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エピローグ

「さぁ、かかってきたまえ!」

「わかりました」

「ぐはぁっ!」


 コレットは今まさに目の前で起こった真昼の惨劇に息を飲んだ。

 深く踏み込んだセルジュの右の拳が父の腹にめり込んでいる。父の体は折れ曲がり、セルジュが拳を抜くと妙にゆっくり倒れていく。

 そのままどうっと地に倒れ伏す……前に兄と義兄がその体を受け止めた。


「うーん、お見事」

「あーあ、だからやめろって言ったのに。ロジェ、これは大丈夫ですか?」

「手加減はした」

「内臓は傷ついてない。でっけぇ青痣はできるだろうな」

「なら問題無さそうですね。このまま寝かしておきましょう」


 そう言うと兄ふたりは父の体を芝生に横たえた。そう、今コレットたちがいるのは野外である。

 本日は捻挫が治ったコレットの快気祝いにプランタン家総出でイヴェール邸に押しかけて来ていた。

 天気が良く、陽気も麗かだからと庭にテーブルを出して茶会をしていたのだ。


 その最中に父がセルジュに殴り合いを申し込んでこうなってしまった。

 コレットは義父を躊躇いなく殴り倒す夫を叱ればいいのか、年甲斐もなく無謀なことをする父に怒ればいいのかわからなかった。


 とりあえず、倒れた父を放置するのはやめて欲しかったが、実と義理の息子たちは父を寝かせると三々五々に解散してしまった。

 使用人たちが困っているから何か指示を出してあげてほしい。迷った末に父に毛布をかけてくれたマルクにはあとで礼を言っておくことにする。


 兄たちと別れたセルジュは真っ直ぐコレットの元に来た。

 椅子に座る彼女を抱き上げると今度はその椅子に自分が座り、コレットを膝に乗せる。

 流れるように滑らかな動きに止める隙がない。夫は彼女を抱え込んでとても満足気である。


 コレットは夫の膝に乗せられているところを身内に見られるのは流石に恥ずかしいな、と周囲を見回す。

 さっき解散したはずの兄たちは庭に生えた植物を見て何か話し込んでいる。

 母と姉たちは同じテーブルを囲んでお喋りに夢中だ。

 甥と姪たちは広い庭の探検に繰り出している。

 誰も見てなかった。

 ホッとするような、寂しいような、複雑な気持ちである。


「コレット、何が食べたい?」


 セルジュに訊かれて気を取り直す。夫の膝の上で、少し遠くなったテーブルを見る。


「クッキーがいいです」

「わかった」


 セルジュが菓子皿のクッキーを取り、彼女の口の前に差し出す。


「……セルジュ様。自分で食べられますから……」

「好きでやっているのだから、存分に使うといい」


 断固として自分の手から食べさせたいらしい夫に根負けして、クッキーに齧り付く。

 焼きたてでまだ温かいそれははちみつをたっぷり使ったしっとりほろほろとした口溶けだ。縁の部分はかりりと固めで香ばしく、豊かなバターの香りが鼻に抜ける。


 せっせとクッキーを食べるコレットを、セルジュは食い入るように見つめていた。非常に食べづらい。

 紅茶まで飲ませようとしてくるので、それは拒否した。飲ませて貰うと気道に入って咽せるのだ。


 呪いが解けたあとからセルジュはずっとこんな調子である。コレットが捻挫していたこともあって、やたらと世話を焼きたがった。

 以前は彼女の方が積極的だったのに、今ではこの通り夫の方が必要以上にベタベタしてくる。

 それが、なんとも釈然としない。前はすぐ赤くなっていた気がするのだが、今では何をするにも手慣れた様子だ。


 撫然とするコレットの耳に軽やかな子供の笑い声が届く。甥たちが探検から帰ってきたのだ。

 先頭は探検の収穫物である花籠を頭に乗せた兄の次男で、そのあとに兄の長男が、幼い姪ふたりと手を繋いで歩いている。


 子供たちは花籠を真ん中に置いて芝生に座った。籠から花を取り、編んでいるようだ。

 一番年長の長男が次男に編み方を教え、姪たちに贈る花冠を作っている。

 離れていても姪たちがワクワクしているのがわかる、微笑ましい光景だった。


 それを見て、コレットはベアトリスの子供もあんな風に可愛いのだろうな、と少し前にフィエリテを去った彼女のことを思い出す。

 離縁すると揉めていたアヴァールの王太子夫妻は結局一緒に国へ帰って行った。


 コレットに呪いをかけた件についてはジョルジュが呪いについての関与を完全に否定したため、追及することは出来ず、有耶無耶になってしまった。

 当然ベアトリスへのお咎めもなしだ。


 その点にコレットは不満を覚えていない。

 アヴァールに帰る。そのことが一番のベアトリスへの罰になると思ったからだ。


 あれだけ嫌がっていたアヴァールへの帰還をベアトリスが受け入れたのは、自分と息子のためだ。

 離縁するにしろ、息子の籍をフィエリテに移すにしろ、アヴァールに戻らなければ手続きが出来ない。どうしても一度はアヴァールへ帰る必要があった。


 しかし、帰ってもベアトリスの思うように物事は進まないだろう。

 アヴァールで高い継承順位を持つ王子のことを、いくら母親とはいえベアトリスの一存では決められない。

 ジョルジュには側室や愛妾との間に何人か王子が生まれているが、国力で勝るフィエリテの王族の血を引く王子をアヴァールが手離すはずがなかった。


 それはベアトリスにしても同じことで、『蛙の呪い』が失われた今、数多の財をもたらすベアトリスの離縁もかなり抵抗されるに違いない。

 恐らく、国王陛下やサミュエルが協力しても、すべて終わるまでには長い時間がかかるだろう。


 仕返しなどしなくとも、彼女はしばらく苦しく、自由のない生活を強いられるのは想像に難くない。

 これ以上の制裁は酷である。


 一方、ベアトリスにお咎めはなかったが、協力したオレリーたちは捕まった。


 呪いはジョルジュに否定されてしまったので、他国の諜報員(スパイ)と通じた件での逮捕である。

 ベアトリスとオレリーを繋いでいた諜報員(スパイ)はオレリーの情人だった男だ。


 諜報員(スパイ)の男は、コレットの引き渡しに成功すればアヴァールに連れて行き、結婚してやるとオレリーを唆していたそうだ。

 前回は逃げられた辺境伯は、今回は捕らえることに成功し、男は勾留されていた。しかし、その翌日に牢で毒を飲み自害していたのが見つかったらしい。


 オレリーと協力していた侍女の方は尋問が終わり次第、修道院に送られるそうだ。

 彼女が以前に送られた辺境の修道院と違い、今度は人里離れた場所にある本格的な修行の場である。

 とても戒律が厳しいと聞いているから慣れないうちは辛いことだろう。


 結局、『蛙の呪い』とアヴァール国の関係は明らかにされないままだが、フィエリテには第一王女が嫁いだ大国との繋がりがある。

 そこから密やかに真実を広めていくそうだ。

 呪いを口実に女性を奪われた国は多い。今までやってきたことの代償でアヴァールが孤立する日も遠くない。


 『蛙の呪い』の被害者たちが苦しんだのと同じだけ、アヴァールの王族も苦しんでほしいところだ。

 セルジュのおかげで呪いを解かれたコレットは特に報復を望まなかったのだから、それくらいは粛々と受け入れるべきである。


 その、コレットの呪いに愛で打ち勝ったセルジュは相変わらず、彼女を抱えて満足そうにしていた。

 本来腕輪を外して解ける呪いが何故口づけで解けたのかは今調査中だそうだ。呪い自体が失われているのでどこまでわかるかは不明だが、魔術師長が仕事を放り出して研究室に籠っているそうなので、何かはわかるだろう。


 なんにしろ、すべてもうコレットには関係ない話である。


「……セルジュ様、もうひとつクッキーをいただけますか?」

「ひとつと言わず、何枚でも食べるといい」


 すっかり家族と同じくらい甘やかすようになってしまった夫に菓子を強請る。

 すると当然のように、また給餌された。

 礼を言って一口齧る。すると、今まで気づかなかった空白を何か暖かなものが満たしていくように感じるのだ。


 セルジュと思いが通じ合って初めて知ったが、もう必要ないと思うほど満たされていると思っていたコレットにも欠けたものがあったらしい。

 それをピッタリ埋めてくれるのが、夫なのだ。


 家族も夫も、それ以外も、たくさんの愛がないとコレットは完全には満たされないらしい。なんとも欲深いと自分でも思うが、気づいてしまったから、もう欲張りと言われても譲れない。


 この春の庭にあるものは、全部コレットのものだ。


 いつの間にか微笑んでいたコレットを見て、最近とみに柔らかくなったセルジュの口元が、美しい弧を描く。


(ああ……。しあわせ)


 夫の腕の中で、コレットは幸福とはこういうものかと実感していた。

 本編はこれで完結です。

 今日はもう一話更新しますが、金の腕輪についての話なので興味のある方はお読みください。

 最後までお付き合いくださりありがとうございました。

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