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オペラの前の一悶着

 休暇の二日目は朝一番にサミュエルから手紙が届いた。

 急ぎの仕事かと思ったらオペラのチケットが添えられている。


『プランタン家ご贔屓の劇団だ。きっと奥方も喜ぶだろう』


 手紙にはそう書かれていた。つまり、ふたりで出掛けろということだ。

 昨日のシモンたちといい、周囲の者がやたらとコレットとの仲を取り持とうとしてきて辟易する。

 セルジュのような退屈な男に付き合わされるコレットが可哀想だと思わないのだろうか。


 手紙とチケットを見てため息を吐いているとシモンが目敏く彼の手の中のものに気づく。


「オペラのチケットですね! 公演は午後からですか。奥様に準備をしていただくようにお伝えします」

「いや、それは……」

「王太子殿下がわざわざ、旦那様のために、用意して下さったのですよ。そのお心遣いを無下になさいませんよう」

「……わかった」

「今度からはご自分で奥様を誘って下さいね」


 そう言い残し、シモンは部屋を出て行った。シモンとイネスは実の親よりも大切に彼を育ててくれたから、どうにも頭が上がらない。

 ふたりの子供たちもみなイヴェール家で働いてくれていてとても助かっている。


 しかし、今回はお節介が過ぎると思うのだ。

 

 多分、コレットは共に行くのが誰でもオペラを喜ぶだろう。

 チケットを送って寄越したのはサミュエルだが、用意したのはきっとアルノーだ。妹の好みはしっかり押さえているに違いない。

 でも、彼以外の男と行った方がもっと楽しいはずだ。


 そう思いながらチケットに目を落とす。改めて見るととんでもないチケットだ。二階の、舞台の正面にあるボックス席。役者たちの歌声もよく聴こえて、オペラグラスがなくともすべてを見渡せる。


 公演の前日か当日に入手できるものではない。

 多分、アルノー本人かプランタン家に伝手があるのだろう。


『この国の流行の七割は、プランタン家が関わっている』


 アルノーへ日参していた当時サミュエルが言った言葉だ。

 その頃の彼にはピンと来ていなかったが、アルノーと同僚となった今では深く納得している。


 プランタン家の人間はとにかく好奇心旺盛で、なおかつ先見性がある。市井に埋もれる才能を見つけ、惜しみなく金を使いひとつの流行を作り出す。


 ただ、アルノー曰く彼らは「飽きっぽい」ので、ある程度すると自分が育てたものをあっさり手放し新しい原石を探しに行ってしまう。

 プランタン家が手放したものたちがその後も成功できるかは新しい経営者次第だ。


 フィエリテはそこまでの大国ではないが、流行の発信地として一目を置かれている。その評価の一端を担っているのがプランタン家だ。


 好奇心で動く彼らは国内に留まらない。アルノーの妻は隣国の出身で、その伝手を使って隣国でも事業を展開しているようだ。

 隣国だけではなく彼らは王家でも把握し切れていない様々な国に伝手を持っている。


 数多の財を生むプランタン家が貪欲なアヴァール国に目をつけられるのは時間の問題だった。

 もし「真実の愛」を理由にあの国がコレットを要求しても無視した上に一族郎党フィエリテから姿を消すだろう。

 そんなことになったら困るのはアヴァールではなくフィエリテだ。


 だからこそ国でも特に古く、地位も高いイヴェール家の彼がコレットの夫に選ばれた。

 しかし、プランタン家の実力を感じるたびに、やはり彼では不足ではないかな、と改めて思うのだった。




 シモンに急かされそれらしい支度を整えたセルジュは、美しく装った妻をエスコートし、劇場へ向かった。

 ブルーグレーに白いレースをあしらったドレスを纏ったコレットは、既婚婦人らしく髪を上げた落ち着いた装いだ。しかし、わざと残された後毛(おくれげ)がふわふわと動き、あどけない彼女の印象を強めていた。


 人形(ビスクドール)のように愛らしいコレットを連れているせいか、それとも劇場の支配人に出迎えられたせいか、セルジュたちはやたらと注目されて入場した。


 居心地も悪いので早く席に行こうと、ホールの入り口を目指す。

 しかし、彼らの前に深い緑色のドレスを着た、黒髪の女が立ち塞がった。

 一分の隙もない見事な礼をする彼女をセルジュは知っていた。苦々しい気持ちが湧き、視線を逸らす。


「お久しぶりですわ、セルジュ様。いえ、イヴェール公爵」


 そう言ってするりと近づこうとする彼女を思いっきり避けた。彼の腕に掴まっていたコレットを軽く抱えて距離を取ったため、妻は目を丸くしている。


 馴れ馴れしい彼女は笑顔のまま一瞬固まり、またすぐにセルジュに近づこうとする。しかし、彼は再び避けてさらに距離をとった。

 小柄で軽いコレットは彼にされるがままである。ただ、不思議そうに夫と緑のドレスの女を見比べていた。


「……卒業以来ですわね。ご無沙汰しておりました」

「……」


 セルジュに近づくのを諦めた彼女は何事もなかったかのように話しかけてくるが、彼は無視を決め込んだ。

 もう少し動いてくれたらホールの入り口に行けたのに、と歯噛みをする。彼女の連れはどこにいるのかと視線を巡らせた。


「在学中は()()()()()して下さったのに、疎遠になってしまって申し訳なかったですわ。望まれて遠い地に嫁いだもので。でも、わたくし、夫と死別してしまいましたの。セルジュ様も身軽な独身でございましょう? また()()()しませんこと?」


 無視をしていると言うのに彼女は図々しく意味深な視線を送って来る。また避けられるようにと腕の中に大人しく収まっているコレットは戸惑った様子で彼を見上げていた。


 流石にこれ以上無視するのは難しいと彼は覚悟を決めた。

 できればひと言も話したくないほど嫌いな相手だが、周囲の目がある。ここで間違った認識から変な噂が広まるのは困るのだ。


「誤解を招く発言は看過できない。私は特にあなたと親しくしていた覚えはないぞ、バルニエ伯爵令嬢。在学中もそうやって王太子殿下や他の令息たちに擦り寄っていたな。サミュエル殿下は何をしに学院に来ているのかと呆れておられたぞ」


 なるべく冷淡に刺々しく響くように意識した声は思った以上に冷たくなった。

 学院で同級だったオレリー・バルニエは彼の言葉に鼻白み、しかし、すぐに哀れっぽい表情を取り繕う。


「擦り寄っていたなんてそんな……! 誤解ですわ。仲良くしたかっただけです。わたくし、いつもセルジュ様に憧れていましたの……」

「そうか、とても迷惑だ。あと、今の私は独身ではない。このように美しい妻がいる」


 しなを作り、諦めずまた近づこうとするオレリーからジリジリと後退る。

 先程から彼女は完全にコレットのことを無視している。もしや彼に隠れて視界に入っていないのかと、彼はほんの僅かにコレットがオレリーに見えるように体の向きを変えた。

 妻は相変わらずきょとんとしている。


 妻という言葉にオレリーはきりきり目を吊り上げたが、コレットを見た瞬間、嘲りの色を浮かべた。不躾にじろじろと頭の上から爪先まで吟味して、軽く鼻で笑う。


「まぁ、そうだったんですの。申し訳ありません。なにぶん、最近王都に帰って来たばかりで知りませんでしたわ。本当に素敵な奥様ですね。お人形さん(ビスクドール)みたい」


 言葉は誉めているが、声色に隠しきれない嘲笑がある。

 そして、自分をアピールするように、わかりやすく体をくねらせるので不快感が一気に増加した。


「そうだな。毒虫のようなあなたとはまったく違う」


 苛立ちのままの言葉をぶつけると、オレリーは何を言われたのか理解できなかったのかぽかんと口を開いたまま固まった。


「そろそろ上演時間だ。通れないので退いてくれ」

「なっ……! なっ……!」

「聞こえないのか、()()()()()()()()。邪魔だ」


 普段はやらないが、ここぞとばかりに自分の身分を振り翳す。格下の伯爵家で、しかも令嬢でしかないオレリーは公爵のセルジュには逆らえない。

 彼女は怒りでブルブル震えながらも横へ避けた。何故か罵ったセルジュではなくコレットをぎらぎらした目で睨むので、彼の体に隠してその視線を遮る。


 やっと人目を気にしなくていいボックス席に着いてホッとした。コレットを先に座らせてから隣に座る。

 気分がささくれていたから動作が荒くなり、椅子が大きく軋んだ。


「……さっきの方のこと、お尋ねしてもよろしいですか?」

「ああ、変な者に絡まれて申し訳なかった。あれはオレリー・バルニエと言って私の学院時代の同級生だ」


 思わず、大きなため息が出た。彼女は、彼らの学年では一番の問題児だった。

 少ない女学生だからではない。サミュエルを含めた高位貴族の令息に見境いなく付き纏い、言い寄ることを問題視されたのだ。


 成績は悪くなかったが、学問のためではなく男漁りに来ていると隠しもしないその態度は同性だけではなく、異性にも顰蹙を買っていた。 

 何人か彼女を相手をする者もいたが、セルジュはサミュエルに彼女が近づかないように警戒していただけだ。


 なのにオレリーは「学院に入学する前は第二王女殿下にお仕えしておりましたの」などと言い、べたべたと彼に触ろうとしてくるので大変気持ちが悪かった。

 ベアトリスに仕えていたというのにセルジュはまったくオレリーを見たことがない。多分箔付けの行儀見習いだったのだろう。

 だから、オレリーとはこれっぽっちも親しくはない。


 そんな、愚痴のような、言い訳のような話をコレットに打ち明けてしまって口を噤む。

 彼女はおっとりと相槌を打って聞いてくれたが、話していいことではなかった。少し話しすぎてしまったと反省しているとコレットが愛らしく小首を傾げる。


「ごめんなさい。わたし、世間知らずなので間違っているかもしれませんが。バルニエ様はもしかしてイルマシェ辺境伯のお孫様とご結婚されていました?」

「そうだ。彼女を知っていたのか?」

「いいえ、まったく。ただ、若くしてお亡くなりになったお孫様の奥様は喪も明けないうちに子供たちを残して実家に帰されたらしいと姉に聞きました」

「本当か」


 コレットのもたらした情報に彼は色めき立つ。

 オレリーはある理由から辺境の修道院で反省させられていた。しかし、どうやったのか辺境伯の孫と恋仲になり、彼の懇願で修道院から出ることが叶った身だ。


 本来彼女はそう簡単に許されるはずがなかったのだが、イルマシェ辺境伯が病弱な孫のために奔走したのだ。彼は現在七十を越えてなお現役のフィエリテの重鎮である。

 国王陛下の信頼も篤く、長く国境を守り続けているだけではなく、人格者としても評判だ。


 温厚篤実なイルマシェ辺境伯は、若くして道を誤り行き場をなくした貴族の子供たちを積極的に受け入れている。

 彼は時に叱咤し、時に褒め、捻くれてしまった彼らを見事に更生させるのだそうだ。


 彼のおかげで立ち直れたと辺境伯を慕う者は多い。

 しかし、悲しいことに彼の息子と孫はあまり丈夫に生まれず、先立たれてしまった。

 後継者に恵まれず、未だに彼は辺境伯の役目を担っている。


 その、恩人でもある彼の元からオレリーは追い出されたのだ。


 イルマシェ辺境伯は有徳の人である。人情味に溢れ、寛大だ。本来なら親と子を引き離す真似はしないし、未亡人を放り出したりもしない。

 実際、若くして亡くなった息子の妻は実家に帰すことなく、むしろ新しい夫まで世話をしてやっている。


 ただ、国防に関しては欠片も情を挟まない。有無を言わせず辺境伯家から叩き出されたオレリーはおそらくそちらに関わる何かをやったのだ。

 呑気に観劇に来ていることから見て彼女自身は己の失態に気づいていない。それとも、辺境でのことなど王都まで伝わるまいと高を括っているのか。


 だが、イルマシェ辺境伯の世話になった者は国のどこにでもいる。オレリーの気づかぬうちに彼女のしたことは広まっていくだろう。

 そして、セルジュはそれを人より早く知る必要がある。


 イルマシェ辺境伯の守る国境が接している国はアヴァール国なのだ。

 アヴァールにはベアトリスがいる。おそらくオレリーはよく考えずにセルジュへ言ったように、かつてベアトリスに仕えていたと誰にでも話しただろう。


 オレリーは身分が高い相手ほど媚び諂うので他国であっても要人ならばいくらでも擦り寄ったはずだ。

 今のところ明確な動きを見せていないアヴァール国だが、これをきっかけに何か掴めるかもしれない。


 高らかに開幕のベルが鳴り、緞帳がゆっくりと上がっていく。

 コレットは嬉しそうに舞台へ視線を注いだ。

 しかし、セルジュはそれどころではなかった。


(サミュエル殿下に報告せねば。いや、まずはコレットに姉君から聞いた話を詳しく聞き出すべきか……)


 そんなことばかり考えていたから、一等席で見る評判のオペラの内容はすべて頭をすり抜けていった。

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