圧倒的もふもふ度0%
今まで俺は自分が望まぬ婚約の被害者だと思っていた。
けれど、実は加害者だったという新事実が発覚してしまい、一気に罪悪感が押し寄せる。
そんな俺の思いとは裏腹に、メアリ女史の返事は意外なものだった。
「残念だけど、その約束はもうなくなったの」
「まさか、嘘ですよね?」
「嘘じゃないわ。彼が迎えに来ることは二度とないわ」
「どうしてですか?」
「彼も、婚約することになったからよ」
「そんなっ、伯母様はそれでいいのですか?」
「私は……女心が理解できない男なんて願い下げだわ」
きっぱりと啖呵を切るも、一転、メアリ女史は悲しげな表情を浮かべるアメリを見つめて、申し訳なさそうに呟いた。
「……アメリ、ごめんなさいね」
「もうっ、伯母様ったら、どうして私に謝るのですか? 辛いのは伯母様じゃないですか」
「私は自業自得だもの。けれどアメリは違う。私はアメリに悲しい思いをさせてしまっているわ」
「伯母様がいいなら私は何も言いません。でも、伯母様の花嫁姿見たかったです。婚礼衣装も用意していたのに」
「そのことなんだけど、実はね、タイミングよく婚約の申し込みを受けたの。だからつい私もお受けしてしまったわ」
「えっ! 本当ですか!?」
どなたからですか、と言うアメリに、メアリ女史はふふっと笑って誤魔化していた。ベールに隠されて見えないけれど、照れているのかもしれない。
そう思ってしまったら、余計に胸がズキンと痛んだ。
勘違いで婚約の申し込みをしてしまったなんて、口が裂けても絶対に言えない。
今さら、なかったことに、などと言えるはずがない。
そして何より、俺が好きなのはアメリなんだ!!
メアリ女史が慈悲深く優しい女性であったとしても、俺にはアメリ以外の女性を愛することなんてできるわけがない。
そんなことを考えていたら、今度は友人らしきご令嬢がアメリに声をかけてきた。
「アメリ様! アメリ様もいらしてたのですね」
「まあ、ケイト様。お会いできて嬉しいです」
「そう言えば、お聞きしましたわよ。アメリ様が王族の誰かと婚約するって話!」
「えっ!?」
噂になってますわよ、とそのご令嬢は言う。それを聞いたカイルが、突然神妙な顔をし始めた。
「まずいですね」
「何がだ? 何がまずいんだ?」
「本格的にアメリ様の婚約を反故することができなくなりそうですよ」
「何っ!? ていうか、そもそもお前にその意志はなかっただろう?」
「何を仰るのですか! 私だって殿下の忠臣ですから、影ながら殿下が幸せになる方法を探してはいたんですよ」
「カイル、お前……」
「けれど、巷で噂になってしまった以上、今度こそもう手遅れですね」
「それはどうしてだ?」
「だって、王弟陛下とアメリ様の婚約がなくなったら今度は婚約が破断になったと噂になるでしょう。例えアメリ様に不備がなくても、世の中の人たちはアメリ様に何かしらの原因があったと思わざるを得ないものです」
「な、何だと! そしたらアメリが傷付いてしまうではないか」
「傷付くだけでなく、そういったご令嬢たちは、訳ありとのレッテルを貼られ、社交界に居場所がなくなります。そして結婚することを諦め、修道院に入ったり、運良く結婚できたとしても年老いた好色家の後妻に入ることがほとんどですよ」
「そんな……」
俺の大切なアメリが悲しい運命を歩むことになるなんて耐えられない。
アメリが幸せになるためには、アメリと叔父上の婚約を応援するしかないのだろうか?
そう考えているうちにもアメリとご令嬢の会話は進んでいた。
「まだ婚約は正式に成立してないの。だから、まだ内緒にしておいてくださいね。嬉しいご報告ができるようになったらすぐにお伝えしますから」
「まあ、そうなのですね。私ったら先走っちゃって、お恥ずかしいわ」
嬉しいご報告を待っていますね、と言い残し、ご令嬢は去って行った。残されたアメリの表情は晴れない。
そのことを敏感に察したメアリ女史は、アメリに優しく声をかける。
「アメリ、少し猫と触れ合ってきなさい。今日はそのために来たのだから。もふもふに包まれると心が癒されて幸せな気分になれるのよ」
「そうですよね。はい、思う存分もふもふします! 伯母様も一緒に行きましょう!!」
俺もアメリにもふもふされたい。けれど、ダンボールで作った猫の着ぐるみは、可愛さはあれどもふもふ度は圧倒的に足りない。
もふもふされることが叶わないのなら、せめてアメリと猫の共演を一瞬たりとも見逃したくない。それなのにいまだに俺は動くことができなかった。
普通なら発狂しているだろう。でも今回に限っては意外と落ち着いていられるのには理由があった。
「監視カメラをしかけておいてよかった」
「うわっ、引くわ。監視カメラとか、やっぱりストーカーじゃないですか!!」
「違うっ、ストーカーではない! 猫カフェは歴史上初めての試みだ。可愛すぎる猫たちを前にした猫狂いたちが何をしでかすか分からないじゃないか。カイルが借りてきてくれた猫たちを守るためだ。決して、アメリを隠し撮りしようと思ってのことではない」
「へぇ〜」
カイルは全く信じようとしはなかった。むしろ俺から距離を取りはじめた。
しかし、それは俺にとっては好都合だった。カイルが退いてくれたおかげでアメリを視界に入れることができたのだから。
「アメリはやっぱり可愛いなあ。でも、もうちょっと近くでもふもふたちと戯れてほしいな」
アメリは今、部屋の隅の方で、キャットタワーで遊ぶ猫を嬉しそうに眺めている。アメリが喜んでくれている。良い仕事したな、俺。
「きゃっ!」
すると女性の慌てる声が聞こえてきた。
トラブルか、と思い、その声の方に目を向けるとその声の主はメアリ女史だった。
どうやらメアリ女史のベールに猫の爪が引っかかってしまったようだ。
「まあ、爪が引っかかってしまったのね。外してあげるから少しだけ待っててね」
怒るでもなく怒鳴るでもなく、優しくそう言いながらメアリ女史はキョロキョロと周りを確認してからベールを外した。
「!?」
俺は驚愕した。だって、メアリ女史の顔の半分が火傷でも負ったかのように爛れていたのだから。
ベールから猫の爪を外すと、すぐにベールを被り直し、周りを見回してほっと胸を撫で下ろしていた。見てはいけないものを見てしまった……
「カイル、今の、メアリ女史のあれは……」
「ああ、殿下は知らなかったのですね。メアリ女史に今まで結婚の話がなかった理由のひとつですよ」
カイルが言うには、顔や身体に傷のある貴族のご令嬢たちは、良い家に嫁ぐことが難しいのだという。
「殿下は、嫌ですか?」
「いや、あれくらいの傷全く問題ない。初見はさすがに驚いたが、それで嫌悪感を抱く方が人間性に難ありだろう。何なら俺が治してみせるし」
「殿下は100年に一度くらいの頻度で格好良いこと言いますよね」
「おい、それは一生に一度ってことかよ」
絶対に100歳以上生きて、もう一度格好良いことを言ってやる!
そしてとうとう俺とアメリの楽しいデートの時間が終わりを迎えてしまった。
「伯母様、今日はとっても楽しかったです! ありがとうございました」
「それなら良かったわ。ではアメリ、先に馬車に乗って待っていてくれる?」
「はい、分かりました」
アメリとの胸きゅんな触れ合いはなかったけれど、アメリが満足して店を出て行ったのを見送れただけでも俺は満足だ。
それなのに、彼女は俺の前で立ち止まった。
「婚約式、楽しみにしていますわ」
メアリ女史が、猫の着ぐるみを着た俺の前に立って、はっきりとそう言い放ち店を出て行った。
どうして中の人が俺だと気付いたんだ!?
反射的にカイルを見るも、カイルは何も言ってはくれなかった。
もしかしたらメアリ女史にも、俺だけを映すことのできる心の目があるのかもしれない。