始まり【1】
――スマホが鳴ってるわよ――スマホが鳴ってるわよ―――スマホが鳴ってるわよ―――。
「う………。うあぁ」
狂気にも似た着信音で目が覚めた。
はぁ………最悪な目覚めだ。
横向きに寝ていた俺はゴロンとうつぶせに姿勢を直し、スマホまで手を伸ばす。
そのままスマホを引き寄せると、ディスプレイの眩しさに目を細めながらも着信相手を確認した。
【R ××× ― ××××】
1年ぶりの友人に少し目が冴える。
「随分と忙しそうだったが、電話がかかって来るってことは落ち着いたのか」
思わず独り言が零れる。
と、そんな事よりも電話だ。
通話ボタンを押し、スピーカへと切り替えた。
『おっ出た出た』
「よぉR。ご無沙汰」
『なんか気が抜けきったんな。もしかしてお疲れモードか』
「あぁ、ちょっとな仕事がトラブってな」
『おいおい、大丈夫なのか』
「大丈夫だな。会社のミスだし、日雇いの俺には関係ないお話だからな」
『なら良いんだけどよ。なぁ今、時間あるか』
「おっ、飲みの誘いか。それなら大歓迎なんだが」
『残念ながらちがうな。実はな、えっと、その仕事の話なんだが』
Rらしくない、歯切れの悪い話し方。
「ん?。何か良い仕事を紹介してくれるのか」
『えっ、あぁ。えぇぇ』
戸惑いの声を上げたRに逆に俺の方が戸惑った。
「どったのさ」
『いや。仕事の食いつきが良くてビビった。前誘っても、大手会社に拘ってて乗り気じゃなかったじゃん』
あぁ、そういえばそんな事もあったな。
まさか、そんな事をRが気にしていたとは思っていなかった為、意外だった。
「いやぁ。実は、ちっとお金が必要になってなぁ。日雇いだけの稼ぎじゃあ足らないんだわ」
『意外だな。あれ?。じゃあ今どうしてんだ』
「まぁ直ぐに必要って訳じゃないってのと、ドーラにFXを教わってるから今は何とかなりそうかもって所だな」
『まさかのFXかぁ。気のせいじゃないなら、駄目な未来しか見えないんだが』
それはドーラから勧められた時に俺も思った。
「きっと、大丈夫だ。ドーラ曰く筋は良いらしいし。つか、ドーラから初期投資額を借金してるから大丈夫じゃないと色々と困る」
『おいおい。聞き捨てならない事口走ってるぞ。正気かドーラから借金って』
まぁ。ドーラの性格に、俺とドーラの歪な関係。
どちらも知ってるRならそう言うわな。
「大丈夫だ。無利子、無担保だし。ちっとばかし関係が厄介な事にはなってるが」
『大丈夫か。それ、ドーラの策中にハマってない』
「ハマってないと信じたいな。胃袋掴んできたり、既成事実を作ろうと画策されてるけどな」
『なにっ、既成事実だと。詳しく聞こうじゃないか』
「おいこら、何処に食いついてんだ。言っとくがRが考えているような既成事実じゃないぞ」
『なんだ、つまんない奴だなぁ。じゃあ、既成事実ってなんだよ』
「ただのデートだな。しかも、両親公認」
『おぉお。外堀埋められてるじゃんか。年貢の納め時か?』
「はっはっは。もう数年は逃げてやる」
『まぁ。その様子じゃあ大丈夫そうだな。それにしても美女同士のデートとか妄想が捗るな』
「おいこら誰が女顔じゃい」
こんなイケメンを捕まえて美女とかないわぁ。
そんな事ばっかりしてるから、鈍感イケメンとか残念イケメンだとか言われるんだぞ。
『高校。メイド喫茶。人気投票』
「はい。俺が悪かったから、俺の全面的敗北です。だから掘り返すな」
くそったれ。なまじ付き合いが長い分、こいつは俺の黒歴史を知ってやがるからなぁ。
明らかに分が悪い。
「で、仕事の話だ」
『あっ逃げた。まぁいいや。会ってから話をしたいから、今からドーラの喫茶店に来れるか』
「今からか。どうだろう。そういや今何時だ」
最近、変な団体に目をつけられてるから時間によっては外出しないように気を付けているんだが。
『おいおい大丈夫か。今は午後2時だぞ』
「うそん」
俺は、目覚まし時計を見る。そこには間違いなく午後2時を指した時計があった。
オウフ。
俺がベットに入ったのは午後3時だったことを総合すると即ち、一日中寝ていた事になる。
『どした、もしかして一日中寝てたとかか』
「てめー。さてはエスパーだな」
『おいおい。大丈夫か。来れるか?』
「行けないって言ったら来てくれるか」
『無理だな』
「ですよねー。まぁ行くよ」
『おう。社長と待ってるわ』
「おいまて、こら。聞き捨てならぬ言葉が聞こえたんだが。お前んとこの社長も来るのか」
『てか、すでに社長とドーラの喫茶店に居るし』
「お前ぇ。そう言う大事なことは最初に言っとけぇよぉ」
思わず叫んでしまうが、俺に非は無いはずだ。
あと、この地下室に防音性があってよかった。
★★★
Rと簡単に挨拶を交わし、電話を切ったあと急いで準備を始めた。
黒パーカーのフードを被り、銀色の髪と同じ色の狼耳を隠し、金色の瞳をサングラスで隠す。
ゆったりとしたズボンを履き、髪と同じ色の尻尾をズボンに隠す。
色々隠すのはしんどいが、こうしないと、ちょっとしたことで通報されたり、困った奴等に絡まれるので仕方がない。
なぜなら俺の姿は、一般社会での評価では刺青を入れている男性と事と何ら変わりがない。
この困ったレッテルも全て、不良やそっち系の人達のせいだ。
俺の体の一部が狼の物になってるように、部分的に動物の特徴を付与する技術がこの国にはある。
その名も生体アクセサリー。
アクセサリーの名の通り動物の特徴を着脱自由に体に着ける、原理不明のとんでも技術だ。
そして、この生体アクセサリーは現在はその手の人達に大人気だ。
何故、大人気と言えば生体アクセサリーが見た目だけでなく身体能力も、モチーフの獣に近づくからだ。
俺と同じ狼であれば嗅覚に優れ、夜目が効き、筋力も体力もスポーツ選手並みには上がる。
いかにも、荒事にはもってこいの代物だ。
そんな訳で、その手の人間が生体アクセサリーを使い。その結果が、生体アクセサリー=ヤバい奴と言う構図が出来上がってしまった。
本当に俺には生きづらい世の中だが仕方がない事だ。
っと、そんな事より急がなければ。
Rは自業自得だとしても、忙しいであろう社長を長い間待たすのも悪い。
俺は、鞄に履歴書、診断書、印鑑、名刺を放り込み、急いで階段を駆け上がる。
玄関でお気に入りのスニーカーを履いた所で家に居るはずの母さんに聞こえる様に声をかけた。
「母さん。仕事の話でドーラの喫茶店へ行ってくる」
「あらあら、体は大丈夫」
「丸一日も寝たみたいだから平気」
「そう。それなら良かったわ。それと、ご飯は要らないのね」
扉の向こうから母さんの声が返ってくる。
「うん。多分向こうで食わされると思うから」
自分で言っててなんだが、俺とドーラの関係は本当に歪で厄介だ。
「わかったわ。気を付けて行ってくるのよ」
「わかった。行ってくる」
玄関の扉を開け駆けだす。
そして、数分後に警察官に捕まった。
★★★
「はぁ、なんて日だ」
今現在、パトカーの後部座席で、ドーラの喫茶店まで運搬されている。
「あんま。ため息つくな。幸せが逃げるぞ」
顔なじみの老警官、舘脇さんは運転しながらそう言う。
「そうは言うけど、あの婦警の相手は無茶苦茶しんどかったっすよ」
「まったく、あいつは一体何をやらかしたんだ。俺が飯から帰った時には既に口論が始まってたが」
あれを、口論って言われるのは心外だ。
一方的に言い掛かりを吹っ掛けてきた婦警をなだめていただけなのに。
「だいたい、職質を受ける前に『約束があるんで急いでるんで』って言ったはずなのにさぁ」
「あぁ。急いで警察から離れようとしているのは、疚しい事があるんじゃないかって所か?」
「そうそう言い掛かりつけられて。それで警察署まで同行しろって事っす」
流石、ベテラン警官。
良く解ってらっしゃる。
「まったくあいつは何やってんだか」
「本当っすよ」
「ただまぁ、お前さんは生体アクセを付けてるようなんもんだから。過剰に反応しちまったんだろうな」
それを言われると何も言えなくなる。
だが、俺のこれは生まれつきの天然物。
両親に生体アクセの長期使用者が居ると生まれる謂わば先天性の病気で、通常の方法では外せないし、外す方法はまだ見つかっていない。
つまり、これをどうにかすればいいと、気軽に言われても俺には如何する事も出来ない。
「舘脇さん。俺は獣人っす。あと生体アクセと混同されるのは流石にムカつくっす」
「すまん、すまん。獣人だったな。だがな、生体アクセなのか獣人なのか当人しか区別が出来ねぇ」
「それはうっすけど。何とかなればいいんすけどねぇ」
「まぁ直ぐどうにかってのは無理な話だわな。獣人の数が増えれば或いはってとこが良い所だろう」
「それは、当分は無理な話っすね。本当に、やるせないっすねぇ」
そんな獣人がポンポンとは生まれるものでもないので、どうにもならないだろう。
「まぁそれよりかなんだ。部下が悪かったな」
「いやまぁ、良くないっすがもう良いっす。意外っすね舘脇さんが謝るのって」
「俺をなんだと…。まぁいい。俺はあいつの教育係だからだからな」
「教育係!?。不良警官の舘脇さんが」
この脱力系不良オヤジに任せて大丈夫なのだろうか。
朱に染まれば赤くなるって言うし……。
「おいこら。誰が不良警官だ」
「いや自分でいつも言ってるじゃないっすか」
「俺が言うのには良いんだよ」
「理不尽っす」
「そんなもんなんだよ。人生も社会って奴もな。お前が一番解ってるだろう」
そう語る舘脇さんの姿は色々な意味で骨身にこたえた。
お読みいただきありがとうございました。