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彫像公爵の疵

 結婚式の翌日、いつものように仕事場の王太子の執務室へ顔を出すと、主君のサミュエルに呆れられた。

 ぽかんと口を開いた表情は銀髪で薄氷色の瞳の冷たい王子を幾分あどけなく見せる。


「お前……。結婚の翌日くらい休め……」

「仕事が溜まるだろう」

「それくらい他の者がフォローする」


 そうは言うが王太子の仕事は多い。最近国王陛下が退位を意識して少しずつ仕事を譲っているので余計にだ。

 現にセルジュが自分の机に着くと、どさりと書類が積まれた。

 書類を持って来たのは何やら凄味のある笑顔を浮かべたアルノー・プランタン。彼の妻、コレットの兄だ。


「コレットはどうしていますか」

「好きなことをして過ごせと言っておいた。ゆっくり休んでいるのではないか?」

「ほう。趣味も何もない貴方の邸で好きなように? さぞコレットは退屈しているでしょうね」

「それは……そうだろうな」

「おい、アルノー。セルジュをいびるな」

「この程度、いびりにはなりません」


 サミュエルに窘められ、アルノーはツンとそっぽを向く。

 セルジュは特に何とも思わず、書類を手に取った。元は商家で今も手広く商売をしているプランタン家に対し、歴史だけしかないイヴェール家が退屈なのは当然だと思ったからだ。


 セルジュ自身も真面目なだけの退屈な男である。

 きっと生家で先進的な暮らしをして来たコレットにとって彼も彼の家も退屈極まりないことだろう。


「セルジュ、アルノーの言うことはあまり気にするな。掌中の珠を取られたやつあたりだ」

「気にしてない」

「あと今日は早く帰れ。そして一週間は休むんだ」

「何故?」

「俺の下にいると新婚でも休めないと思われるだろう」


 セルジュはよくわからず、首を傾げた。サミュエルは苦笑し、アルノーは忌々しげに鼻を鳴らした。


「昨日結婚したはずの貴方が毎日きっちり働いているとサミュエル様の評判が悪くなるんですよ。あと何より形ばかりの結婚だと噂されてコレットが悲しい思いをするでしょう。新婚早々泣かせたら取り上げますよ」

「それは……アヴァール国のことが片付くまで待ってくれ」

「そこは『私のすべてをかけて大切にします』と言うところですよ」

「そうなのか……」


 世の中とは難しいとセルジュはますます首を傾げざるを得なかった。サミュエルがそんな彼を見かねて口を挟む。


「アルノーは今情緒不安定なんだ。真面目に相手をしなくてもいい」

「言ってくれますね、サミュエル様。そもそも『蛙の呪い』についてわかっていればこんなことには……。いえ、我が家の陞爵と私の重用も理由ですね。父に爵位の返上を進言します」

「やめてくれ! お前を口説き落とすのに何年かかったと思っている」

「五年でしたか」

「十年だ!」


 サミュエルが悲鳴のような声を上げる。

 有能なのに政治と距離を取りがちのプランタン家の嫡男をなんとか取り込みたかったサミュエルは、それはもう毎日のように付き纏ってアルノーを口説き、現在側近に加えている。

 サミュエルと同じ年の幼馴染で、生まれた時から彼に仕えることが決まっていたセルジュもその日参によく付き合ったものだ。


「ところで、アヴァール国からの干渉は受けているのか?」

「家への接触はまだありませんね」

「まだ大きな動きはない。が、油断はできん。八年前の二の舞にはなりたくない」


 八年前、という言葉に、微かな胸の痛みを覚えたが、書類に目を落としてやり過ごす。こうして仕事に集中していれば心を乱すものは時間と共に流れていく。

 それをセルジュはこの八年で学んだ。


「父にチクっておいたので動きたくても動けなくなるかもしれません」

「お前というやつは……」

「うちのかわいいコレットに手を出そうとするんですから報復は当然です」

「……もう何も言うまい……」


 アルノーのギラつく目つきを見て、セルジュはコレットを守るために結婚までしなくても良かったのではないかと思った。しかし、賢明な彼はそっと沈黙することを選んだ。




 セルジュがコレット・プランタンとの結婚を命じられたのは二ヶ月ほど前のことだった。


「何故?」


 表情は変わらなかったが、内心セルジュは動揺していた。

 五年前に父が死んで爵位を継ぎ、二年前には母も亡くなった。うるさく言う人間が居なくなった彼は生涯独身を貫くつもりであったのだ。


「アヴァール国が彼女に目をつけたようだ。コレット嬢を娶ってプランタン家を取り込みたいらしい」

「まったく舐めた真似をしてくれますよ」


 冷静なサミュエルに対し、珍しくアルノーが苛ついていた。外面のいい彼の感情をこれだけ揺さぶるくらい、コレットの存在はプランタン家において大きいのだ。


「婚約するだけでは駄目か」

「駄目だ。伯爵令嬢と公爵夫人では立場がかなり変わる。それに俺の腹心のお前の妻であれば俺も守れる。

 ……なるべくあの『呪い』の餌食にはなってほしくない」

「……」


 あの『呪い』。その一言でセルジュの意識は八年前に戻ってしまう。忌まわしい呪いの症状を、彼はすぐ近くでつぶさに見たことがあった。

 まだ十七の令嬢には酷なことだ。


「……わかった。私が適任なら仕方がない」

「なんですかその言い草は。コレットが妻になるのが不服だとでも?」

「いや、そういう訳では……」

「貴方なんてコレット以外だと結婚相手になれそうな令嬢が五歳と三歳と一歳しかいないくせに。この幼女趣味が」

「そんな趣味はない」

「アルノー、セルジュに絡むな」


 サミュエルがすかさず窘めるがアルノーはピリピリしたままだ。子供のようにそっぽを向いて不貞腐れている。

 彼はずっと独身のつもりだったから、結婚相手が幼女しか残っていないのは不可抗力だ。


「セルジュ、お前はもう二十八だな?」

「そうだな」

「同じ年の俺はもうふたりも子供がいるし、アルノーなんて長男が十二歳だ」

「アルノーは私たちより四つ年上だが」

「そこは大した差じゃない。つまり俺が言いたいことはお前と歳がそれほど離れておらず、身分的にも問題ない奇跡的に残っていた令嬢と結婚するんだから前向きに捉えてほしいということだ」

「残ってたなんて失礼な。大事に守っていたんですよ」

「アルノーちょっと黙れ」


 前向きに。その言葉の意味を掴めないほど彼は鈍感ではなかった。


「……彼女に危険がなくなっても婚姻を継続しろと言うことか。家のことなら」

「養子を迎えればいいと思っているようだが、我が国でも特に古い血筋のイヴェール家の後継があまり遠い親戚だと文句が出るぞ。一番近くとも六親等ほど離れているんじゃないか? 他の家から横槍が入って揉めるし、養子に迎えた子も要らぬ苦労をする」


 思ってもみなかったことを指摘されて口籠る。

 彼にとってイヴェール家はただ長く続いているだけのもので、特に価値は見出してはいない。ただ、領民のために相応しい当主を迎えればいいと思っていた。

 領地を守る能力に血筋なんて爪の先ほども関係ない。


「はぁ。これ、まったくわかってない顔ですよ」

「セルジュも困ったものだな。イヴェール家の累代が築いた財と名誉は他家にとっては垂涎の的だ。遠い親戚もわんさかいるのだからそれこそ骨肉の争いが起きるぞ」

「仕事ばかりしているからそんなこともわからないのです。その有り様じゃコレットは守れませんよ」

「小舅それくらいにしろ」

「嫌です。小舅なので一生ちくちくいじめ続けます」


 清々しいほどきっぱりしたアルノーの宣言にサミュエルは呆れ返っている。

 セルジュはなんと言ったらいいかわからなかった。彼が子供を作る必要がある理由は理解した。

 しかし、一生セルジュに縛り付けられるなんて、あまりに――。


 可哀想だ。


 互いに憎まれ口を叩きながらも仲の良い主君と同僚を眺め、彼らがなんと言おうともすべてが終わったらコレットを解放しようと決意した。




 セルジュの両親は実に典型的な貴族で、その結婚も政略によるものだ。だから彼が物心がつく頃にはイヴェール家は家族の体を成していなかった。

 それぞれ愛人と過ごす両親の下でセルジュがそこそこ真っ当に育ったのは使用人たちが大切に育ててくれたおかげだろう。


 そして、生まれた時から一緒に育ったサミュエルとその親である国王夫妻の影響も大きい。

 彼の両親と同じく政略結婚でも、国王夫妻はとても仲睦まじく、子供を慈しむ姿はまさに理想の両親であった。


 だから、サミュエルの妹姫との婚約を提案された時は嬉しかった。

 彼より三つ年下の第二王女、ベアトリス。亜麻色の髪に薄紅色の瞳の可憐な姫君はセルジュのこともサミュエル同様に「兄様」と呼び、慕ってくれていた。


 優しい家族に囲まれ育った彼女と国王夫妻のような仲のいい夫婦になり、いつか暖かい家庭を築くのだと、信じていた。

 その夢が幻に終わったのは、八年前。ベアトリスとの結婚を目前に控えた頃のことだ。


 同盟関係にないアヴァール国の王太子が我が国を訪問したのだ。特に理由もない来訪に、国の要職にある者たちに緊張が走った。


 アヴァール国は別名「(アムール)の国」とも呼ばれる。

 自由恋愛という名の無軌道な恋愛関係がまかり通り、一夫多妻も一妻多夫もなんでもありの結婚制度を持つ国だ。

 その恋愛観のせいで他国と問題を起こすことも多く、厄介な国であった。


 軍事的に強くも、経済的に豊かでもない、むしろ付き合ってもあまり旨みはない国で、国力はフィエリテに及ぶところがひとつもないのだが、特に警戒されていた。

 その理由が、『蛙の呪い』である。


 『蛙の呪い』は遥か昔から時々報告がある呪いで、その症状はイボガエルのように黒く、できものだらけの皮膚になってしまうという単純ながらも悍ましいものだ。

 対象となるのはいつもうら若き女性で、解呪方法はとても有名にして簡単。呪われた女性に愛する者が口づけるだけだ。


 ロマンチックと言われることもあるこの古い呪いの厄介な理由は、いつ、どこで、誰に、どのようにして呪われたのかが一切わからないというところである。


 その、原因のわからない呪いがアヴァール国の王族が行く先ではたびたび発生する。

 呪われる対象はその国の王女や高位貴族の令嬢で、それを解決するのはいつもアヴァール王族なのだ。そして彼らは呪いを解いた「真実の愛」を理由に女性たちを自国へ連れ去る。


 彼らの主張は自分たちは「(アムール)の国」の王族だから呪いに対抗できるというものだが、そんな理由では納得できないし、何故彼らが行く先のみで『蛙の呪い』が発生するのかという問いの答えにもなっていない。

 そこに因果関係はないと言われても、同じことが繰り返されれば誰もがおかしいと思う。


 もし、『蛙の呪い』とアヴァールになんらかの関係があるなら、狙われるのは未婚の王女、ベアトリスだ。

 だからアヴァールの王太子を大いに警戒して、彼女に近づけないようにしていた。

 しかし、ベアトリス自らが王太子に会いたがる。彼女は少し前に姉姫が大国の王太子に一目惚れをされて熱烈に口説かれた上で輿入れしたことに憧れていたのだ。


 「(アムール)の国」からやって来た美しい王子は、一緒に育ったセルジュとは比べものにならないくらい彼女の理想そのものだったらしい。

 ベアトリスは家族の苦言を無視してアヴァールの王太子との仲を深め、本当に『蛙の呪い』になってしまった。


 『蛙の呪い』は愛する者の口づけで解呪できる。でも彼はそれを試すことすらできなかった。

 国王陛下に頭を下げられ入った王女の部屋。そこにいた呪われたベアトリスを見て、あまりの痛ましさにセルジュは動揺していた。しかし、彼の表情にそれは欠片も現れず、王女の不興を買ってしまったのだ。

 ベアトリスは結局アヴァールの王太子に解呪され、彼の元へ輿入れして行った。


『なんでいつもと同じなの!』

『本当は醜いと思っているんでしょう?』

『あなたはわたくしのことなんて愛してないんだわ! いいえ、あなたなんか元から愛なんて持ってないのよ!』

『だって彫像(スタチュー)そのものだもの!』


 呪われたベアトリスからぶつけられた非難の言葉がセルジュは何年経っても忘れられない。

 どうして彼のこの顔は思ったことをそのまま分かりやすく伝えてくれないのか。


 わからないが、本当の親に愛されたことのない彼は王女が言った通り愛など元から持っていないのだろう。

 だから結婚はしないと心に決めていたのだ。

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