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魅惑の領地

 輿入れして二日目の朝、流石に昼まで眠るほどの疲れはなかったため、いつも通りの時間に起き、身支度を整えて朝食へ向かう。

 すると、先にセルジュが席に着いていた。

 相変わらずの無表情だが、心なしか所在なさげに見える。


 昨夜夫は彼女の寝支度が整っても帰って来なかった。

 何故かイネスに謝られ、ついでにコレット付きの侍女を紹介されてその日はひとりで眠りに就いた。

 特に寂しくはない。しかし、いつもはお休みのキスを両親と兄夫婦、そしてふたりの甥っ子から計六回されるので、何もないまま眠るのは少し不思議な気分だ。


 コレットは一度寝ると何があっても起きない質だから、夫がいつ帰って来たか、そして起きたのか気づかなかった。

 朝の挨拶をして、そのことを詫びると夫は首を横に振る。


「気にしなくていい。これからも私の帰りを待たず、早く寝るように」

「かしこまりました」


 連絡事項のようなことを話していると、朝食が並べられた。今日はウィンナーではなく厚く切られたハムだった。

 嫌いではないが、ウィンナーほど気分は上がらない。

 しかし、ほうれん草のクリームスープがあることに気づいて簡単に機嫌良くなる。

 ほうれん草には色んな料理があるが、コレットはクリームスープが一番好きだ。


 今日もまた無言の時間が続く。食器の音もほぼしないので食堂は水を打ったような沈黙が横たわっていた。

 しかし、クリームスープでほっこりしていたコレットは特に気にせず、食べ終わる頃になってやっと異変に気づいた。


 セルジュの皿にまだ食べ物が残っている。

 昨日はあんなに早かったのに、今日は彼女と同じペースだ。もしかしたら昨日は急いでいたからあんなに早食いだったのだろうか。

 そして今日は急ぐ用事がないのだ。


「旦那様は、今日はどう過ごされますか?」

「一週間休みを貰ったので、領地に関する仕事を片付けようと思っている。貴女は好きなようにするといい」

「まぁ、お休みを貰えたのですか。よかったですね」


 セルジュの仕える王太子殿下はちゃんと部下を気遣える男らしい。しかし、夫はそれに気づかずみっちり仕事をするつもりだ。

 そこで執事のシモンがおもむろに咳払いをして視線を集める。


「旦那様。領地に関してはいつもコツコツやってらっしゃるので特に急ぎの仕事はありません」

「しかし……」

「とにかく仕事はないのです」

「……そうか」


 シモンはにこりとセルジュに笑いかけるが、なんだか圧を感じる笑顔であった。商談中の父に似ている。


「ところで奥様は今イヴェール家についてお勉強をされているのです。昨日は僭越ながらこのシモンめがお相手を務めさせていただいたのですが、旦那様がお手隙ならば今日の奥様への指導は旦那様にしていただきましょう」

「いや、それは……」

「まーぁ! それはよろしいですわ。当主の旦那様なら知らないことは何もありませんもの! 奥様もその方がいいですよね?」

「えっ、はい」


 コレットはイネスの勢いに押され、咄嗟に頷いてしまった。シモンとイネスは顔を見合わせ満腹の猫のようににんまりと笑った。


「ちょっと待て」

「本来家のことを教えて下さる先代がこの家にはいませんから奥様もどうしたらいいか不安ですよね?」

「えっと……。まぁ、そうね」

「そうでしょうとも。安心なさって下さい。旦那様が手取り足取り教えてくださいますから」

「待て」


 セルジュの抗議の声は黙殺された。

 夫と使用人たちはかなり気心の知れた仲であるようだ。待てとは言っているが、勝手に準備を始める彼らを叱責したり、咎めることもない。

 

 無表情で目を泳がせるセルジュはやはり彫像(スタチュー)と言うには人間味に溢れ過ぎていた。




 コレットの勉強は図書室で(おこな)っている。

 古く歴史のあるイヴェール家の図書室は二階分の高さがあり、壁はほとんど本棚になっており、ほぼ本で埋まっていた。窓は小さな天窓がひとつあるだけだ。

 昼間でもランプが必須の薄暗さでひんやりと埃っぽい。

 しかし、家に関する資料はすべてここに保管されているのだ。


「シモンからは何を?」

「イヴェール家の歴史です。家の創立から今までの当主の業績についてだいたい教わりました」

「では私からは領地について話そう」


 セルジュはひとつ頷いてから机を前に座ったコレットをおいて本棚に向かう。巻かれた大きな紙を取り出し、広げて確認しては戻すということを繰り返している。

 おそらく最新の地図を探しているのだろう。国の地図が更新されるのは何年かに一度だけだ。その際、古い地図は破棄されることなく保管されるため、地図というものは際限なく増えていく。


 特に、長く続くイヴェール家は地図の数も多いだろう。

 なんせ、六百年も続いているのだ。


 イヴェール家はフィエリテがまだ別の名前で呼ばれていた頃から続く国でも特に古い家だ。当時の王族、ペリュシュ家の王子が王室から離れる際に起こした。


 ペリュシュ家が断絶し、今の王家であるロシニョール家が擁立され、国の名前が変わってもイヴェール家は変わらず存続した。

 長く家を守り続けるのは大変なことだ。ペリュシュ家のように血筋が絶えることもあれば、維持するための資金が尽きて爵位を返上せねばならなくなることもある。


 この大きな図書室を抱える歴史ある邸宅を維持し続けるイヴェール家はそれだけで立派なことだとコレットは感心していた。

 目的の地図が見つかったのか、セルジュが彼女の元へ戻って来る。使い込まれて飴色になった天板に少し黄ばんだ紙を広げる。


「イヴェール家の領地はここだ。このように四つの領地と隣接している」


 長く白い指がイヴェール家の領地をなぞり、隣接する他家の領地を指す。それぞれどの家の所領かという説明を聞きながら、コレットは首を傾げていた。

 イヴェール家の領地をどこかで見たことがあるのだ。


「何かわからないことでも?」

「いえ……。

 あっ! もしかしてイヴェール家の領地は焼くと甘くて美味しいお芋が名産ではありませんか?」

「そうだが」

「そのお芋で作った強いお酒も有名だとか」

「よく知っているな」

「本で読んだのです。オーギュスト・カレームの紀行文をお読みになったことは?」

「ああ、あれか。出版された時に目は通した。代官たちがあの本のおかげで旅行客が増えたと喜んでいたな」

「まぁ、やっぱり皆さん行ってみたくなるのですね」


 コレットは感慨深く頷いた。愛読するシリーズの表紙はいつも行った場所の地図が描かれている。見覚えがあるはずだ。

 何度も読み返した本の内容を思い返してついうっとりしてしまった。


 本の著者、オーギュスト・カレームは王都で一番予約が取れないレストランのシェフである。

 彼のレストランは完全予約制で、一日三組しか客を入れない。従ってシェフは彼ただひとりだ。


 他のレストランとは一線を画す特別さを演出する営業形態とオーギュストが丁寧に作った料理の数々は独創的にしてこの上なく美味と評判である。

 一生に一度は食べてみたい、そう言われている。


 そんな彼は新しい食材探しを兼ねた旅行を趣味にしており、その旅行のあとに必ず紀行文を出版するのだ。

 ただ旅行の様子を書いたものではなく、その地で出会った食材を使ったレシピも載っているため、飛ぶように売れている。


 コレットも彼の本のファンである。

 天才シェフのレシピが惜しげもなくいくつも掲載されているのも嬉しいが、彼女が好きなのは彼の書いた文章だ。

 平易で誰でも読みやすく、何より食べ物がすべて美味しそうに描写されている。読んでいるとお腹が空く。


「もしかして、あのレストランにも行ったことが?」

「いえ、まだ……。その、ちょっと行き辛くて」

「何故?」

「オーギュスト様は兄の同級生で、お友達です。そもそもあのお店のオーナーは兄なのです」

「同級生? 学院のか」

「そうです。あのレストランは学生時代にふたりで考えた夢のお店だそうで……。行きたい人がたくさんいるのに身内のコネを使うのはちょっと……」

「そうか」


 フィエリテにはいくつか学校があるが、貴族が行くのは通称学院と呼ばれる王立学院のみだ。様々な学部があり、研究機関も兼ねているそこで貴族の子女は二年通う。

 二年ごとの試験を受ければ最長六年学べるが、それをするのは研究者を志す者たちだけだ。


 そして、入学には年齢の制限はあるが、性別の制限はない。しかし、卒業の最低年齢が十八なので、大抵の女性は行き遅れを恐れて諦める。

 コレットも本来は学園に通える年齢ではあるのだが、試験さえ受けていなかった。


 オーギュストはその学院に通う、料理が趣味の子爵家の三男坊だったそうだ。将来はどこぞに婿入りするか、文官になるかのどちらかしかなかったが、兄が料理の才能に目をつけてパトロンになった。


 見事に兄の狙いは当たり、例の店は一日たった三組な上、旅行中は店を閉めているというのにきっちり儲けを出しているそうだ。

 兄の商才がすごいのか、オーギュストの料理の腕前が神がかっているのか。

 多分どちらも素晴らしいのだろう。兄が手掛けたもので今まで成功しなかったものはないし、本で読むオーギュストの創作レシピはいつも美味しそうだ。


 本当はコレットだってオーギュストの店に一度でいいから行ってみたいと思っている。

 しかし、そんなことを一言でも漏らせば、兄は他の予約を押し退けてコレットを店へ連れて行くだろう。経営者として一番やってはいけないことだし、それでは彼女も心からオーギュストの料理を楽しめない。

 せめて出来ることは、兄には内緒でプランタン家のシェフに頼み、本に載っているレシピを再現して貰うだけであった。


「わたし、オーギュスト様があの地で作ったペーストにしたお芋にバターやクリームを混ぜて焼いたお菓子を是非食べてみたいと思って……」

「それならばあちらの名物になっている。ほとんどの菓子屋でそれぞれ工夫したものが売られているそうだ」

「本当ですか? 素敵ですね!」


 どちらかと言えば義務感から始めた勉強もこうなると俄然やる気が湧いてくる。

 この家の妻になった以上、いつかは領地に行ける。

 オーギュストのレシピにどんなアレンジを加えたのか、食べ比べてみるのは楽しそうだ。


「芋以外の話もしていいだろうか」

「勿論です!」


 あの芋の採れる領地なら他にもたくさん素晴らしいものがあるに違いない。

 セルジュの目には戸惑いが浮かんでいたが、それから日が落ちるまで、コレットは積極的に質問した。

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