素敵な贈り物
その日のセルジュは妻と共に街へ繰り出していた。
最初の目的地は長年イヴェール家が世話になっている仕立て屋である。ふたりの夏用の服の仕立てだ。コレットは採寸からして貰わなければいけない。
愛らしい妻を前に店のマダムは発奮していたから、きっと時間がかかるだろう。
セルジュはそれを狙っていたのだ。
いつも通り店員にすべて任せ、早く終わらせたセルジュは先に店を出た。用が済んだら戻って来る予定だ。
シモンの息子で従者をしているマルクと共に入ったのは馴染みの宝飾品店だった。
「今日オーダーメイドも注文しておきます?」
「いや、まずはすぐに渡せるものだけでいい」
「えー、せっかく新しいドレス今注文してるんですからアクセサリーも……」
「そこらへんはイネスたちに相談しないと文句が出そうだ」
「……まぁ、そうですね」
マルクの同意を得たところでアクセサリー、ではなく宝石箱のような小物を物色する。
「宝石箱はやめた方がいいですよ。絶対持ってるんで」
「わかっている」
「やっぱ無難に髪飾りとかにしたら……」
「まだ何も決めてないからあまり色々言わないでくれ」
鬼気迫る様子の彼にマルクは呆れて肩を竦めた。
セルジュは昨日のコレットの願い通り、彼女への贈り物を自分で選びに来たのだ。
しかし、何を贈ればいいのか、庭師に言われたように寝ないで悩んでも浮かばなかった。
もうこれは実物を見て決めるしかないと外出した次第である。
ひとりで出掛けなかったのは、コレットに「贈り物を探してきます」と明らかにわかってしまうのを避けるためだ。
なんとなく、隠しておきたい気がした。
「大丈夫、奥様は可愛らしい方ですから。何贈っても似合います」
「適当なものは贈れない」
「おー……。なんか、よかったですね。奥様が来てくれて。旦那様、楽しそうですよ」
「……そうだろうか」
マルクに指摘されて結婚から今までを思い出す。
初日こそ出仕したが、翌日はコレットに家のことを教えて、その翌日は観劇。その後もセルジュの仕事を手伝って貰い、話題のレストランへ行き、昨日は邸の案内をした。
なんだか普通の夫婦のようだ。
そう思って頭を振る。いつかコレットを手離さなければいけない。これ以上親しくするべきではないのだ。
しかし、思ったよりもずっと彼女をセルジュに付き合わせている。礼のひとつもするべきだろう。
その礼である贈り物を真剣に選んでいると幼い頃からよく知る店主が現れた。挨拶をし、特に必要がなくご無沙汰だったことを詫びたあとは相手をマルクに任せる。
マルクの茶々がなくなるので一石二鳥であった。
そして、彼はついに見つけた。店内を隅々まで見て、片隅にぽつんとあったそれはどこかコレットを思わせる可愛らしさだった。
「これを貰おう。包んでくれるか」
「えっ、ほ、本当によろしい……。いえ、かしこまりました」
「え、えぇ〜」
「なんだマルク」
「いや、もっと奥様に似合うものあったでしょ……」
「コレットのように可愛いと思うが」
「えぇ〜」
マルクには不評のようだが、コレットは彼の選んだものがいいと言ったのだ。多分喜んでくれるはずだ。
丁寧に包装されたそれを受け取り、渡す時のことを思うといつもは固い口元が自然と緩む気がした。
贈り物が決まり仕立て屋に戻ったが、コレットはまだ解放されていなかった。
マダムは大変熱が入っているらしい。応接間でしばらく待っているとやっと終わったのか、ほくほくと上機嫌のマダムに対し、ややぐったりとしたコレットが戻って来た。
そんな姿にこのあとの予定もあったが、取り止めて帰ろうかと提案したら「慣れていますから、大丈夫です」と言う答えが返ってきた。
実家でも衣装の新調の際にありとあらゆるものを試され、何度も試着を繰り返す羽目になっていたそうだ。
愛らしいということは良いことばかりではない。
本人が大丈夫と言うので、遅めの昼を摂ってから次の目的地、美術館へ向かった。
現在、他の美術館から絵画を借り受けた特別展示が開催されているらしい。
彼は小耳に挟んだだけで内容はよく知らないが、絵画が好きなコレットにはいいだろうと思ったのだ。
思った通りにコレットは喜び、それだけでセルジュは満足した。彼自身はあまり絵画に興味がない。
しかし、コレットが興味深そうに絵画や彫刻に見入る姿を見ているだけでも楽しく感じる。
その日の美術館は空いており、ゆっくり鑑賞できた。
「ここから先が特別展示らしいですよ」
コレットが立てられた看板を示し、彼に教える。仕立て屋を出た時の疲れはもう見えなくなっていた。
楽しみなのか少し彼を引っ張るように進むコレットが微笑ましい。
看板から先にあった絵画は、すべて同じモチーフだった。
抱き合ったり、口づけをする男女と、蛙。
場所は様々だが、それが共通している。
男女はだいたい抱き合っているだけだが、蛙は惨憺たる有り様だ。
男女に背を向けて画面左にある泉に飛び込むだけという扱いが一番マシで、鳩に突かれたり、燃やされていたり、引き裂かれていたりとありとあらゆる悲惨な目に遭っている。
蛙になんの恨みがあるのかと深読みしたくなる絵画群だった。
「これは……。もしかして、『蛙の呪い』を描いているのでしょうか」
「そのようだな」
コレットが心配そうな顔で彼の様子を窺っている。彼は安心させるために「大丈夫」という意味を込めて首を振った。
不思議と、なんとも思わなかった。
ずっと、『蛙の呪い』、つまりベアトリスを思わせるものを避けて来た。不意打ちで近づいてしまって胸が痛んだ時は仕事に逃げた。
なのに今は驚くほど何も感じない。
「不思議ですね。すべて違う画家なのに、みんな同じ場面を描いています」
そんな彼の気持ちを汲んでくれたのか、コレットは殊更明るい声で話題を提供してくれる。
気まずくならずに済んでホッとしながらその話に乗った。
「『蛙の呪い』を描くとなればみなこの場面が思い浮かぶんだろう」
「それはそうでしょうが、絶対ひとりやふたり捻くれ者がいるものです」
「そうなのか?」
「ええ。きっと、呪われた状態の女性を微に入り細に描いて物議を醸す画家がいるに違いありません」
「揉め事になるとわかっていて描くのか。画家とは因果な生きものだな」
話は意外に弾み、美術館に入って初めてコレットは絵ではなくセルジュだけを見て進んでいく。
あれほど楽しみにしていたのに、いいのだろうかと気にするが、一瞥もしないということは興味がないようだ。
順路通りに進んだ最後に待っていたのはテーブルだった。その上に鮮やかな色合いの紙が束になって置かれている。
「なんでしょう?」
「チラシだな。……『奇跡のふたり』再演のおしらせ……?」
「再演ということは、前にやったオペラか演劇でしょうか?」
コレットが不思議そうに首を傾げている。彼女は知らないのだ。
『奇跡のふたり』は七年前に上演された演劇である。
主人公はある国の王女。周囲の者に愛され、幸せに暮らしていたのだが、突然『蛙の呪い』にかかってしまう。
そこへ隣国の王子が現れ、彼の口づけにより呪いは解ける。
そんなストーリーだ。
チラシを読んだのか、コレットの顔が引き攣る。どうやら気づいてしまったようだ。
『奇跡のふたり』のモデルはベアトリスの恋物語である。
「……気にしないでくれ。私はそもそもチャンスすらなかった。殿下は私に愛はないと言ったのだ。きっとその通りなのだろう」
セルジュは観てはいないが、『奇跡のふたり』には彼をモデルにした登場人物がいるらしい。
主人公の王女の婚約者で容姿端麗だが、心のない彫像のような男。きっと彼もそういう人間なのだ。
「そんな、自分を傷つける言葉を使わないで」
コレットが、そっと彼の手を取った。見上げる瞳は潤み、眉は下がっている。
悲しんでいるのだ。彼のために。
「そんなことを言ったのは殿下おひとりでしょう? たったひとりの決めつけを真に受けないでください。少なくとも、わたしは旦那様が優しい、愛ある方だと知っています」
ぐっと、込み上げてくるものを感じてセルジュは堪えた。
何故、彼女の言葉は簡単に彼の奥深くまで届くのだろう。ずっと、意固地になっていたものが解れて、出てはいけないものが顔を覗かせている。
彼は必死にその存在を無視した。まだ、気づいてはいけないのだ。コレットをいつか手離すために。
「もう帰りましょう。こんな宣伝紛いの展示、見る価値もございませんわ」
珍しく冷たいコレットの言葉に、雷に打たれたように閃きが舞い降りた。
何故、今、『蛙の呪い』なのか。
もう八年も前のことだ。流行りを追いかける人々からはほとんど忘れられている。
それなのにオペラの再演に宣伝染みた美術館の展示。他にもまだあるかもしれないが、なんらかの意図を持って『蛙の呪い』を思い出させようとしている。
『蛙の呪い』が受け入れやすい土壌を作って得するのはアヴァール国くらいのものだ。
あの、オレリーの件の詳細を彼はまだ知らない。今のところはまだかの国の明確な動きはないのだ。
しかし、こうして気づかれないように日常に少しずつ手を伸ばしているのかもしれない。
明後日には彼の長い休暇が終わる。仕事にスムーズに戻るために明日は一日情報収集に徹する必要があるだろう。
敵は諦めていない。まだ、コレットとプランタン家は狙われているのだ。
「旦那様、どうしました? お加減がすぐれないのですか?」
急に黙り込んだ彼を心配そうにコレットが見上げている。儚く、頼りない彼女を絶対に守らねばならない。
「大丈夫だ」
「本当ですか? どうぞ、わたしに寄りかかってください。少しなら支えられます。あと、馬車に着いたらまた枕になりましょうか?」
「まくら……。枕は、また、別の機会に……」
完全に彼の方が介助されているが、ひたひたと忍び寄るアヴァール国を感じて、セルジュは決意を新たにした。
美術館を出た頃には日が傾き始めていたので真っ直ぐ邸へ帰った。
コレットをエスコートし邸内に入ると、使用人たちに迎えられる。着替えのため自室へ向かうコレットの背中を眺めていると、マルクに声をかけられた。
「旦那様、これ、どうします?」
「あっ」
コレットへの贈り物である。明日は忙しくなりそうだから、今日のうちに渡そうと思っていたのだ。
急いでコレットの背を追うと、まだ自室に戻る前に掴まえられた。
「旦那様? どうされました?」
「その、こ、これを……」
なんと言ったらいいかまったく思い浮かばず、もごもご言葉を濁して例のものが入った箱を突き出した。
コレットはパッと笑顔になる。
「もしかして、昨日おっしゃっていた贈り物でしょうか」
「そ、そうだ」
「ありがとうございます! 今開けても?」
「好きにするといい」
ちゃんと顔が見たいのに恥ずかしくて直視できない。しかし、反応が気になるのでちらちらと窺い見てしまう。
コレットは側についたイネスたちに手伝われながらごそごそと箱を開封した。
「あら? これは宝石箱でしょうか?」
中から出て来た両手に収まる程度の四角いものを見て、彼女は目を丸くした。
金線細工とエナメルで睡蓮の装飾を施されたそれは、上の部分の中心に青い宝石が嵌まった金の丸い装飾がついている。
「いや、違う。その丸い装飾は蓋だから開けてみるといい」
「わかりました」
コレットの細い指先が、そっと蓋を開ける。ひょこりと蓋の下から小さなものが飛び出した。
ひよひよひよひよ……
蓋から飛び出したのは白鳥の雛の姿を模したオート・マタだ。小さな羽をぱたぱたと羽ばたかせ、嘴をぱくぱくさせている。
しばらく雛は囀ると勝手に蓋が閉まり、その中へ姿を消す。
辺りはしんと静まり返った。
セルジュがコレットへの贈り物にしたのはシンギング・バードという小鳥が囀る工芸品だ。
普通は鮮やかな羽の小鳥のオート・マタなのだが、彼が選んだものは灰色のぽわぽわした羽毛の白鳥の雛だった。
小さな体で一生懸命羽ばたく姿がコレットを思わせる大変愛らしい一品である。
「まぁ、なんて可愛らしいんでしょう!」
「そ、そうだろう。あなたに似合いだと思ったのだ」
「素敵な贈り物をありがとうございます、旦那様。大切にしますわ」
「気に入って貰えたなら何よりだ」
気合いを入れてコレットの顔を正面から見ると、きらきらと眩いほどの笑顔だった。言葉の通り、心から喜んでくれているようだ。
満足感からセルジュの胸はぽかぽかと暖まる。しかし、喜ぶコレットをよそにイネスたちは微妙な表情をしている。
「奥様、お着替えをなさいませんと」
「でも、もうちょっとお礼を……」
「また後ほどになさいませ」
「……そうね。待たせてごめんなさい。では旦那様、また晩餐の席で」
「ああ。ゆっくり休むといい」
侍女たちを伴いコレットは自室へ入っていく。腕の中に大事そうに彼の贈り物を抱えていた。
パタン、と扉が閉まり、満足感に包まれて彼も自室に戻ろうとしたら、イネスが立ち塞がる。
いつもの圧がある笑顔だ。
「旦那様、なんですかあれは」
「コレットへの贈り物だが」
「知ってますよ。何でよりによって灰色の綿埃みたいな鳥を選ぶんですか! もっと色鮮やかな鳥のものがあったでしょう!」
「わ、綿埃……」
自分が可愛いと思ったものが綿埃という評価を受け、さしもの彼もショックを受けた。
「今後、奥様への贈り物はすべてわたくしに相談してくださいませ!」
「……その、贈り物を選ぶのも男の甲斐性だと……」
「まずセンスを身に付けてからおっしゃってください!」
ばっさり切り捨てられてセルジュは打ちのめされた。
イネスはそんなセルジュに見向きもせずに立ち去る。
「……お、奥様は喜んでいらっしゃいましたよ! 元気出して、旦那様!」
「……」
マルクに励まされたが、しばらく動く気力が湧かなかった。