謎の女2
女と出会ってから十数日。寒さがますます厳しくなっているのを感じていた。
アッシュはいつものように朝日とともに働き、日が沈むとようやく休める日々を送っていた。
新しい服はもうすでに薄汚れている。
月は細くなり、夜は闇と化した。
アッシュは教会への向かってスラム街を歩いている。
闇に乗じて悪さをする人間はこの場所では普通である。
普段ならこんな場所を通らない。
通ったとしても自分のような金のない少年を金銭目的で襲うものはいないのだが。
そしてもう一つの理由で襲うにはもうすでに男になっている。
ただ少し女が気がかりであった。
だから直線距離ではこの道を通ったほうが近いなどと自分に言い訳をして歩いていた。
しばらく歩いているとドタバタと物音が聞こえ、男の歓声が聞こえてきた。
すぐに女のことが頭をよぎった。
アッシュはその場所に駆け足で、しかし音は立てずに近づく。
どうやら自分の予感は当たっていたらしい。
あの女が男に取り押さえられている。
男は頭を地面にこすりつけ服をはだけさせようと必死になっている。
女を助ける義理はないが、しかし困っている人を助けられるのにも関わらず助けないのは屑である。
だからアッシュは背後に回り睾丸を蹴り上げる。
男は悶絶し、倒れこむ。
その隙に女の手を握り、男から逃げだす。
路地をグニャグニャと曲がりながら教会まで出る。
女は息を切らせ、その場にへたり込んだ。
「あのさ、ありがとう」
女は顔を背けながら素直に感謝の意を述べる。
アッシュは恥ずかしくなり手を放し、照れ隠しに嫌味の一つでも言ってやりたくなった。
「だから言ったじゃないか」
アッシュは肩をすくめた。
「そうね、ごめんなさい」
言ってから、わざわざ空気を悪くする必要が無かったことに気が付き後悔する。
そういうと二人ともおなかをぐぅぅと鳴らした。
「おなかが減ったわね」
「ああそうだな。あ、そうだ教会で施しがあるんだ。おごってくれ」
「私が?こういうのは男がおごるものじゃないの?」
女ははにかみ笑う。
「俺の身なりを見てくれ。そんな余裕があると思うか?」
「無いわね」
「だろう」
2人はそう言ってお互いに笑い、列に並びてパンとスープを得、レントとミジェールに会わせた。
「おー、おそかったなぁ……」
レントがアッシュを見つけるとそう言って手を振る。
しかし視線はその間少しずつスライドし横の女を見ていることが分かった。
「誰?」
レントは少し大げさに怒りを表現しながらアッシュに詰め寄った。
「あー」
アッシュは返答に困り黙り込むと女は自分で名乗り出る。
「友達のマリアです。よろしく」
マリアは柔和な顔で二人に自己紹介する。
「彼女?」
ミジェールはぽつりと呟く。
「友達です」
マリアは念押しするように言った。
「そういうことだ」
アッシュは二人に呟く。
「ほんとぉ?やることやったんじゃないのぉ?」
レントはしつこく聞いてくる。
「お前は俺はおっぱいが無い女に全く興味ないのを知ってるだろ」
「いやこれだけ美人ならおっぱい魔人のお前でも手が出たのかと……」
「なんてことを、女の子の前で話すのよ!」
「そうだよ」
ミジェールもマリアに同意して疑惑はひとまず後ろに追いやられた。
4人は軒先に座り、スープとパンを頬張る。
その間にレントとミジェールの紹介を済ませる。
マリアはアッシュの右隣に残りの二人は左隣に座った。
「薄いわね」
マリアは何げなく小さな声で呟いた。
「……あんまりここでそういうことを言うなよ」
アッシュはマリアの耳もとでつぶやく。
「ふぁ!顔が近い!」
マリアはそういうとアッシュの顔を手で押しのけた。
「んが!何するんだ」
アッシュは首を振り手を払いのける。
「あ、ごめんなさい」
それはさっきの失言についてなのか、それとも顔をはたいたことなのか。
「ああ、まぁ、顔をはたいたことは気にするな。けど、さっきの言葉は……」
「え、あ。ああ、ごめんなさい。無神経だったわ」
マリアは少し頬を朱色の染めながら言った。
「まぁ、俺は気にしないけどな」
嘘である、ちょっと傷ついた。このスープ味が薄かったのか。うまいと思ってたんだが。
「お前らほんとは付き合ってるだろ」
レントがミジェール越しにアッシュらを覗き込みながら言った。
「はぁ?……もうお前がそう思いたいならそう思えよ」
どうやら先ほどの失言は聞こえていないようであった。
「マリアさんにもレント王国に入ってもらおうよ」
ミジェールが突拍子もなくつぶやく。幼さの特権だろう、いや自分もまだ15にもいかない若者だが。
「レント王国って何かしら」
「へぇ!いや、そのですね」
レントは恥ずかしそうにたじろぐ。さすがに年上の女性におままごとをしていると思われるのは嫌だったのだろう。
「僕ら4人の国のことだよ」
ミジェールは臆することなく言う。
「4人?」
「もう一人いるんだ」
「ふーん、でレント王国って何?」
マリアは怪訝そうに尋ねる。
「あー、えっとぉ。自分たちで勝手に言ってるだけなんですけど、僕が王様で、アッシュが軍の最高司令官。ミジェールが……」
「生産大臣!」
ミジェールは大きな声で言う。
「へぇ、どうしてそういう役割になったの?」
マリアは顔をほころばせながら言った。
「自分はこれを始めたからで」
レントははにかみ笑いながら言う。
「僕は物を作るのが好きだから」
ミジェールは満面の笑みを浮かべながら。
「あなたは?」
マリアはアッシュに聞く。
「そういえばなんで?」
ミジェールも思い出したかのように尋ねた。
「いろいろ」
アッシュは、はぐらかす。
「ケンカと石を投げるのがめちゃくちゃうまいからだろ。これを始めたときに俺は最強で龍をも狩れると言ってなったんだ」
レントが茶化す。自分が恥をかいたからと言って俺まで巻き込むなよ、とアッシュは思った。
「へー、面白いね。あなたがそんなこと言ってたなんて」
「それで、マリアは何がいいの?」
ミジェールはマリアに聞く。
「そうね、王女とかにしましょうか」
「まぁ、好きにしろよ」
アッシュはマリアがこの話に乗るとは思わなかったなぁと思いながらつぶやく。
「あ、そうだ。アッシュがどれだけ石を投げるのかわかるところに連れていってやるよ」
レントはマリアとミジェールを連れて行こうとする。おい、馬鹿、やめろ。
「へぇ、見たい見たい」
マリアとミジェールはそれについていく。
アッシュもこの上さらに恥ずかしい過去をレントに暴露されないように監視するために一番後ろについて歩く。
行先はそんなに遠くではない、少し開けた場所にある木レントは指さす。
「これだよ」
その木はこの近くではよく生えている木である。ただ他の木と違い握りこぶしより一回り大きい窪みが開いている。
「これ、アッシュが投げた石が削った後なんだ」
レントは自分のことのように自慢げに語る。
「もともとは丸い的が書いてあったんだけど、全部削れちゃったんだよ、でも投げた石は必ず木の的の中にめり込んで、しかも親指がスカスカにはまる穴まで作ってたんだよ。しかも朝でも夜でも、どこからでも当てれてあとは……」
レントがまくしたてるように言う。
「おー、よく分からないけどすごい!」
ミジェールは窪みをさすりながら笑った。
「まぁな」
アッシュは肩をすくめ、恥ずかしそうに笑った。
「……ねぇ、もう一度ほかの木に投げてみてよ」
マリアは少し神妙な顔つきでアッシュに言う。
「えぇ……嫌だよ、疲れ……」
「いいから、お願い」
アッシュの言葉をさえぎっマリアは言う。
「……一回だけだぞ」
アッシュがしぶしぶ承認するとマリアは笑い、そして少し遠くの木を指さしながら、「あっちの……」
マリアは走ってその木に近づき木の皮を剥ぎ、白い内側をむき出しにし、「ここに投げて!」と手を振った。
「見えんぞ」
アッシュはそう言って一度場所を確認するため近づく。
「ここね、分かった。マリアは一応投げる方向と逆向きに二人と一緒にいてくれ」
そういいながらマリアとともに木がもはや夜の闇で見えない場所を超え、3、40歩ほど離れる。
その間アッシュはチッ、チッ、チッと舌打ちを繰り返す。
「何やってるの?」
マリアが聞く。
「よく分かんないんだけど、こうすると見えなくても何があるかわかるらしい。昔はずっと目隠しをして生活していたらしいし」
レントがそれに答える。
「そんな馬鹿な」
マリアは全く信じていないようである。
「間に人はいないし投げるよ」
一応けが人を出さないよう配慮する。
アッシュがそういうとレントは残りの二人を少し離れさせ、投げやすくする。
その後、アッシュは助走をつけながら石を放る。
石はほぼ直線の軌道を描き闇の中に消えていく。
しばらくするとビィシィィ!という大きな音が聞こえる。
マリアとミジェールは駆け足でその場に向かっていく。