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人形令嬢の生い立ち

 結婚式の翌朝。人妻となったコレットはほとんど昼近い時間までたっぷりと寝ていた。

 そして今、昨日夫になったばかりの男と朝昼兼用の食卓を囲んでいる。

 十分すぎるほど睡眠をとり、昨日の疲れがすっかりとれたコレットは上機嫌だ。何より食卓の皿に好物のウィンナーがある。


 コレットはカリカリのベーコンよりも皮が弾けるくらいしっかり焼かれたウィンナーが好きであった。

 オムレツはふわふわだし、三日月型のクロワッサンもサクサクとしていて、まったく素晴らしい一日の始まりだ。


 夫のセルジュは終始無言であったが、食事に夢中のコレットはあまり気にせず、むしろ素早く食事を済ませて出掛ける様子を見せたところでやっと気づいた。


「お出掛けですか?」


 そう訊くとセルジュは少し考えるような仕草をしてから「仕事だ」と答える。


「お仕事ですか。旦那様はお忙しいのですね」

「ああ、すまない。これからも仕事で留守にすることが多いからあなたは好きなように過ごしてくれ」

「お手伝いできることはありますか?」

「……いや、特にはない。昨日の式で疲れているだろう。ゆっくり休むように」


 それはセルジュも同じだとコレットは思ったが、彼は妻の返事も待たずに食堂を出て行ってしまう。


「お見送りはいいのかしら?」


 爽やかな搾りたてのりんごジュースを片手に彼女は首を傾げた。

 絶対今からあとを追っても、背の高い彼にちんちくりんな彼女では追いつけないとわかっていたが、妻としてそれは悪い気がする。


「旦那様は気になさいませんから、奥様はゆっくりお食事をなさってください」

「そう? ならそうします」


 給仕をしてくれる侍女に言われて、コレットは安心して食卓に向き直った。彼女の皿にはまだ半分以上残っているが、セルジュの皿は綺麗に何もない。

 彼女の夫は随分早食いらしい。それともコレットが遅すぎるのか。


「食事はお口に合いましたか?」

「ええ、とってもおいしい」

「それはよろしかったですわ。料理長が喜びます」


 食堂にはコレットと侍女のふたりきりだ。ふくよかで笑顔を絶やさない彼女はイネスという名で、昨夜からずっと彼女の世話をしてくれている。

 イネスはイヴェール家の侍女頭で元はセルジュの乳母だったそうだ。長年イヴェール家に仕える彼女の年季の入った振る舞いは慣れない環境に戸惑うコレットを大いに安心させた。

 多分専属の侍女はこれから別に付けられると思うが、イネスが選んだ者なら大丈夫だろう。


「旦那様は何もしなくていいって言ったけれど、恥ずかしいことにわたし、イヴェール家のことを何も知らないの……。お勉強をしたいわ」

「此度の婚姻は急でしたものね。仕方ありませんわ。執事のシモンならお教えできるかと。いかがなさいますか?」

「時間があるならお願いしたいわ」

「かしこまりました」


 執事のシモンはイネスの夫だ。初老の感じの良い男である。彼が教師を買って出てくれるならそれほど気を遣わずに済む。


 好きなように過ごせと言われても何をしたらいいかわからないコレットはとりあえず午後の予定が埋まったことを喜んだ。

 セルジュもイネスも、イヴェール家の人々はみな、想像していたよりもずっと優しい。こんなに平穏でいいのだろうかと不安を覚えた。




 コレットはプランタン伯爵家の末娘である。

 プランタン家は伯爵家と言っても、貴族になったのは百年前。ごく最近、伯爵へ陞爵したため、成り上がりと言われている。

 当然古くから続く貴族たちからの印象は良くないが、元は商家のプランタン家はあまり気にしていない。一族揃って名より実をとる者ばかりだからだ。


 それ故に、爵位が上がることはプランタン家にとって不本意であったし、コレットと名門貴族のイヴェール公爵、つまりセルジュとの結婚はもっと不本意だった。

 しかし、この縁談を持って来たのは次期伯爵の兄だ。彼はプランタン家の人間にしては珍しく王太子の側近として重用されている。


「断ろう」

「無理ですよ」


 兄の話を聞いて父は即答し、ばっさりと兄に切り捨てられていた。

 コレットと同じ金髪と淡い藤色の瞳を持つ兄のアルノーがいつもは柔和な顔に冷たい表情を浮かべている。その兄を傲然と睨み返すのは兄をふた周りほど年嵩にしたような容姿の父だ。

 一触即発のふたりに挟まれたコレットは気まずく身じろぎをした。


「やだやだ、コレットは私と殴り合いをして三日三晩耐えられる男に嫁がすんだもん!」

「六十近いのに()()はやめてください。この縁談は王太子殿下からのものですから王命ほどの強制力はありませんが、我が家では断れませんよ。

 あと、セルジュなら三日三晩の殴り合いも耐えますし、むしろその前に父上を再起不能にすると思います」

「この裏切り者! 王家の手先!!」

「なんとでも言ってください」


 コレットは自分のことだと言うのにまったく実感が湧かず、むしろロマンスグレーで押し出しがいい父が子供のように駄々をこねるのを呆れて見ていた。

 これではどちらが親かわからない。


「コレットはどうしたいの?」


 睨み合うふたりをよそに、隣にいた母に問いかけられて眉を下げる。

 柔らかな栗色の髪に琥珀色の瞳のおっとりとした印象の母は言い淀むコレットを急かすことなく、ゆったりした笑みを浮かべ答えを待っていた。


 コレットは現在十七歳。女性は十八までが結婚適齢期だとされているので、彼女は結構ギリギリだ。

 むしろ今までそういった話が持ち上がらない方がおかしかった。


「……これほど急に結婚しろというなら何か理由があるのでしょう。わたしはお兄様に従います」

「ですってよ、あなた」

「コレット、ありがとう。

 ほら父上聞きましたか? コレットの方がこんなに落ち着いている。まったく、大袈裟に取り乱して恥ずかしい」

「うるさいうるさい! お前はまだ娘がいないから私の気持ちがわからんのだ!

 コレット、悪いことは言わない。断ろう。相手はあのセルジュ・イヴェールだ。お前は知らないだろうが、奴はかつて奪われた婚約者をねちねちねちねち想い続ける粘着質で陰気な男なんだぞ。きっと結婚してもコレットのことを蔑ろにするに違いない」

「まぁ、そうなんですか?」


 父の言葉を聞いて兄を見ると、さっと視線を逸らされた。その反応でどうやら本当のことらしいと判断する。

 けれども先程の父の狂態ほどは衝撃は受けなかった。


「わたしがセルジュ様に蔑ろにされても、お父様はわたしのことを好きでいてくださるのでしょう?」

「勿論だとも!!!!!!」


 力強い言葉とともにぐっと両手を握られる。距離の近くなった父からは上品な葉巻の匂いがした。いつも泰然とした目元は潤んで今にも涙が溢れそうだ。

 お手本のような老紳士なのにこの狂乱はつくづく残念である。しかしそれもコレットへの愛故なのだ。


 いつの間にかアルノーも側に立ち、彼女の頭を撫でていた。兄だってコレットを不幸にするために縁談を持ってきた訳ではない。

 少し離れた場所でそんな三人を見守る母は柔らかく笑っていた。それを見て、自然と笑みが浮かぶ。


「なら、わたし平気です」

「ああ、コレットはなんて健気で愛らしいんだ!!」

「……本当に粗略に扱われることがあったら、耐えるのではなくこの兄に相談しなさい」

「こら、おいしいところを持って行くな! コレット、私へ、お父様へ一番に相談するのだよ!」

「ありがとうございます。必ずおふたりに相談します」


 ついにコレットを抱きしめた父を、アルノーが胡乱な目で見ている。母は苦笑いするだけだ。

 父の厚く大きな手のひらに頭を撫でられ、もうすぐこうして貰えなくなるのか、と思うと流石に少し寂しくなった。




 コレットは両親が四十近くになって生まれた子供だ。兄のアルノーとは十五、姉のルイーズとは十三も離れている。

 まったく予期しない彼女の誕生は家族だけではなくプランタン家に仕える者全員に喜ばれた。

 そして、全員総掛かりでそれはもう精一杯甘やかしたのだ。


 だから、生まれたその日からコレットは人よりずっとたくさんのものに恵まれていた。


 欲しいものはねだる前に揃えられ、むしろ過剰にあったし、食事も材料の質からこだわったものが彼女には供される。

 そして何よりたっぷりと愛情を注がれて育った彼女は、それを当たり前のことだと思っていた。

 己が人並み外れて恵まれていると知ったのは家族が整えた優しい揺籠から少しずつ外の世界に出るようになってからだ。


 母に連れて行かれた孤児院で、コレットが当たり前に享受しているもののほんの少しすら与えられない子供たちと出会ったのだ。

 彼らはそれでも明るく笑い、楽しく暮らしている様子だったけれど、その出会いはコレットの心にひとつの疑問を投げかけた。


 世の中は不公平なのではないか。


 明日の食事もこと欠き、継ぎのあたった服を着る孤児に対し、コレットは明日どころか大きくなるまで衣食住が保証されている。

 彼らは字すら書けないのに、彼女は出向かなくても教師が家にやって来て好きなことが学べるのだ。


 孤児院では子供より大人が少なく、孤児たちはいつも寂しそうに身を寄せ合っていた。なのに、コレットは家族だけでなく、プランタン家に関わるすべての人からたっぷり愛情を注がれている。


 今まで普通のことと思っていたが、コレットの上には幸せが降って来すぎていた。

 しかも、悪いことに彼女はその幸せに見合うだけの特別さを持ち合わせていなかったのだ。


 コレットは何事においても平均的な、いわゆる器用貧乏である。先見性に優れた兄や、人の心の機微に聡い姉のような特別に優れたものを彼女は備えていなかった。


 それなのに、抱えきれないほどたくさんのものを貰っている。それをいつしか申し訳なく思うようになっていた。

 物は他人に分配できる。しかし、愛情は譲れない。だから彼女はこれ以上を望まないことにした。


 これ以上、人からの愛情は求めない。だから夫から蔑ろにされる結婚もどんと来いである。

 夫ひとりに嫌われても、彼女を愛する人はどっさりいるのだから怖いものは何もない。


 それ故に兄の話を受け入れたが、結婚までの準備期間がたった一ヶ月しかなかった。

 両親のみならず、プランタン家全体から短すぎるとぶぅぶぅ文句が出たが、珍しく兄が強引に推し進めた。


 挙式を行う礼拝堂は伝手のある司祭に頼み、晩餐会はお抱えのシェフだけでなく、父が支援している商会からも借り受ける。

 ウェディングドレスは母が着たものをコレットに合わせて直したのだが、古いものとは思えないほど美しく目を剥いた。

 真珠のような艶のある最上級のシルクをたっぷり使ったロングトレーンのドレスは伯爵令嬢ではなく、高位貴族や王族の着るものだ。


 母は最後まで「もっとコレットに似合う豪華なドレスにしたかった」と文句を垂れていた。しかし、コレットからしたら、これ以上豪華にしたら身の丈に合わない。

 期間が短くてむしろよかったと胸を撫で下ろした。


 こうしてほとんどプランタン家主導の結婚式はつつがなく準備が整い、コレットが思うより三倍多い招待客を迎えて無事最後まで取り行われた。


 結局、コレットは忙しくて、夫となる人とは礼拝堂で初対面となってしまった。その後も話す機会がなく、夫婦になってもセルジュ・イヴェールに関して知っていることは少ないままだ。


 その少ない情報のひとつが「彫像(スタチュー)公爵」というものだった。

 まるで石で出来た彫像(スタチュー)のように精巧な容姿だが、心がないという風評だ。

 そのせいで元婚約者の第二王女に婚約解消されたとか、婚約解消が原因で彫像(スタチュー)になったのだとか、色々と言われている。


 まだ結婚初日だが、夫は彫像(スタチュー)と呼ばれるほど無機質には感じない。少なくともコレットが快適に過ごせるように気を遣うことはできるのだ。


(わたしも『お人形さん(ビスクドール)みたい』ってよく言われるし、外見でそう言われてるだけ?)


 今まで会った人の中では夫が一番容姿端麗なのだ。だからきっとそれだけのことなのだろうと彼女は思った。

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