方、息遣い、すべての動作を私は観察した。その表情は分からなかったけれど、私にはその女性にぴったりあう料理のイメージができていた。
私は店一番人気のメニューをお勧めした。婦人は少し考えて、お手伝いさんに何かを話した。それはとても聞き取ることができないほど弱弱しい声だった。お手伝いさんによると彼女はクリームシチューを食べたいとのことだった。私は驚き、考え込んだ。メニューには無い。いままで作ってお客さんに配膳したことはない。材料については問題なさそうだ。挽肉にニンジン、タマネギ、ジャガイモ、それにブロッコリー。ミルクに小麦粉、バターに少々のナツメグ。
「少し時間がかかりますがよろしいでしょうか?」と私はお手伝いさんに伝える。良いとのことだった。夫人は私がしたのと同じように、私の動作の一つ一つを深いフード越しに見ているようだった。
私は出来上がったシチューをお皿に盛り付け、付け合わせとともに婦人の前に配置した。婦人はそれをしばらくじっと眺めていた。それから一息つくように香りを確認し、スプーンですくってゆっくりと口に運んだ。婦人は感想を言うわけでもなく、感情を表すこともなく、その動作を最後まで何度も繰り返した。
お会計の時、婦人は微笑んでいるようだった。表情は分からなかったけれど、たぶん微笑んだのだと感じた。彼女は両手で私の手をとり、そっと握った。握られた私の手の中には小さな布製の袋があった。おどろいたわたしにお手伝いさんが何も言わずゆっくりと頷いた。どうやらわたしにプレゼントとして渡してくれたようだった。このようなことをしてくれるお客さんはいままでにいなかった。彼女が退店するのを見送った後、私はその布袋から入っているものをそっと取り出した。ピンク色のリボンがついた、綺麗な髪飾りだった。
その女性以後、誰も客はこなかった。まもなく本社の営業さんから連絡があり、明日は大事な方針を説明するためそちらに赴く、と言われた。そして取ってつけたように言った。
「所長が昨日亡くなった」
私は所長の言葉を思い出した。
――あなたが何をしてきたか?何のために続けるのか?それが一番大事なのよ――
私はその言葉を胸に、どのようなお客さんがいても笑顔で料理を作り続けたのだった。私は所長の事を思った。娘さんのところへ行けただろうか。そのことを考えたとき、感の悪い私はようやく車いすに座った婦人が所長だったことに気が付いたのだった。
翌日の昼過ぎ。光沢のあるネクタイとスーツを身に着けた男性がやってきた。上半身の筋肉がよくきたえられているのはそのシルエットから明らかだった。そしてその男は私の知らない顔だった。私はその人が誰だか分からず、お客さんとして案内した。男性はなにか話をしたかったようだが、ちょうどお昼時でおなかが減っているようだった。私はその表情ですぐにわかった。
何にしましょうかと私が言うと、彼はなんでもよいといったので私がメニューを選択した。ハンバーグにスパゲティ、それに特大のエビフライが乗った定食だ。料理を待っている間、男は指でテーブルを叩いたり、あるいは腕をさすりながら手のひらの端末を操作していた。
男性は料理を前にしてとくに表情を変えなかった。それから無心に食べ始めた。よほどおなかがすいていたのだろう。食べ終わるまでに10分もかからなかった。彼はしばらく何も言わなかった。ずっと空になったお皿を眺め続けていた。まるでそのお皿にさきほどまで何が乗せてあったのか分からなくなった、といったように。
しばらくして男は私に声をかけた。
「ありがとう。おいしかったよ」
男はふらりと立ち上がり、店を出て行った。
その日、私の店の看板は取り下げられた。
そして間もなく、新しい看板がついた。
「母親の味が楽しめる店」
やがてお客さんがもどってきた。
50代以上の男女が多かった。これまであまりお目にかからなかった客層だった。彼らはいつも笑顔だった。とあるお客さんがお会計の後に尋ねてきた。ひとしきり私の料理をほめてくれた。懐かしくていい、こういうのを求めていたよ、と。
そして最後に私に尋ねた。どうして料理を作り続けているのか、と。
私は少し考えてから答えた。
「つたえることができるからです、私の思いを」
おわり